『冤罪被害者』のブログ 

冤罪被害者の闘いを綴る

日野町事件と裁判官

信じられない冤罪事件

 世間は、有罪判決が下された被告人に対し、疑いもなく「罪」を犯したと思う。

 たとえ被告人が無実を訴えていても同じである。

 

 先日、患者に強制わいせつをしたとして、ある医師が逆転有罪の判決を受けた。

 当該「強制わいせつ」行為は、「被害者」とされる患者の術後せん妄の可能性である合理的疑いが排斥できないものであり、一審判決は無罪判決を下していた。

 しかし、今回の逆転有罪判決を受けて、世間は「破廉恥な医師」として、騒ぎ立てている。

 

 そんな事態に嫌気が差していたが、日野町事件についての記事が目に入った。

 当該記事には、裁判官が冤罪を創り上げる流れが、詳細に記されている。

 調書を読まない裁判官、証拠を間違える裁判官、詭弁ばかりの判決文を書く裁判官。すべて実感してきたことだ。

 

 そして、こうした資質に問題がある多くの「わるい」裁判官が、いまなお出世を続け、日本の司法の中心として暗躍している。

 

 日本の司法を信じている人こそ、ぜひ一読願いたいと思う。

news.yahoo.co.jp

 

介護ヘルパー窃盗冤罪事件

日本国民救援会のホームページより

 この事件、掲載の上告審期日から大分時間が経過しているが、上告審はどうなったのだろうか・・・。

 調べる限り、原判決破棄の無罪事案として、出てこないのだが。

 

 こうした「事件」が有罪認定される日本の刑事司法は、ほんとうに破綻しているとしかいいようがない。

 上告審が結審していても、国民は日本の刑事司法の愚かさを知るべきであるという思いから、以下、引用させていただくことにする。

事件の概要  

 NPO法人に勤め、利用者宅に介護ヘルパーとして訪問し、身の回りの世話をする仕事をしていた狭山市に住む安澤篤史さん(29)。2009年6月、窃盗の容疑で突然逮捕されました。在宅介護を利用していた都内に住む全盲の利用者からキャッシュカードを盗み、6月16日に銀行口座から現金3万円を引き出して盗んだとされました。
 安澤さんは逮捕から一貫して容疑を否認しましたが、一、二審で懲役1年の実刑判決を受け、現在最高裁でたたかっています。

■物的証拠なし
 検察は、安澤さんが「被害者」の持っているウェストポーチを物色して、本人しか触らない長財布からキャッシュカードを盗み、そのカードでATMから3万円を引き出したとしています。
 しかし、ウェストポーチの物色や長財布からカードを盗んだことについては、検察はいつ、どこで、どのように盗んだのか、一切具体的な立証をしていません。ウェストポーチや財布の指紋鑑定などの証拠さえ裁判所に提出されておらず、動機も、盗まれたとされる3万円の使途も明らかになっていません。
 つまり、事件の証拠とされるものは、盗まれたとする「被害者」の証言だけなのです。

■矛盾する証言
 「被害者」は、①お金を下ろすときに手数料のかかる引き出しを頼むことはない、②キャッシュカードを預けて引き出しを頼むのは、他の3人のヘルパーで、安澤さんに頼んだことは一度もないと主張して、安澤さんを犯人だとしました。
 しかし、証拠として提出された通帳(08年7月から09年8月)の出金記録を見ると、手数料のかかる引き出しはその間だけでも16回あり、しかも安澤さんが担当していた日に35回もお金を下ろし、「被害者」とともに外出して手数料のかかる引き出しをおこなったことも明らかになっています。また、キャッシュカードを預けたヘルパーの名前を3人あげていますが、その内の1人は預かったことはないと証言してます。
 裁判所は、客観的事実と明らかに異なるこのような「被害者」の証言を一方的に「信用できる」としています。

■ずさんな管理
 安澤さんは、介護福祉士の資格をとるためにNPO法人に勤め、「被害者」の介護もおこなっていました。「被害者」の介護は、全体で7人。NPO法人の方針で、ヘルパー間で介護の方法などを相談することは許されず、通常であればヘルパーがおこなわない利用者の現金の取扱いも、何の指導やルールもなく、すべて利用者に言われるがままにおこなっていました。ヘルパーが利用者の現金をルールもなく取り扱えば、利用者の記憶違いなどにより、いつかは「窃盗事件」となることは想像に難くありません。
 安澤さんは一貫して無実を訴え、家族、友人・知人などにも支援の輪が広がり、国民救援会と相談を重ねています。
 安澤さんはお金を盗んではいません。日常の介護業務をおこなっていただけで、窃盗事件とは無関係です。

防衛医大教授冤罪事件

最高裁判例となった痴漢冤罪事件

 この事件のネーミングセンスは如何なものか、と思うが、最高裁判例となっている重要な事件である。

 私の上告趣意書にも、判例違反をいうものとして、当該判決書の補足意見を引用させていただいている。

 

 事件は、「被害者」である女子高校生が、被告人に下着の中に手を入れられ痴漢行為(下着の中に手を入れたとされるので、正しくは強制わいせつ行為)をされた、というものである。

 地裁判決書、高裁判決書が入手できないため、「事件」の詳細は不明であるが、判決書を読む限り、「事件」は、犯人性を争うものではなく、事件性を争うものである。

 つまり、最高裁が有罪判決を破棄していることから、「事件」は、「被害者」による虚偽申告であった、と認定されたことになる。

 

 このような「事件」でも、被告人は、無罪判決を得るまでに数年を要することになる。

 

 しかし、この「事件」、無罪判決をよく得られたものだ、と驚かされる。

  それくらい、最高裁判事の判決は立派である。

 以下、判決書、及び補足意見を引用する。

主 文
原判決及び第1審判決を破棄する。
被告人は無罪。
理 由
弁護人秋山賢三ほかの上告趣意は,憲法違反,判例違反をいう点を含め,実質は単なる法令違反,事実誤認,量刑不当の主張であり,被告人本人の上告趣意は,事実誤認の主張であって,いずれも刑訴法405条の上告理由に当たらない。
しかしながら,所論にかんがみ,職権をもって調査すると,原判決及び第1審判決は,刑訴法411条3号により破棄を免れない。その理由は,以下のとおりである。
第1 本件公訴事実及び本件の経過
本件公訴事実の要旨は,「被告人は,平成18年4月18日午前7時56分ころから同日午前8時3分ころまでの間,東京都世田谷区内の小田急電鉄株式会社成城学園前駅から下北沢駅に至るまでの間を走行中の電車内において,乗客である当時17歳の女性に対し,パンティの中に左手を差し入れその陰部を手指でもてあそぶなどし,もって強いてわいせつな行為をした」というものである。
第1審判決は,上記のとおりの被害を受けたとする上記女性(以下「A」という。)の供述に信用性を認め,公訴事実と同旨の犯罪事実を認定して,被告人を懲役1年10月に処し,被告人からの控訴に対し,原判決も,第1審判決の事実認定を是認して,控訴を棄却した。
第2 当裁判所の判断
1 当審における事実誤認の主張に関する審査は,当審が法律審であることを原則としていることにかんがみ,原判決の認定が論理則,経験則等に照らして不合理といえるかどうかの観点から行うべきであるが,本件のような満員電車内の痴漢事件においては,被害事実や犯人の特定について物的証拠等の客観的証拠が得られにくく,被害者の供述が唯一の証拠である場合も多い上,被害者の思い込みその他により被害申告がされて犯人と特定された場合,その者が有効な防御を行うことが容易ではないという特質が認められることから,これらの点を考慮した上で特に慎重な判断をすることが求められる。
2 関係証拠によれば,次の事実が明らかである。
(1) 被告人は,通勤のため,本件当日の午前7時34分ころ,小田急鶴川駅から,綾瀬行き準急の前から5両目の車両に,Aは,通学のため,同日午前7時44分ころ,読売ランド前駅から,同車両に乗った。被告人とAは,遅くとも,本件電車が同日午前7時56分ころ成城学園前駅を発車して間もなくしてから,満員の上記車両の,進行方向に向かって左側の前から2番目のドア付近に,互いの左半身付近が接するような体勢で,向かい合うような形で立っていた。
(2) Aは,本件電車が下北沢駅に着く直前,左手で被告人のネクタイをつかみ,「電車降りましょう。」と声を掛けた。これに対して,被告人は,声を荒げて,「何ですか。」などと言い,Aが「あなた今痴漢をしたでしょう。」と応じると,Aを離そうとして,右手でその左肩を押すなどした。本件電車は,間もなく,下北沢駅に止まり,2人は,開いたドアからホームの上に押し出された。Aは,その場にいた同駅の駅長に対し,被告人を指さし,「この人痴漢です。」と訴えた。そこで,駅長が被告人に駅長室への同行を求めると,被告人は,「おれは関係ないんだ,急いでいるんだ。」などと怒気を含んだ声で言い,駅長の制止を振り切って,車両に乗り込んだが,やがて,駅長の説得に応じて下車し,駅長室に同行した。
(3) Aが乗車してから,被告人らが降車した下北沢駅までの本件電車の停車駅は,順に,読売ランド前,生田,向ヶ丘遊園,登戸,成城学園前,下北沢である。
3 Aは,第1審公判及び検察官調書(同意採用部分)において,要旨,次のように供述している。
読売ランド前から乗車した後,左側ドア付近に立っていると,生田を発車してすぐに,私と向かい合わせに立っていた被告人が,私の頭越しに,かばんを無理やり網棚に載せた。そこまで無理に上げる必要はないんじゃないかと思った。その後,私と被告人は,お互いの左半身がくっつくような感じで立っていた。向ヶ丘遊園を出てから痴漢に遭い,スカートの上から体を触られた後,スカートの中に手を入れられ,下着の上から陰部を触られた。登戸に着く少し前に,その手は抜かれたが,登戸を出ると,成城学園前に着く直前まで,下着の前の方から手を入れられ,陰部を直接触られた。触られている感覚から,犯人は正面にいる被告人と思ったが,されている行為を見るのが嫌だったので,目で見て確認はしなかった。成城学園前に着いてドアが開き,駅のホーム上に押し出された。被告人がまだいたらドアを替えようと思ったが,被告人を見失って迷っているうち,ドアが閉まりそうになったので,再び,同じドアから乗った。乗る直前に,被告人がいるのに気付いたが,後ろから押し込まれる感じで,また被告人と向かい合う状態になった。私が,少しでも避けようと思って体の向きを変えたため,私の左肩が被告人の体の中心にくっつくような形になった。成城学園前を出ると,今度は,スカートの中に手を入れられ,右の太ももを触られた。私は,いったん電車の外に出たのにまたするなんて許せない,捕まえたり,警察に行ったときに説明できるようにするため,しっかり見ておかなければいけないと思い,その状況を確認した。すると,スカートのすそが持ち上がっている部分に腕が入っており,ひじ,肩,顔と順番に見ていき,被告人の左手で触られていることが分かった。その後,被告人は,下着のわきから手を入れて陰部を触り,さらに,その手を抜いて,今度は,下着の前の方から手を入れて陰部を触ってきた。その間,再び,お互いの左半身がくっつくような感じになっていた。私が,下北沢に着く直前,被告人のネクタイをつかんだのと同じころ,被告人は,私の体を触るのを止めた。」
4 第1審判決は,Aの供述内容は,当時の心情も交えた具体的,迫真的なもので,その内容自体に不自然,不合理な点はなく,Aは,意識的に当時の状況を観察,把握していたというのであり,犯行内容や犯行確認状況について,勘違いや記憶の混乱等が起こることも考えにくいなどとして,被害状況及び犯人確認状況に関するAの上記供述は信用できると判示し,原判決もこれを是認している。
5 そこで検討すると,被告人は,捜査段階から一貫して犯行を否認しており,本件公訴事実を基礎付ける証拠としては,Aの供述があるのみであって,物的証拠等の客観的証拠は存しない(被告人の手指に付着していた繊維の鑑定が行われたが,Aの下着に由来するものであるかどうかは不明であった。)。被告人は,本件当時60歳であったが,前科,前歴はなく,この種の犯行を行うような性向をうかがわせる事情も記録上は見当たらない。したがって,Aの供述の信用性判断は特に慎重に行う必要があるのであるが,(1) Aが述べる痴漢被害は,相当に執ようかつ強度なものであるにもかかわらず,Aは,車内で積極的な回避行動を執っていないこと,(2) そのことと前記2(2)のAのした被告人に対する積極的な糾弾行為と必ずしもそぐわないように思われること,また,(3) Aが,成城学園前駅でいったん下車しながら,車両を替えることなく,再び被告人のそばに乗車しているのは不自然であること(原判決も「いささか不自然」とは述べている。)などを勘案すると,同駅までにAが受けたという痴漢被害に関する供述の信用性にはなお疑いをいれる余地がある。そうすると,その後にAが受けたという公訴事実記載の痴漢被害に関する供述の信用性についても疑いをいれる余地があることは否定し難いのであって,Aの供述の信用性を全面的に肯定した第1審判決及び原判決の判断は,必要とされる慎重さを欠くものというべきであり,これを是認することができない。被告人が公訴事実記載の犯行を行ったと断定するについては,なお合理的な疑いが残るというべきである。
第3 結論
以上のとおり,被告人に強制わいせつ罪の成立を認めた第1審判決及びこれを維持した原判決には,判決に影響を及ぼすべき重大な事実誤認があり,これを破棄しなければ著しく正義に反するものと認められる。
そして,既に第1審及び原審において検察官による立証は尽くされているので,当審において自判するのが相当であるところ,本件公訴事実については犯罪の証明が十分でないとして,被告人に対し無罪の言渡しをすべきである。
よって,刑訴法411条3号により原判決及び第1審判決を破棄し,同法413条ただし書,414条,404条,336条により,裁判官堀籠幸男,同田原睦夫の各反対意見があるほか,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。なお,裁判官那須弘平,同近藤崇晴の各補足意見がある。

裁判官那須弘平の補足意見は,次のとおりである。
1 冤罪で国民を処罰するのは国家による人権侵害の最たるものであり,これを防止することは刑事裁判における最重要課題の一つである。刑事裁判の鉄則ともいわれる「疑わしきは被告人の利益に」の原則も,有罪判断に必要とされる「合理的な疑いを超えた証明」の基準の理論も,突き詰めれば冤罪防止のためのものであると考えられる。
本件では,公訴事実に当たる痴漢犯罪をめぐり,被害を受けたとされる女性(以下「A」という。)が被告人を犯人であると指摘するもののこれを補強する客観的証拠がないに等しく,他方で被告人が冤罪を主張するもののやはりこれを補強する客観的証拠に乏しいという証拠状況の下で,1審及び原審の裁判官は有罪・無罪の選択を迫られ,当審でも裁判官の意見が二つに分かれている。意見が分かれる原因を探ると,結局は「合理的な疑いを超えた証明」の原理を具体的にどのように適用するかについての考え方の違いに行き着くように思われる。そこで,この際,この点について私の考え方を明らかにして,多数意見が支持されるべき理由を補足しておきたい。
2 痴漢事件について冤罪が争われている場合に,被害者とされる女性の公判での供述内容について「詳細かつ具体的」,「迫真的」,「不自然・不合理な点がない」などという一般的・抽象的な理由により信用性を肯定して有罪の根拠とする例は,公表された痴漢事件関係判決例をみただけでも少なくなく,非公表のものを含めれば相当数に上ることが推測できる。しかし,被害者女性の供述がそのようなものであっても,他にその供述を補強する証拠がない場合について有罪の判断をする
ことは,「合理的な疑いを超えた証明」に関する基準の理論との関係で,慎重な検討が必要であると考える。その理由は以下のとおりである。
ア 混雑する電車内での痴漢事件の犯行は,比較的短時間のうちに行われ,行為の態様も被害者の身体の一部に手で触る等という単純かつ類型的なものであり,犯行の動機も刹那的かつ単純なもので,被害者からみて被害を受ける原因らしいものはこれといってないという点で共通している。被害者と加害者とは見ず知らずの間柄でたまたま車内で近接した場所に乗り合わせただけの関係で,犯行の間は車内での場所的移動もなくほぼ同一の姿勢を保ったまま推移する場合がほとんどである。このように,混雑した電車の中での痴漢とされる犯罪行為は,時間的にも空間的にもまた当事者間の人的関係という点から見ても,単純かつ類型的な態様のものが多く,犯行の痕跡も(加害者の指先に付着した繊維や体液等を除いては)残らないため,「触ったか否か」という単純な事実が争われる点に特徴がある。このため,普通の能力を有する者(例えば十代後半の女性等)がその気になれば,その内容が真実である場合と,虚偽,錯覚ないし誇張等を含む場合であるとにかかわらず,法廷において「具体的で詳細」な体裁を具えた供述をすることはさほど困難でもない。その反面,弁護人が反対尋問で供述の矛盾を突き虚偽を暴き出すことも,裁判官が
「詳細かつ具体的」,「迫真的」あるいは「不自然・不合理な点がない」などという一般的・抽象的な指標を用いて供述の中から虚偽,錯覚ないし誇張の存否を嗅ぎ分けることも,けっして容易なことではない。本件のような類型の痴漢犯罪被害者の公判における供述には,元々,事実誤認を生じさせる要素が少なからず潜んでいるのである。
イ 被害者が公判で供述する場合には,被害事実を立証するために検察官側の証人として出廷するのが一般的であり,検察官の要請により事前に面接して尋問の内容及び方法等について詳細な打ち合わせをすることは,広く行われている。痴漢犯罪について虚偽の被害申出をしたことが明らかになれば,刑事及び民事上の責任を追及されることにもなるのであるから(刑法172条,軽犯罪法1条16号,民法709条),被害者とされる女性が公判で被害事実を自ら覆す供述をすることはない。検察官としても,被害者の供述が犯行の存在を証明し公判を維持するための頼りの綱であるから,捜査段階での供述調書等の資料に添った矛盾のない供述が得られるように被害者との入念な打ち合わせに努める。この検察官の打ち合わせ作業自体は,法令の規定(刑事訴訟規則191条の3)に添った当然のものであって,何ら非難されるべき事柄ではないが,反面で,このような作業が念入りに行われれば行われるほど,公判での供述は外見上「詳細かつ具体的」,「迫真的」で,「不自然・不合理な点がない」ものとなるのも自然の成り行きである。これを裏返して言えば,公判での被害者の供述がそのようなものであるからといって,それだけで被害者の主張が正しいと即断することには危険が伴い,そこに事実誤認の余地が生じることになる。
ウ 満員電車内の痴漢事件については上記のような特別の事情があるのであるから,冤罪が真摯に争われている場合については,たとえ被害者女性の供述が「詳細かつ具体的」,「迫真的」で,弁護人の反対尋問を経てもなお「不自然・不合理な点がない」かのように見えるときであっても,供述を補強する証拠ないし間接事実の存否に特別な注意を払う必要がある。その上で,補強する証拠等が存在しないにもかかわらず裁判官が有罪の判断に踏み切るについては,「合理的な疑いを超えた証明」の視点から問題がないかどうか,格別に厳しい点検を欠かせない。
3 以上検討したところを踏まえてAの供述を見るに,1審及び原審の各判決が示すような「詳細かつ具体的」等の一般的・抽象的性質は具えているものの,これを超えて特別に信用性を強める方向の内容を含まず,他にこれといった補強する証拠等もないことから,上記2に挙げた事実誤認の危険が潜む典型的な被害者供述であると認められる。これに加えて,本件では,判決理由第2の5に指摘するとおり被害者の供述の信用性に積極的に疑いをいれるべき事実が複数存在する。その疑いは単なる直感による「疑わしさ」の表明(「なんとなく変だ」「おかしい」)の域にとどまらず,論理的に筋の通った明確な言葉によって表示され,事実によって裏づけられたものでもある。Aの供述はその信用性において一定の疑いを生じる余地を残したものであり,被告人が有罪であることに対する「合理的な疑い」を生じさせるものであるといわざるを得ないのである。
したがって,本件では被告人が犯罪を犯していないとまでは断定できないが,逆に被告人を有罪とすることについても「合理的な疑い」が残るという,いわばグレーゾーンの証拠状況にあると判断せざるを得ない。その意味で,本件では未だ「合理的な疑いを超えた証明」がなされておらず,「疑わしきは被告人の利益に」の原則を適用して,無罪の判断をすべきであると考える。

4 堀籠裁判官及び田原裁判官の各反対意見の見解は,その理由とするところも含めて傾聴に値するものであり,一定の説得力ももっていると考える。しかしながら,これとは逆に,多数意見が本判決理由中で指摘し,当補足意見でやや詳しく記した理由により,Aの供述の信用性にはなお疑いをいれる余地があるとする見方も成り立ち得るのであって,こちらもそれなりに合理性をもつと評価されてよいと信じる。
合議体による裁判の評議においては,このように,意見が二つ又はそれ以上に分かれて調整がつかない事態も生じうるところであって,その相違は各裁判官の歩ん+++6できた人生体験の中で培ってきたものの見方,考え方,価値観に由来する部分が多いのであるから,これを解消することも容易ではない。そこで,問題はこの相違をどう結論に結びつけるかであるが,私は,個人の裁判官における有罪の心証形成の場合と同様に,「合理的な疑いを超えた証明」の基準(及び「疑わしきは被告人の
利益に」の原則)に十分配慮する必要があり,少なくとも本件のように合議体における複数の裁判官がAの供述の信用性に疑いをもち,しかもその疑いが単なる直感や感想を超えて論理的に筋の通った明確な言葉によって表示されている場合には,有罪に必要な「合理的な疑いを超えた証明」はなおなされていないものとして処理されることが望ましいと考える(これは,「疑わしきは被告人の利益に」の原則にも適合する。)。
なお,当審における事実誤認の主張に関する審査につき,当審が法律審であることを原則としていることから「原判決の認定が論理則,経験則等に照らして不合理といえるかどうかの観点から行うべきである」とする基本的立場に立つことは,堀籠裁判官指摘のとおりである。しかし,少なくとも有罪判決を破棄自判して無罪とする場合については,冤罪防止の理念を実効あらしめるという観点から,文献等に例示される典型的な論理則や経験則に限ることなく,我々が社会生活の中で体得する広い意味での経験則ないし一般的なものの見方も「論理則,経験則等」に含まれると解するのが相当である。多数意見はこのような理解の上に立って,Aの供述の信用性を判断し,その上で「合理的な疑いを超えた証明」の基準に照らし,なお「合理的な疑いが残る」として無罪の判断を示しているのであるから,この点について上記基本的立場から見てもなんら問題がないことは明らかである。

裁判官近藤崇晴の補足意見は,次のとおりである。
私は,被告人を無罪とする多数意見に与するものであり,また,多数意見の立場を敷衍する那須裁判官の補足意見に共鳴するものであるが,なお若干の補足をしておきたい。
本件は,満員電車の中でのいわゆる痴漢事件であり,被害者とされる女性Aが被告人から強制わいせつの被害を受けた旨を具体的に供述しているのに対し,被告人は終始一貫して犯行を否認している。そして,被告人の犯人性については,他に目撃証人その他の有力な証拠が存在しない。すなわち,本件においては,「被害者」の供述と被告人の供述とがいわば水掛け論になっているのであり,それぞれの供述内容をその他の証拠関係に照らして十分に検討してみてもそれぞれに疑いが残り,結局真偽不明であると考えるほかないのであれば,公訴事実は証明されていないことになる。言い換えるならば,本件公訴事実が証明されているかどうかは,Aの供述が信用できるかどうかにすべてが係っていると言うことができる。このような場合,一般的に,被害者とされる女性の供述内容が虚偽である,あるいは,勘違いや記憶違いによるものであるとしても,これが真実に反すると断定することは著しく困難なのであるから,「被害者」の供述内容が「詳細かつ具体的」,「迫真的」で「不自然・不合理な点がない」といった表面的な理由だけで,その信用性をたやすく肯定することには大きな危険が伴う。この点,那須裁判官の補足意見が指摘するとおりである。また,「被害者」の供述するところはたやすくこれを信用し,被告人の供述するところは頭から疑ってかかるというようなことがないよう,厳に自戒する必要がある。
本件においては,多数意見が指摘するように,Aの供述には幾つかの疑問点があり,その反面,被告人にこの種の犯行(公訴事実のとおりであれば,痴漢の中でもかなり悪質な部類に属する。)を行う性向・性癖があることをうかがわせるような事情は記録上見当たらないのであって,これらの諸点を総合勘案するならば,Aの供述の信用性には合理的な疑いをいれる余地があるというべきである。もちろん,これらの諸点によっても,Aの供述が真実に反するもので被告人は本件犯行を行っていないと断定できるわけではなく,ことの真偽は不明だということである。
上告裁判所は,事後審査によって,「判決に影響を及ぼすべき重大な事実の誤認がある」(刑訴法411条3号)かどうかを判断するのであるが,言うまでもなく,そのことは,公訴事実の真偽が不明である場合には原判決の事実認定を維持すべきであるということを意味するものではない。上告裁判所は,原判決の事実認定の当否を検討すべきであると考える場合には,記録を検討して自らの事実認定を脳裡に描きながら,原判決の事実認定が論理則,経験則等に照らして不合理といえるかどうかを検討するという思考操作をせざるを得ない。その結果,原判決の事実認定に合理的な疑いが残ると判断するのであれば,原判決には「事実の誤認」があることになり,それが「判決に影響を及ぼすべき重大な」ものであって,「原判決を破棄しなければ著しく正義に反すると認めるとき」は,原判決を破棄することができるのである。殊に,原判決が有罪判決であって,その有罪とした根拠である事実認定に合理的な疑いが残るのであれば,原判決を破棄することは,最終審たる最高裁判所の職責とするところであって,事後審制であることを理由にあたかも立証責任を転換したかのごとき結論を採ることは許されないと信ずるものである。

裁判官堀籠幸男の反対意見は,次のとおりである。
私は,多数意見には反対であり,原判決に事実誤認はなく,本件上告は棄却すべきものと考える。その理由は次のとおりである。
第1 事実誤認の主張に関する最高裁判所の審査の在り方
1 刑訴法は,刑事事件の上訴審については,原判決に違法又は不当な点はないかを審査するという事後審制を採用している。上訴審で事実認定の適否が問題となる場合には,上訴審は,自ら事件について心証を形成するのではなく,原判決の認定に論理則違反や経験則違反がないか又はこれに準ずる程度に不合理な判断をしていないかを審理するものである。そして,基本的に法律審である最高裁判所が事実誤認の主張に関し審査を行う場合には,その審査は,控訴審以上に徹底した事後審査でなければならない。最高裁判所の審査は,書面審査により行うものであるから,原判決に事実誤認があるというためには,原判決の判断が論理則や経験則に反するか又はこれに準ずる程度にその判断が不合理であると明らかに認められる場合でなければならない。刑訴法411条3号が「重大な事実の誤認」と規定しているのも,このことを意味するものというべきである。
2 刑訴法は,第一審の審理については,直接主義,口頭主義を採用しており,証人や被告人の供述の信用性が問題となる場合,第一審の裁判所は,証人や被告人の供述態度の誠実性,供述内容の具体性・合理性,論理の一貫性のみならず,論告・弁論で当事者から示された経験時の条件,記憶やその正確性,他の証拠との整合性あるいは矛盾等についての指摘を踏まえ,その信用性を総合的に検討して判断することになるのであり,その判断は,まさしく経験則・論理則に照らして行われるのである。証人や被告人の供述の信用性についての上訴審の審査は,その供述を直接的に見聞して行うものではなく,特に最高裁判所では書面のみを通じて行うものであるから,その供述の信用性についての判断は,経験則や論理則に違反しているか又はこれに準ずる程度に明らかに不合理と認められるかどうかの観点から行うべ
きものである。
第2 事実誤認の有無
1 本件における争点は,被害者Aの供述と被告人の供述とでは,どちらの供述の方が信用性があるかという点である。
被害者Aの供述の要旨は,多数意見が要約しているとおりであるが,Aは長時間にわたり尋問を受け,弁護人の厳しい反対尋問にも耐え,被害の状況についての供述は,詳細かつ具体的で,迫真的であり,その内容自体にも不自然,不合理な点はなく,覚えている点については明確に述べ,記憶のない点については「分からない」と答えており,Aの供述には信用性があることが十分うかがえるのである。
多数意見は,Aの供述について,犯人の特定に関し疑問があるというのではなく,被害事実の存在自体が疑問であるというものである。すなわち,多数意見は,被害事実の存在自体が疑問であるから,Aが虚偽の供述をしている疑いがあるというのである。しかし,田原裁判官が指摘するように,Aが殊更虚偽の被害事実を申し立てる動機をうかがわせるような事情は,記録を精査検討してみても全く存しな
いのである。
2 そこで,次に被害者Aの供述からその信用性に対し疑いを生じさせるような事情があるといえるかどうかが問題となる。
(1) 多数意見は,先ず,被害者Aが車内で積極的な回避行動を執っていない点で,Aの供述の信用性に疑いがあるという。この点のAの供述の信用性を検討するに際しては,朝の通勤・通学時における小田急線の急行・準急の混雑の程度を認識した上で行う必要がある。この時間帯の小田急線の車内は,超過密であって,立っている乗客は,その場で身をよじる程度の動きしかできないことは,社会一般に広く知れ渡っているところであり,証拠からも認定することができるのである。身動き困難な超満員電車の中で被害に遭った場合,これを避けることは困難であり,また,犯人との争いになることや周囲の乗客の関心の的となることに対する気後れ,羞恥心などから,我慢していることは十分にあり得ることであり,Aがその場からの離脱や制止などの回避行動を執らなかったとしても,これを不自然ということはできないと考える。Aが回避行動を執らなかったことをもってAの供述の信用性を否定することは,同種痴漢被害事件において,しばしば生ずる事情を無視した判断といわなければならない。
(2) 次に,多数意見は,痴漢の被害に対し回避行動を執らなかったAが,下北沢駅で被告人のネクタイをつかむという積極的な糾弾行動に出たことは,必ずしもそぐわないという。しかし,犯人との争いになることや周囲の乗客の関心の的となることに対する気後れ,羞恥心などから短い間のこととして我慢していた性的被害者が,執拗に被害を受けて我慢の限界に達し,犯人を捕らえるため,次の停車駅近くになったときに,反撃的行為に出ることは十分にあり得ることであり,非力な少女の行為として,犯人のネクタイをつかむことは有効な方法であるといえるから,この点をもってAの供述の信用性を否定するのは,無理というべきである。
(3) また,多数意見は,Aが成城学園前駅でいったん下車しながら,車両を替えることなく,再び被告人のそばに乗車しているのは不自然であるという。しかしながら,Aは,成城学園前駅では乗客の乗降のためプラットホームに押し出され,他のドアから乗車することも考えたが,犯人の姿を見失ったので,迷っているうちに,ドアが閉まりそうになったため,再び同じドアから電車に入ったところ,たまたま同じ位置のところに押し戻された旨供述しているのである。Aは一度下車しており,加えて犯人の姿が見えなくなったというのであるから,乗車し直せば犯人との位置が離れるであろうと考えることは自然であり,同じドアから再び乗車したことをもって不自然ということはできないというべきである。そして,同じ位置に戻ったのは,Aの意思によるものではなく,押し込まれた結果にすぎないのである。
多数意見は,「再び被告人のそばに乗車している」と判示するが,これがAの意思に基づくものと認定しているとすれば,この時間帯における通勤・通学電車が極めて混雑し,多数の乗客が車内に押し入るように乗り込んで来るものであることに対する認識に欠ける判断であるといわなければならない。この点のAの供述内容は自然であり,これをもって不自然,不合理というのは,無理である。
(4) 以上述べたように,多数意見がAの供述の信用性を否定する理由として挙げる第2の5の(1),(2)及び(3)は,いずれも理由としては極めて薄弱であり,このような薄弱な理由を3点合わせたからといって,その薄弱性が是正されるというものではなく,多数意見が指摘するような理由のみではAの供述の信用性を否定することはできないというべきである。
3 次に,被告人の供述については,その信用性に疑いを容れる次のような事実がある。
(1) 被告人は,検察官の取調べに対し,下北沢駅では電車に戻ろうとしたことはないと供述しておきながら,同じ日の取調べ中に,急に思い出したなどと言って,電車に戻ろうとしたことを認めるに至っている。これは,下北沢駅ではプラットホームの状況についてビデオ録画がされていることから,被告人が自己の供述に反する客観的証拠の存在を察知して供述を変遷させたものと考えられるのであり,こうした供述状況は,確たる証拠がない限り被告人は不利益な事実を認めないことをうかがわせるのである。
(2) 次に,被告人は,電車内の自分の近くにいた人については,よく記憶し,具体的に供述しているのであるが,被害者Aのことについては,ほとんど記憶がないと供述しているのであって,被告人の供述には不自然さが残るといわざるを得ない。
(3) 多数意見は,被告人の供述の信用性について,何ら触れていないが,以上によれば,被告人の供述の信用性には疑問があるといわざるを得ない。
4 原判決は,以上のような証拠関係を総合的に検討し,Aの供述に信用性があると判断したものであり,原判決の認定には,論理則や経験則に反するところはなく,また,これに準ずる程度に不合理といえるところもなく,原判決には事実誤認はないというべきである。
第3 論理則,経験則等と多数意見の論拠
多数意見は,当審における事実誤認の主張に関する審査について,「原判決の認定が論理則,経験則等に照らして不合理といえるかどうかの観点から行うべきである」としている。この点は,刑訴法の正当な解釈であり,私も賛成である。しかし,多数意見がAの供述の信用性に疑いを容れる余地があるとして挙げる理由は,第2の5の(1),(2)及び(3)だけであって,この3点を理由に,Aの供述には信用性があるとした原判決の判断が,論理則,経験則等に照らして不合理というにはあまりにも説得力に欠けるといわざるを得ない。
多数意見は,Aの供述の信用性を肯定した原判決に論理則や経験則等に違反する点があると明確に指摘することなく,ただ単に,「Aが受けたという公訴事実記載の痴漢被害に関する供述の信用性についても疑いをいれる余地があることは否定し難い」と述べるにとどまっており,当審における事実誤認の主張に関する審査の在り方について,多数意見が示した立場に照らして,不十分といわざるを得ない。

裁判官田原睦夫の反対意見は,次のとおりである。
私は,多数意見と異なり,上告審たる当審としての事実認定に関する審査のあり方を踏まえ,また,多数意見が第2,1において指摘するところをも十分考慮した上で,本件記録を精査しても,原判決に判決に影響を及ぼすべき重大な事実誤認がある,と認めることはできないのであって,本件上告は棄却すべきものと考える。
以下,敷衍する。
1 当審は,制度上法律審であることを原則とするから,事実認定に関する原判決の判断の当否に介入するについては自ら限界があり,あくまで事後審としての立場から原判決の判断の当否を判断すべきものである(最二小判昭和43.10.25刑集22巻11号961頁参照)。具体的には,一審判決,原判決及び上告趣意書を検討した結果,原判決の事実認定に関する論理法則,経験則の適用過程に重大な疑義があるか否か,あるいは上告趣意書に指摘するところを踏まえて記録を検討した場合に,原判決の事実認定に重大な疑義が存するか否か,及びそれらの疑義が,原判決を破棄しなければ著しく正義に反すると認めるに足りるものであるか否かを審査すべきこととなる。
2 本件は,被告人が全面否認し,物証も存しないところから,原判決の事実認定が肯認できるか否かは,被害事実の有無に関するAの供述の信用性及びAの加害者誤認の可能性の有無により決するほかない。そのうち加害者誤認の可能性の点は,一審判決が判示する犯人現認に関するAの供述の信用性が認められる限り,否定されるのであり,また弁護人からも加害者誤認の可能性を窺わせるに足る主張はない。そうすると本件では,Aの被害事実に関する供述の信用性の有無のみが問題となることとなる。
3 そこで,上述の視点に立って本件記録を精査しても,Aの供述の信用性を肯認した原判決には,以下に述べるとおり,その論理法則,経験則の適用過程において重大な疑義が存するとは到底認められないのである。
(1) Aは一審において証言しているが,その供述内容は首尾一貫しており,弁護人の反対尋問にも揺らいでいない。また,その供述内容は,一審において取り調べられたAの捜査段階における供述調書の内容とも基本的には矛盾していない。
(2) 多数意見は,Aの述べる公訴事実に先立つ向ヶ丘遊園駅から成城学園前駅に着く直前までの痴漢被害は相当に執ようで強度なものであるにもかかわらず,車内で積極的な回避行動を執っておらず,成城学園前駅で一旦下車しながら,車両を替えることなく再び被告人の側に乗車している点も不自然であるなどとしているが,Aは,満員で積極的な回避行動を執ることができず,また痴漢と発言して周囲から注目されるのが嫌だった旨,及び成城学園前駅で一旦下車した際に被告人を見失い,再び乗車しようとした際に被告人に気付いたのが発車寸前であったため,後ろから押し込まれ,別の扉に移動することなくそのまま乗車した旨公判廷において供述しているのであって,その供述の信用性について,「いささか不自然な点があるといえるものの・・・不合理とまではいえない」とした原判決の認定に,著しい論理法則違背や経験則違背を見出すことはできないのである。
(3) また,多数意見は,本件公訴事実の直前の成城学園前駅までの痴漢被害に関するAの供述の信用性に疑問が存することをもって,本件公訴事実に関するAの供述の信用性には疑いをいれる余地があるとするが,上記のとおり成城学園前駅までの痴漢被害に関するAの供述の信用性を肯定した原判決の認定が不合理であるとはいえず,他に本件公訴事実に関するAの供述の信用性を肯定した原判決の認定に論理法則違背や経験則違背が認められず,また,Aの供述内容と矛盾する重大な事実の存在も認められない以上,当審としては,本件公訴事実にかかるAの供述の信用性について原判決と異なる認定をすることは許されないものといわざるを得ない。
4 なお,付言するに,本件記録中からは,Aの供述の信用性及び被告人の否認供述の信用性の検討に関連する以下のような諸問題が窺える。
(1) Aの供述に関連して
Aの痴漢被害の供述が信用できない,ということは,Aが虚偽の被害申告をしたということである。この点に関連して,弁護人は,Aは学校に遅刻しそうになったことから,かかる申告をした旨主張していたが,かかる主張に合理性が存しないことは明らかである。女性が電車内での虚偽の痴漢被害を申告する動機としては,一般的に,①示談金の喝取目的,②相手方から車内での言動を注意された等のトラブルの腹癒せ,③痴漢被害に遭う人物であるとの自己顕示,④加害者を作り出し,その困惑を喜ぶ愉快犯等が存し得るところ,Aにそれらの動機の存在を窺わせるような証拠は存しない。
また,Aの供述の信用性を検討するに当たっては,Aの過去における痴漢被害の有無,痴漢被害に遭ったことがあるとすれば,その際のAの言動及びその後の行動,Aの友人等が電車内で痴漢被害に遭ったことの有無及びその被害に遭った者の対応等についてのAの認識状況等が問題となり得るところ,それらの諸点に関する証拠も全く存しない。
(2) 被告人の供述に関連して
本件では,被告人は一貫して否認しているところ,その供述の信用性を検討するに当たっては,被告人の人物像を顕出させると共に,本件当時の被告人が置かれていた社会的な状況が明らかにされる必要があり,また,被告人の捜査段階における主張内容,取調べに対する対応状況等が重要な意義を有する。
ところが,被告人の捜査段階における供述調書や一審公判供述では,被告人の人物像はなかなか浮かび上っておらず,原審において取り調べられた被告人の供述書及び被告人の妻の供述書等によって,漸く被告人の人物像が浮かび上がるに至っている。また,その証拠によって,被告人は,平成18年4月に助教授から教授に昇任したばかりであり,本件公訴事実にかかる日の2日後には,就任後初の教授会が開かれ,その時に被告人は所信表明を行うことが予定されていたことなど,本件事件の犯人性と相反すると認められ得る事実も明らかになっている。
また,近年,捜査段階の弁護活動で用いられるようになっている被疑者ノートは証拠として申請すらされておらず,被告人が逮捕,勾留された段階での被告人の供述内容,心理状況に関する証拠も僅かしか提出されていない。さらに,記録によれば,被告人の警察での取調べ段階でDNA鑑定が問題となっていたことが窺われるところ,その点は公判では殆ど問題とされていない。
(3) 仮に上記(1),(2)の点に関連する証拠が提出されていれば,一審判決及び原判決は,より説得性のある事実認定をなし得たものと推認されるが,以上のような諸問題が存するとしても,当審として原判決を破棄することが許されないことはいうまでもない。
検察官大鶴基成 公判出席
(裁判長裁判官 田原睦夫 裁判官 藤田宙靖 裁判官 堀籠幸男 裁判官
那須弘平 裁判官 近藤崇晴

煙石博さんの事件

最高裁で逆転無罪判決

 元NHKアナウンサー煙石博さんも冤罪に苦しんだ。

 最高裁が原判決を破棄して無罪判決を下すまで、約4年もの無実でありながら刑事被告人の立場に置かれた方だ。

 煙石さんは、「事件」当初からブログを綴られ、判決書、趣意書などのすべてが公開されてる。

 

 そんな煙石さんが、元東京高検黒川氏の辞職を受け、以下のようなことを記されていた。一部引用させていただく。

 私は、定年過ぎて、人生の最後で冤罪と言う悲劇を体験し、「警察・司法の世界が壊れている」と言う、本当に嫌な事を身を持って知る事となりました。この体験から、他にも多くの冤罪被害が出ていて、日本の司法の有罪率99%以上と言う数字は、それを物語っていると言う事も知りました。黒川検事と検察官の定年延長を巡っての国会でのやり取りを見ているうち、広島地裁、広島高裁で、私が受けた信じられない、ひど過ぎる裁きを思い出しました。私も、そんな嫌な事は忘れたいのですが、警察・司法への不信感は拭いきれず、再び冤罪への怒りが込み上げて、やり場のない思いでいます。私が経験した警察・司法の許されない真実の一端を思い返してみます。これは、今のままだと、私だけでは無い、誰の身にも降りかかって来ると言う大問題で、絶対に、他人事(ひとごと)ではありません。
 まず、私の冤罪事件は、警察官が、善良なる一市民の私を、常識で考えても有り得ない、筋も通らない犯行ストーリーをデッチ上げて、逮捕状もなく、私を逮捕して手柄にした事から始まりました。警察官がデッチ上げた犯行ストーリーは次の通りです。

 ◎私の住んでいる町内の、いつも出入りしていた、広島銀行大河支店の狭いロビーの記帳台に、女性が置き忘れた?とする封筒を、私が盗って、数歩、歩いた場所で、中の66,600円(現金だけ)を抜き取り、そのあと、わざわざ元の記帳台まで歩いて行って、元の記帳台の同じ場所に、税金の納付書が残った封筒を戻したと言うものです。これらの事を、狭い銀行で、行員やお客さんのいる衆目の中で行ったというのです。

 ※お金を盗ろうとすれば、まず、発見した封筒を手にして中を覗いて、お金があると言う事を確認しなければ、盗ろうという動機は起きないのに、後に見せてもらった防犯カメラの映像には、勿論、そんな場面はありません。また、金を盗るのであれば、封筒ごと全部盗って帰るし、わざわざ証拠にもなる封筒を記帳台まで歩いて行って、戻して帰りません。しかも、その封筒には、私の指紋は、検出されていません。私は、その後、前もって払い出しをお願いしていた500万円を受け取って帰宅したというものです。

◎逮捕状も無く逮捕されて、広島県警南警察署の留置場に入れられましたが、取り調べは、とても取り調べと言うものでは無く、私が盗っていない事を、声がかれる程、一生懸命に説明し訴えましたが、全く耳を貸さず、刑事は「防犯カメラの映像に盗った所が映っている。証拠は沢山ある。」と、強調しながら、映像を私に見せる事なく、28日間も、留置場に入れて精神的苦痛を与え、机を叩き、威嚇して、ひたすら、盗っていないのに盗った事を強引に認めさせようと、自白を迫るばかりでした。

 ◎警察官は、初めから、盗ったお金を「左手で左胸のポケットにねじ込んだ。」としたが、銀行に着て行ったシャツは、左胸にポケットの無いシャツである事が、防犯カメラの映像で確認出来ました。結局、裁判では、盗ったお金を、どこにどうしたかについては、一切触れないで、初めから、警察官のデッチ上げたストーリーを鵜吞みに、論理矛盾を隠そうとするもので、非科学的で理屈の通らない有罪ストーリーを正しいと認め、有罪へのエスカレーターに乗せられた様な壊れたものでした。「警察・司法」の組織に自浄能力が無い事なのか…。こんな事はあってはなりません。悪い刑事の、卑劣で執拗な自白の強要に負けそうになりながら耐え、自白も、示談もしないで、裁判する事に決めた後、証拠の防犯カメラの映像の一部、数秒間の物を、数カット見せられましたが、何が何でも、自白させる(お金を盗っていない私に、盗ったと言わせる)為に、修正したのではないかと思える映像もありました。※盗った証拠も無いのに、私を犯人にデッチ上げようとした刑事、数名に、何のおとがめも無いと言うのも、納得出来ません‼

 ◎さらに、広島地検の検事には、私が盗っていない事を必死に訴えましたが、「煙石さん、お金を盗ったか盗らないかは別にして、66,600円にイロを付けて、10万円払えば済む事です。」(のちに、「きりのいいところで10万円払えば…」と、表現を変えた様にも思いますが…。)又、この検事は、「私は、何回も防犯カメラの映像を見ましたが、あなたは、お金を盗っています。」と、自信たっぷりに説明し、私には防犯カメラの映像を見せる事なく、示談を迫るばかりでした。しかも、この検事は、私に示談を迫ったあと、私の家族と接見し、家族にも、防犯カメラの映像を見せる事なく、(お金を盗っている映像は無いのに)「私は、何回も防犯カメラの映像を見ましたが、お金を盗っているのは間違いありません。」と、説明して、身振り手振りで、この様にしてお金を盗んでいますと、大ウソをついて騙し、示談する方向に誘導しました。
 ※後に、裁判になって、防犯カメラの映像を公開してもらいましたが、私がお金を盗っている確たる場面はありませんでしたから、見せなかったという事です。

◎結局、広島地裁では、防犯カメラの映像にお金を盗っている映像が無いので、封筒に私の指紋がついていないのは、「封筒に指紋がつかない事がある。」とし、「封筒があった記帳台の上面に触れたのは、被告人、煙石だけだから、煙石が、お金を盗ったと、強く推認する。」として、懲役1年執行猶予3年と言う、あり得ない有罪判決が出されました。怒り‼(※防犯カメラの映像は、後に弁護士さんが専門の鑑定会社に頼んで鑑定してもらうと、私が、封筒に触れていない事が証明されました。)

 ◎そして、広島高裁では、「防犯カメラの死角をついて金を盗った」として、地裁と同じ有罪判決。これについては、狭い銀行の、数台ある防犯カメラの、ⒶカメラからⒷカメラへ移動する間、なぜか、私の姿が映っていない1秒間があったのは確か…。しかし、専門会社が、狭い銀行内の防犯カメラを設置する時、そう言う空白は作らない様にすると思いますし、私が映っていない1秒の時間があった事に加えて、その1秒でお金を盗ったと推認された事が…腑に落ちません。しかし、1秒の空白がある映像でも、それを見ると、私は、ただ自然に歩いているだけの動作しかしておらず、この1秒に、金を盗って隠す様な仕草を推定する事は無理。とにかく、1秒では、お金を抜き盗って、隠す事は出来ません。

 話は、初めに戻りますが、コロナ問題で大変な時に提出された、黒川検事長を絡めての、検察官の定年を巡る問題は、不透明で、納得出来そうもなく…クローズアップされる形となった黒川検事長は、新聞記者と賭けマージャンをしていた事で、辞意を表明。これで幕を引く様な問題では無さそう…しかし、彼が、これまでにどんな仕事をして来たか、その一部を、新聞やTV、ネット記事で見ると…一般国民には納得し兼ねるものが幾つもあり、その大きな不信感に、冤罪の被害に遭って、人生も、多くの友人・知人を失った私も、憤りを覚える所です‼・・・いささか疲れました。マグマの様にたまっていた怒りが、又、又、爆発したもので…お許し下さい。

  最高裁判事は、検察官出身の判事を除く全員一致で、不合理な原判決を正し、煙石さんの当然の主張を認めた。

 防犯カメラの死角の1秒の間で、封筒からお金を抜きとったとか、封筒にお金を確かに入れたという「被害者」証言は(それを証明する客観事実が存在しないにかかわらず)信用できるとか、常識とはかけ離れた理屈を悉く正したのである。

 

 冤罪被害者は、刑事被告人である限り、間違いなく感情を押し殺して生きている。

 精神を安定させる方法がこれしかないからであろう。

 

 しかし、煙石さんが記されているとおり、警察や検察の不祥事、無罪判決のニュースを見ると、「マグマ」として噴出することがある。

 共感できる記事であったので、引用させていただいた。

 

 世の中、こんな不合理な「事件」が多々起こっているのです。

 参考として、最高裁判決文を掲載しておきます。 

主 文
原判決及び第1審判決を破棄する。
被告人は無罪。
理 由
弁護人久保豊年の上告趣意は,憲法違反,判例違反をいう点を含め,実質は事実誤認,単なる法令違反の主張であり,被告人本人の上告趣意は,事実誤認の主張であって,いずれも刑訴法405条の上告理由に当たらない。
しかしながら,所論に鑑み,職権をもって調査すると,原判決及び第1審判決は,刑訴法411条3号により破棄を免れない。その理由は,次のとおりである。
第1 本件公訴事実並びに第1審判決及び原判決の各判断
1 本件公訴事実の要旨は,「被告人は,平成24年9月24日午前9時22分頃,広島銀行○○支店(以下「本件支店」という。)において,客の女性Aが同店内の記帳台の上に置いていた現金6万6600円及び振込用紙2枚在中の封筒1通を窃取した」というものである。
2 第1審判決は,(1)本件前日の夜,手持ちの封筒(以下「本件封筒」という。)の中に振込用紙2枚とともに現金6万6600円を入れたとするB(Aの母親)の証言,及び本件当日の朝,出掛ける前に,本件封筒の中に現金が入っていることを確認したとするAの証言の各信用性を肯定して,Aが本件封筒を記帳台上に置き忘れた時点でその中に現金6万6600円が在中していたとの事実を認定し,(2)本件支店に設置された防犯カメラの映像によれば,Aが本件封筒を置き忘れてから,本件支店の行員が記帳台上に置き忘れられた本件封筒(現金の在中していないもの)を発見するまでの間に,本件封筒から現金を抜き取ることが可能であったのは,Aと同じ記帳台を利用した被告人しかいないとして,公訴事実どおりの犯罪事実を認定し,被告人を懲役1年,3年間執行猶予に処した。
3 被告人からの控訴に対し,原判決は,第1審判決の認定を是認して,控訴を棄却した。
第2 当裁判所の判断
1 原判決の認定及び関係証拠によれば,次の事実が明らかである。
(1) 本件支店は,比較的小規模な店舗であり,A及び被告人が利用した記帳台(以下「本件記帳台」という。)は,行員の常駐するカウンターの目の前にある。また,本件記帳台の後方(カウンターの反対側)には来店客用の長椅子が設置されていた。さらに,本件支店内には複数の防犯カメラ(店内の様子を毎秒1コマ単位で記録するもの)が設置されており,店内における顧客等の動静は,いずれかのカメラによりほとんど漏れなく記録される仕組みとなっていた。
(2) Aは,本件当日午前9時17分頃本件支店に来店し,本件記帳台で作業した後,午前9時20分頃本件記帳台を離れたが,その際,本件封筒を本件記帳台上に置き忘れた。
(3) 被告人は,Aが本件記帳台を離れた直後頃本件支店に来店し,午前9時22分頃まで本件記帳台で作業した後,本件記帳台を離れ,発券機で番号票を取り,ATMコーナーで通帳に記帳し,カウンターで行員に預金の払戻手続を依頼するなどした後,午前9時24分頃本件記帳台付近に戻り,10秒間ほど,右手を本件記帳台の上に置いた状態でその側に立っていた。その後,被告人は本件記帳台を離れ,午前9時31分頃預金の払戻しを受けて本件支店を退店するまでの間,本件記帳台に近づくことはなかった。その当時,本件支店内には,相当数の行員と来店客がおり,来店客の中には,本件記帳台の後方に設置された長椅子に座っていた者もいた。また,被告人は,この間に2名の知人に出会い,会話を交わしている。
(4) 被告人の退店後,本件支店の行員が,本件記帳台上に置かれた本件封筒を発見したが,その時点で,本件封筒内には,三つ折りにされた振込用紙2枚のみが在中しており,現金は在中していなかった。この間,本件記帳台を利用したのは,Aと被告人の2名だけであった。
2 原判決及び第1審判決を是認できない理由
(1) 前記のとおり,第1審判決は,A及びBの各証言に基づき,Aが本件記帳台上に本件封筒を置き忘れた時点で本件封筒の中に現金6万6600円が在中していたとの事実を認定し,これをいわば動かし難い前提として,被告人以外には現金を抜き取る機会のあった者がいなかったことを理由に被告人を有罪と判断したものであり,原判決は,その判断を是認したものである。
(2) Aが本件封筒を置き忘れた時点で現金が在中していたことを前提とすれば,防犯カメラの記録上,本件支店の行員以外に本件封筒に触れることのできた人物は,被告人しかいないから,必然的に被告人が窃盗に及んだと認定されることになる。しかしながら,本件封筒内に現金が在中していたとの前提をひとまずおいて,他の証拠から被告人が本件封筒を窃取したと認定できるかどうかについてみると,本件では,そのような認定をちゅうちょせざるを得ない次のような事情が存在する。
ア 本件支店内の被告人の様子は,防犯カメラによってほとんど漏れなく記録されている。被告人が1回目に本件記帳台を離れる際,本件記帳台の上面から何かを取り上げたように見えるものの,それが記入済みの払戻請求書や預金通帳ではなく,本件封筒であるとは確認できない(なお,取り上げた物が何であるかに関する被告人の供述には変遷があるが,いずれも記憶に基づく供述というよりは,防犯カメラの映像上何かを取り上げたように見えることについての弁明というべきところ,そのような弁明に変遷があるからといって,取り上げた物が本件封筒であるとの推認が可能になるわけではないし,直ちに被告人の供述全般の信用性が損なわれるわけでもない。)。また,被告人が本件封筒を持ち歩いている場面や,その中から内容物を取り出す場面も確認できない(被告人がズボンの右ポケットに手を入れたり,シャツの左胸付近に何かを接触させたりする場面は確認できるものの,それが,本件封筒やその内容物をポケット等に出し入れする動作であるとは確認できない。)。そして,被告人が,本件記帳台に本件封筒を戻す場面も確認できない。
イ 本件封筒には,三つ折りの振込用紙2枚が在中していたところ,これを残して現金(Bの証言を前提とすれば紙幣12枚と硬貨2枚)のみを抜き取るには,複数の動作が必要であり,相応の時間を要すると考えられる。本件支店内に設置された防犯カメラは,毎秒1コマを記録する目の粗いものであり,かつ,被告人がATM機の前に立っている時間帯については,背後からの映像しかないものの,被告人がそのような動作をしているように見える場面は存在しない(原判決は,被告人がロビーとATMコーナーを往復する際の動作の一部や,ATM機を操作している際の被告人の手元等が防犯カメラの死角となっていることを指摘して,被告人には本件封筒から現金を抜き取り,これをポケット等に隠す機会があったと認められる旨説示するが,被告人がそのような動作をしているとみられる場面を具体的に指摘するものではない。なお,被告人が,本件支店内の防犯カメラの設置位置や死角を熟知していたと認めるべき事情はうかがわれないのであるから,たまたま防犯カメラの死角となる位置で現金を抜き取るなどした可能性を否定することはできないにしても,その可能性が高いなどとはいえない。)。
ウ そもそも,銀行に防犯カメラが設置されていることは公知の事実である上,行員や来店客の視線も意識せざるを得ない状況の中,本件封筒を窃取した者がいるとしても,わざわざその店舗内で本件封筒から現金を抜き取り,封筒だけを本件記帳台に戻すような行為をするとは考えにくい。被告人は,本件記帳台を離れてから預金の払戻しを受けて退店するまで,10分近く本件支店に滞在しており,そのような危険を冒すとは一層考えにくい。
(3) 以上は,被告人が本件封筒を窃取したとの認定を妨げる方向に強く働く客観的事情ということができる。このような事情が認められる以上,Aが本件封筒を置き忘れた時点で現金が在中していたとの前提を確実なものと考えてよいかどうかについて,特に慎重な検討を要するというべきである。本件では,A及びBの各証言の信用性評価が問題となり得るところ,以下のとおり,この点に関する第1審判決及び原判決の説示はいずれも説得的なものとはいえない。
ア 第1審判決は,Aの証言が一貫しており,迫真性があることや,AはBの指示により市県民税の納入を行うつもりで本件支店に赴いており,本件封筒の中に現金が在中していないのに,その事実に気付かず,振込用紙だけが入った封筒を持参したとは考え難いことなどを指摘して,Aの証言の信用性を肯定し,そうすると,本件封筒に現金を入れた旨のBの証言も十分に信用できると判断した。原判決は,以上に加えて,本件封筒に市県民税2か月分合計6万6600円分の振込用紙2枚が在中していたことや,本件封筒の表面に「66,600- ⑩⑪月分」と記載されていたことを指摘し,これらの事実は本件封筒に現金6万6600円を入れたとするBの証言と整合し,その信用性を高めるものであること,本件封筒に三つ折りの振込用紙2枚に加えて,紙幣12枚と硬貨2枚が入れられていた場合には,相応の重量及び厚みになるから,Bが本件封筒に現金を入れるのを忘れるなどしていたとしても,Aがそれに気付かないまま,本件封筒に必要な現金が入っていると思い込み,これを本件支店まで持参したとは考えにくいことを指摘して,第1審判決の判断を支持した。
イ 現金が在中しているのを確認したとの点に関するAの証言の要旨は,「本件当日の朝,処理を要する通帳等を入れていた専用のケースの中から本件封筒を取出し,通帳や固定資産税の冊子とともに輪ゴムでくくり,巾着袋に入れた上,かばんに入れて銀行に持参した。本件封筒の表には6万6600円と書かれており,中をのぞいたところ,1万円札が数枚と,千円札と,あと硬貨が入っているのが分かった。封筒の感触からもお金が入っていることが分かった。」というものであり,本件封筒から現金を取り出して数えたというものではない上,Aは,Bの指示で日常的に銀行振込み等の用務を行っていたというのであるから,仮に本件当日の記憶がなくても,上記のような証言をすることは容易といえる。したがって,上記のようなAの証言について,迫真性があるとしてその信用性を高く評価することは相当ではない。
ウ また,本件当日,Aが市県民税を納入する用務だけのために本件封筒のみを持ち出して外出したというのであれば,確かに現金の入っていない封筒を持参したとは考え難いし,現金が入っていないならば気付くはずであるとも考えやすい。しかし,本件では,Aは,本件支店において,市県民税を納入する用務の他に,預金を払い戻した上で固定資産税を納入する用務を予定しており,本件封筒の他に通帳や固定資産税の冊子を束ねて持参している上,預金の払戻しと固定資産税の納入については予定どおり実行する一方で,本件封筒については本件記帳台上に置き忘れ,市県民税を納入しないまま本件支店を退店し,Bからの連絡を受けて初めて本件封筒を本件支店に置き忘れたことに気付いたというのである。そうすると,市県民税等の納入を行うつもりで本件支店に赴いているのであり,かつ,現金が入れられていれば相応の重量と厚みになるのであるから,現金の在中していない,振込用紙だけが入った封筒を持参したとは考え難い,との評価も相当とはいえない。また,原判決の認定によれば,Aは,通帳及び固定資産税の冊子と一緒にされた束の中から,相応な重量と厚みのある本件封筒だけを本件記帳台に置き忘れたことになる。その可能性の方が,現金の入れられていない封筒を持参した可能性よりも高い,などとはいえないであろう。
エ Bは,本件封筒に現金6万6600円を入れたことは間違いない旨証言するものの,入れた金種と枚数について,「いつもそうしているので,1万円札と千円札が各6枚,500円硬貨と100円硬貨が1枚であったと思う」旨述べていることから明らかなとおり,日常的にそうしているから,本件前日の夜も同じようにしたに違いないと考えて証言をしている可能性もある。また,本件封筒に入れたとする現金の出所については,個人で自由に使えるお金の中から出したと述べるのみで,それ以上に具体的な証言をしておらず,何らの裏付け立証もされていない。本件封筒に在中していた振込用紙2枚の合計金額が6万6600円であり,本件封筒の表面に「66,600- ⑩⑪月分」等と記載されている点も,6万6600円を入れようとしたことの裏付けになるとはいえても,実際に入れたことの裏付けになるわけではない。
オ 複数名の証言が一致していることは,通常,各証言の信用性を高め合うものといえるが,A,Bの関係性,とりわけAがBの指示で日常的に銀行振込み等の用務を行っていたことや,AとBが,本件封筒に現金は在中していなかった旨行員から知らされた直後に,現金を入れたかどうかを確認する会話をしていること等に照らすと,本件においては,A,Bの証言が一致していることを過度に重視することは相当でない。A,Bにおいては,上記の会話やその後のやり取りを通じ,他日の記憶と混同するなどして,事実と異なる記憶が定着してしまった可能性も否定できないというべきである。
(4) 以上のとおり,A及びBの各証言の信用性評価に関する第1審判決及び原判決の説示はいずれも説得的なものとはいえず,その他に各証言の信用性を高める方向に働く事情も見当たらない。要するに,A及びBの各証言は高い信用性を有するとまではいえないのであって,そのような証拠に依拠して,Aが本件記帳台上に本件封筒を置き忘れた時点で本件封筒の中に現金6万6600円が在中していたとの事実を認定し,これを動かし難い前提として,被告人以外には現金を抜き取る機会のあった者がいなかったことを理由に被告人を有罪と判断した第1審判決及びこれを是認した原判決の判断は,被告人が本件封筒を窃取したとの認定を妨げる方向に強く働く客観的事情を無視あるいは不当に軽視した点において,論理則,経験則等に照らして不合理なものといわざるを得ない。被告人が本件公訴事実記載の窃盗に及んだと断定するには,なお合理的な疑いが残るというべきである。
3 結論
そうすると,被告人に窃盗罪の成立を認めた第1審判決及びこれを是認した原判決には,判決に影響を及ぼすべき重大な事実誤認があり,これを破棄しなければ著しく正義に反すると認められる。
そして,既に検察官による立証は尽くされているので,当審で自判するのが相当であるところ,前記のとおり,本件公訴事実については犯罪の証明が十分でないから,被告人に無罪の言渡しをすべきである。
よって,刑訴法411条3号により原判決及び第1審判決を破棄し,同法413条ただし書,414条,404条,336条により,裁判官小貫芳信の反対意見があるほか,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。

 

034上告趣意書⑥

不合理な事実認定

 Aの「被害」に係る証言に信用性がないことは明白である。

 そして、裁判所は、Aが撮影した動画が一応「証拠」たり得る旨を以下のように判示しているが、不合理極まりない。

 以下、一部引用する。

2 本件動画(甲24)について

(1) 本件動画は公訴事実を否定する客観証拠であること

 控訴審判決は、以下のように判示している(下記①ないし④は本件動画から客観的に認定できる事実であり、争いのない事実である)。

① 本件動画によっては、(被告人の)右手が先にあったか分からない(7頁6行目)。

② 本件撮影時間を通じて、Aは手すり側(右手側)に若干自らの体を移動させたように見える(7頁12行目以下)。

③ 本件動画に、(被告人が)意図的に股間方向に手を動かす行為自体は見られない(7頁最下行)。

④ 被告人の右手の位置(手すりの最下部付近)はおおむね変わっていない(原判決8頁1行目以下)。

 控訴審判決が本件動画から客観的に認定した上記①ないし④の認定事実から自然に導かれる結論は、まさに、弁護人の主張のとおり、被告人の右手は終始手すりの所に固定されており、Aは体を手すり側に移動させ、自らの体を手すりの所に固定されていた被告人の右手に近づけた(被告人が故意にAの股間付近に右手を近付けたのではない)という事実である。

 本件動画は、「握った状態の右手を斜め上から下ろすようにして(ドアに正対していた)自分の股間に近づけてきて、右手を股間に押し付けるようにしてきた」とするA証言と矛盾するばかりか、判示第1の公訴事実を積極的に否定する客観証拠であり、被告人の無罪を裏付ける有力な客観証拠なのである。

 裁判所は「本件動画に、(被告人が)意図的に股間方向に手を動かす行為自体は見られない」と、被告人の故意を明確に否定し事実認定をしているのである。

 すなわち、Aの撮影した動画が迷惑行為の証拠にならないことを認定しているのである。しかも、A自身が、被告人の右手方向に体を移動させたことまで認定している。

 これらを踏まえれば、Aの自作自演を措くとしても、本件動画から犯罪事実の認定に不可欠な故意は認めることはできないはずである。

 もとより、既に述べた6月29日の「事件」の自作自演、9月「事件」でAが別人の写真を捜査機関に提出していたことを併せれば、Aの自作自演を疑うのが極めて合理的であるはずである。

不自然なAの行動

 また、本件動画撮影に際しても、Aの行動が極めて不自然であることも、上告趣意書で指摘してある。

 以下、一部引用する。

1 本件動画を精査するにあたって留意すべき背景

(1) 前記のとおり、Aの被害申告に至る経緯等についての証言は、客観的事実やAの証言自身と矛盾し、その信用性は皆無というべきである。だとすれば、これと一体となった、Aの被害申告(6月30日)以前に撮影された本件動画(甲24)の信用性の判断は、格別慎重に行われるべきは当然である。

(2) 本件動画撮影の経緯について見ると、母親から動画や写真等の証拠を集めるよう助言され、Aが証拠を撮影しなければならない状況下にあったことをA自身が認めている(A3頁、一審弁6の5頁)。

 しかし、Aは、母親から本件動画を撮影するよう指示されたことを供述していたのにも関わらず(一審弁6)、公判廷では一貫して否定している(A72)。この点につき、A証言が変遷する合理的理由は見出せず、看過できない事情であるというべきである。

(3) また 、本件動画撮影後、突如として被害が終息し、警察官の同行警乗が行われた際に判示第2及び第3事件が発生している(そして、Aは別人の写真(一審弁1)を被告人から被害に遭った写真として提出している)ことの不自然性も看過できない事情である。

(4) 以上を踏まえれば、本件動画は、「Aが母親から被害に遭っている証拠を催促され、何としても母親を納得させる映像を撮らねばならない状況に陥り、引くに引くことができなくなった結果、本件当日に、わざわざ被告人の後から、被告人の近くに乗り込み、本件動画として撮影した」との合理的疑いが生じるのである。

(5) そうすると、本件動画につき、不自然・不合理な点はないか等、その信用性の判断は、格別 慎重に行わなければならないといえる。

     (中略)

3 本件当日のAの行動が不自然・不合理であること

(1) Aが回避行動を執っていなことを控訴審は無視していること

ア 弁護人は、控訴趣意書で、本件当日Aが回避行動を執っていないことが不自然であることを指摘した。しかるに、控訴審判決はこの点につき、一切応答していない。

イ 本件動画の撮影当日の状況について見ると、Aは被告人の後から、わざわざ、ドア側にいる被告人の前に乗り込んできおり、α電車O駅に到着した際も、車両を変える等の回避行動を執っていない。

ウ 一方で、Aは、本件日時の7時24分に、友人に対し、「ミスって近いとこのってもーた」とのLINEを送っている(弁3)。前記LINE送信時刻は、α電車がO駅に到着し、Aの眼前のドアが開閉する時刻であるから、もし「ミスった」のであれば、すぐに場所を移動するのが自然である。

 しかし 、AはO駅で容易に回避行動を執ることが可能であったのに、何ら回避行動をとっておらず、東寺駅までその位置を維持しているのである(なお、O以降の停車駅のM駅、T駅でもA側のドアが開閉し、容易に回避行動をとることができた)。

エ Aの行動は、真に被害に遭った者として、あまりにも不自然であるといわねばならない。

(2) 本件日時のAのLINE履歴に迫真性がないこと

ア Aは、本件動画の被害につき、「握った状態の右手を斜め上から下ろすようにして自分の股間に近づけてきて、右手を股間に押し付けるようにしてきた」旨証言している(A7頁)。

 しかし、Aが友人に対し、本件当日にLINEで「今日はあんまりであった」旨送信していた点につき、「(触る強さが)いつもより少ないと思った」旨証言している(A40~41頁)。

  上記本件当日のLINE履歴は、Aの証言する被害態様と矛盾しているのである。

イ そして、Aは友人に対し、本件当日にLINEで「今日も痴漢に遭った」「爆笑」などと送信している(一審弁3、19時22分21秒の履歴)。

ウ Aの行動は、真に被害に遭った者として、切迫感に欠けるといわねばならない。

 動画撮影当日、Aは被告人の後から車両に乗り込んできている。

 A証言を前提とすれば、従前から執拗に被害に遭った人物の前にわざわざ乗り込んできているのである。しかも、友人に近くに乗ってしまった旨を送信しながら、乗車位置を変えないなど、Aの行動は不自然極まりない。

 最高裁はかつて同様の理由で、1審2審の有罪判決を破棄し、無罪判決を下したことがある。

 動画や警察証言が不合理である以上、本件の証拠は「被害者」とされるA証言しか存在しないのである。

 

 最高裁には、判例に照らして公正な判決を下していただきたい。

 

 

 

 

 

033上告趣意書⑤

被害申告そのものの虚偽

 A証言、警察官証言が不合理であること、Aがいう6月29日の「事件」が自作自演であることは、既に述べた。

 そもそもAの被害申告自体、客観事実に整合しない点が多々存在する。

 以下、上告趣意書から一部引用する。

 

本件の全体像(判示第1ないし3に共通する全体像)

A証言、警察官証言による「事件」の経過

 A証言や警察官証言を前提とすれば、本件の経過は以下のとおりとなる(なお、特に記載しない限り年号は平成30年とする)。

(1) 判示第1の事実について

・5月くらいから被害に遭った(A証言調書35頁、以下、「A35頁」等という)。

・いつもα電車で通学しており、α電車以外に乗るのは例外的であった(A63頁)。

・被害に遭ったのはいつも先頭車両である(A36頁)

・5月半ばに最初に両親に相談した(A3、36頁)。

・6月11日、13日に被害に遭った(A6、8、14頁)。

・6月11日に犯人の姿を撮影した(甲27写真①)。

・6月13日に被害の様子を撮影し(甲24)、友人には写真を撮影してもらった(甲27写真②及び③)。

・6月29日、帰宅途中に最寄り駅周辺で後を付けられた(A17、43頁)。

・6月30日、警察に被害申告をした(A50、51、74、75頁)。

・両親が警察に行き、自分は家で寝ていた。

・警察から呼ばれて自分も警察に行った。

・5月から6月30日までの期間に10回以上被害に遭った(A71頁)。

・6月30日以降、警察官の指示に従い通学時間を早めた(A52頁、西口29頁)。

 

(2) 判示第2及び第3の事実について

・8月下旬に、裏付け捜査として、警察官が被告人の行動確認を行った(弁18)。

・5月から9月までの期間に20回程度被害に遭った(A35、38、71頁)。

・9月20日、21日に警察官4名が、現行犯逮捕を目的に同行警乗を行い、2日間合計40分にわたって被告人の行動を注視したが、警察官は、被告人を現行犯逮捕しなかった(西口14、37頁、池田11頁)。

・警察は、Aの供述調書を作成せず、目撃した警察官らの供述調書も作成せず、捜査報告書も作成しなかった。

・9月25日、警察は、判事第1の事実につき、被告人を通常逮捕した。

 

A及びA証言全体の信用性についての控訴審判決の誤り

(1) 客観的事実との矛盾を軽視したことの誤り

・前記のとおり、Aは6月まで10回以上、9月まで20回程度被害に遭ったと証言しているが、関係証拠に照らせば、A証言は、明らかに客観的事実に反するものである。以下、順に論じる。

・まず、Aは証人尋問において、いつも通学で利用し被害に遭ったとするα電車に乗っていない日があることを認め、さらに、被害に遭っていない日をLINE履歴照らして具体的に証言した(A63~71頁)。A証言によって、Aが被害に遭っていない日が具体的に明らかになったのである。

 つぎに、被告人の出勤履歴等を精査すると、Aと被告人がα電車の先頭車両 で同乗する可能性が否定される日が存在することが明らかになった(被告人5回1~16頁)。

・以上の関係証拠を併せる(詳細に とりまとめたものを本書添付資料1に掲載する)と、5月から6月までの期間で、Aと被告人がα電車に同乗し、Aが被害に遭う可能性がある日は、5月10,14,22日 ,6月4日の4日のみである(Aが被害に遭ったと証言する6月11、13日を含めても、被害に遭う可能性があるのは6日である。なお、被告人は先頭車両以外にも乗車することがあると認められるところ(弁18)、前記指摘の4日については、被告人がα電車の先頭車両に乗車していたことは立証されていない)。

 そうすると、6月まで10回以上被害に遭ったというA証言は、明らかに客観的事実に反しており、到底信用できないというべきである。

・これに対し、控訴審判決は「回数については、そもそも弁護人のいうとおりであったかは必ずしも明らかでない上、感覚的なところもあり、・・・、A証言全体の信用性に影響しない」旨判示している(9頁)。

 しかし、前記のとおり、上記弁護人指摘のAが被害に遭っていない日は、AのLINE履歴や被告人の出勤記録等の客観証拠に照らして明らかになったものであり、その信用性は高いものである(なお、弁護人指摘のAが被害に遭う可能性がない日を定める根拠は、A証言[A63~71頁]及び被告人供述[被告人5回1~16頁]が示すところであるが、詳細は前記本書添付資料1を参照されたい)。

 そうすると、「回数については、そもそも弁護人のいうとおりであったかは必ずしも明らかでない」旨の判示は、証拠に基づかない認定であり、不合理であるといわねばならない。

 また、被害回数につき、Aは、「たくさん被害に遭った」などといった曖昧な表現ではなく、「6月までに10回以上及び9月までに20回程度被害に遭った」などと具体的な時期や回数を用いた表現で被害を申告しているのであって、A証言に「感覚的」な所は皆無であるというべきである。

(2) 自己矛盾を不問に付したことの誤り

・Aは、「6月30日の被害申告以降は警察の指示に従い、通学で乗る電車を早めた」旨証言している。従って、6月30日以降、判示第2、3の「事件」の日までは、被害に遭っていないのである。

・しかるに、Aは、9月までに20回程度被害に遭った(要するに7月以降に更に10回被害に遭った)旨証言しているのであって、「6月30日通学で乗る電車を早めた」とするA証言と、「7月以降に更に10回程度被害に遭った」旨のA証言とが自己矛盾している。

 そうすると、Aが、被害に遭うことがあり得ない時期の被害(存在しない被害)を創作し被害を申告していることは明らかであり、A証言は到底信用できないというべきである。

控訴審判決は「回数については、・・・感覚的なところもあり、記憶や表現が適切でないこともあり得るからA証言全体の信用性に影響しない」旨判示している(9頁)。

 しかし、7月以降に被害に遭っていないのにも関わらず、「9月まで20回程度被害に遭った(7月以降に更に10回程度被害に遭った)という証言は、存在しない被害を申告しているのであって、「(Aの証言する被害回数の)記憶や表現が適切でないことがあり得る」などといった判示で到底説明がつくものではないといわねばならない。

 上記A証言の矛盾は、Aが意図的に虚偽の被害を申告したものであるとしか合理的に説明できないのである。

(3) 不誠実な証言態度を不問に付したことの誤り

・Aは、「毎日同じ電車で通学しており、α電車以外に乗るのは例外的であった」旨証言している。しかし、前記のとおり、Aは、半数以上の日においてα電車を利用しておらず明らかに虚偽証言をしている(本書添付資料1)。A証言は信用できないといわねばならない。

・弁護人は、証人尋問において、AのLINE履歴等の客観事実に照らして、Aに対し証言内容の訂正を促したが、Aは自己の証言に固執した(A62~71頁)。このことは、「毎日のように被告人とα電車で同乗し、被告人から被害を受ける機会があった」ことを殊更に創作するAの不誠実な証言態度を如実に示しているのであり、Aは証人として不誠実であり、その証言はとうてい信用できないといわねばならない。

  このようにA証言は客観事実に整合しないどころか、虚偽であることは明白である。それにも関わらず、裁判所はA証言は全体として信用できる旨判示している。

 仮に上記のような点が被告人供述で発見された場合、裁判所は有無を言わず「被告人の供述は信用できない」と判示するだろう。

 

 日本の刑事裁判は公正な機能を果たしていないのである。

032上告趣意書➃

防犯カメラ映像さえ無視する裁判所

 警察が同行警乗する端緒は、被害申告前日に被害者Aが「(帰宅途中最寄り駅周辺で)私から後を付けられた」と母親に助けを求めた出来事にある。

 しかし、最寄り駅の防犯カエラ映像を確認すると、被害者が私の後方を歩いている様子が映り込んでいた。

 これは、私の無実を証明する証拠であり、一連の「被害」がAの虚偽申告であることを裏付ける決定的証拠でもある。

 それにも関わらず、裁判所は防犯カメラ映像を無視した不合理な事実認定を行った。

 以下、長くなるが、趣意書から一部引用する。

(1) 総論
 6月29日に被告人がAの後をつけたとされる出来事は、被告人がAを付け狙っていたことを決定的に印象づけるエピソードであるとともに、Aの両親が警察に被害申告に行く契機となった出来事である。
 ところが、この6月29日の「被告人に後をつけられた」というエピソードは、Aによる自作自演であった。実際には、Aは帰宅途中の電車で被告人を見かけ、Aが被告人をつけ回し、被告人の後をつけながら母親に電話をかけ、「被告人に後をつけられている」と虚偽を述べたのであった。
 控訴審判決は、6月29日のAの母親への電話が自作自演ではないと判断したが、この控訴審判決の判断は、客観証拠にも、検察官も争わない事実にも反し、Aの公判証言にも反しており、何ら証拠に基づかない前提事実の認定に基づいていた。
 かかる致命的な事実誤認が、Aの自作自演を否定するという誤判を招き、A及びA証言全体の信用性判断の誤りを招き、ひいては無実の被告人を有罪にするという重大な事実誤認を招いたのである。
(2) 1回目の母親への電話における自作自演
ア Aが母親に告げた内容
 6月29日、Aは、19時41分から約1分間、母親と1回目の電話をしている(甲4の写真17)。その内容は、「帰りの電車なんやけど、痴漢の犯人が同じ車両におる」、「駅のエスカレータ上がってるんやけど、(痴漢の犯人が)自分の後ろの方にいる」というものであった(甲14の7頁)。
イ 客観的事実
 他方、客観的事実としては、被告人が19時42分44秒に最寄駅の改札を出たのに対し(一審弁15)、Aはその直後の42分57秒の時点で未だ改札内におり、Aが携帯電話で母親と1回目の電話をしている様子が防犯カメラの映像に映っている(一審弁11の写真11)。
ウ Aの公判証言
 Aは、公判において、6月29日にAが電車を降りてエスカレータに乗ったときは、「(被告人は)前にいました」(A43頁)、「前にいたんは前にいました」(A73頁)と明確に証言した。
エ 自作自演であること
 以上からすると、1回目の電話の時点では、被告人はAの前にいたのであり、母親に対する「(痴漢の犯人が)自分の後ろの方にいる」という通話内容が虚偽であることは明らかである。
 つまり、Aの母親に対する「痴漢の犯人に後をつけられている」という被害申告は、自作自演であることが明らかである。
控訴審判決の致命的な誤り
 控訴審判決は「エスカレータでは後にいた被告人をAが先に行かせたため、改札ではAが被告人の後を歩いている形になったことが母親の供述に照らしても考えられる」と判示している(9頁最下行以下)。
 しかし、エスカレータで被告人がAの前にいた事実は、客観的事実から明らかである上、A自身が公判でも認め、検察官もこれを争っていない。
 他方、控訴審判決が示した「エスカレータでは後ろにいた被告人をAが先に行かせたため、改札ではAが被告人の後ろを歩いている形になった」という可能性は、前提である「エスカレータでは後ろにいた被告人」という状況が、客観的事実にも、争いのない事実にも、A証言にも反している。
 そして、何ら証拠に基づかない事実認定である。
 控訴審判決は「エスカレータで、被告人が前にいたのか、Aが前にいたのか」という重要な前提事実について、致命的な事実誤認を犯している。
(3) 2回目の母親への電話における自作自演
ア Aが母親に告げた内容
 Aは、19時45分から4分間(すなわち19時49分まで)母親と電 話をしている(甲4の写真17)。その際も、「先に行かせたけど、改札口のファミリーマートで立ち止まった。そやから、自分がまた先に行く形になってしまった。そしたら、後ろを付けてきた。」、「え、まじで。付いてきている。ちょっと待って、ちょっと待って。」等、被告人から後をつけられている旨を告げた(甲14の8、9頁)。
イ 客観的事実
 Aは、19時50分、母親に、被告人の車のナンバーをLINEで送信した(甲14添付資料3)。
 Aの2回目の電話は19時45分から19時49分までだから、電話を切った直後にLINEを送信したことになる。
ウ 自作自演であること
・2回目の電話でAは、「先に行かせたけど」、「また先に行く形になってしまった」などと述べている。つまり、1回目の電話の時点で「被告人がAの後ろにいた」ことを前提としている。
 しかし、前記(2)で詳述したとおり、1回目の電話の「被告人が後ろにいる」旨の被害申告がAの自作自演であったことは明らかである。
 2回目の電話においても、Aは「先に行かせたけど」と述べており、1回目の自作自演を踏まえた内容の被害申告をしている。これだけをみても、2回目の電話でAが母親に告げた「つきまとい被害」はAの自作
自演であることが強く推認される。
・Aが2回目の電話で母親に告げたのは「被告人に後ろを付けられている」旨だけであり、Aが被告人の後ろを付けたこと、被告人が車に乗るのを目撃したこと、車のナンバーを確認したことについては一切告げていない。このことは、母親は送信された車のナンバー「〇×〇×」が何のことか分からなかった事実(甲14の9頁)、及び、母親は電話を切った時点でAの身が危険であると感じて駅まで迎えにいった事実(既に被告人が車で
立ち去ったことを告げられていれば、電話を切った時点では危険が去ったことを認識できる)にも、裏付けられている。
 なお、Aは、「2回目の電話で、母親に対して、自分が被告人の後を付けていること、被告人が車に乗ったこと、被告人の車のナンバーは〇×〇×であることを告げた」旨を証言した(A74頁)が、上記の理由から、虚偽であると認められる。
・Aは、実際には自分が被告人の後ろをつけ回し、被告人が車に乗るのを確認し、車のナンバーまで確認していたのに、その最中でした母親への電話では、「え、まじで。付いてきている。ちょっと待って、ちょっと待って。」等と言って、被告人に後ろからつけ回されている旨を告げていたのである。
 したがって、2回目の電話でAが母親に告げた「痴漢の犯人に後をつけられている」という被害申告は、自作自演であることが明らかである。
エ A証言を前提にしても自作自演であること
・A証言を前提にしても、Aは改札口を出た後、そのまま歩いてスーパ
ーの駐車場で隠れたという。
 Aが最寄駅の改札を出たのは19時43分09秒(甲14の写真13)であり、Aが隠れたとされるスーパーの駐車場までは直線で約70メートルの距離である(弁19)。又、最寄駅の改札からスーパーの駐車場までの所要時間は、徒歩で約2分程度である(被告人5回32頁)。したがって、Aは、19時45分頃にはスーパーの駐車場に隠れたことになる。
 そして、Aは、スーパーの駐車場に隠れた後は、「被告人を見付けに戻っていった」、「証明写真を撮る機械のところで(被告人を)待っていた」と明確に証言している(A46頁)。
 つまり、19時45分から49分までの間、Aは、スーパーの駐車場に着いた頃に母親と2回目の電話を開始し、通話を継続しながら被告人を捜したり、証明写真を撮る機械のところまで移動したりした上で、被告人を待っていたということになる。
・そうすると、A証言を前提としても、2回目の電話の際(19時45分から49分)は、Aは駐車場に隠れていたか、被告人を待っていたか、被告人の後ろをつけて車に乗り込むのを見ていたことになる。つまり、2回目の電話の際(19時45分から49分)に、Aが被告人に後ろから後をつけられることはありえない。
 したがって、A証言を前提にしても、Aの2回目の電話の内容(今、痴漢の犯人に後から付けられている旨の通話内容)は虚偽であり、Aが「つきまとい被害」を自作自演したことが明らかである。
・ なお、直後の友人とのLINEやりとりを見ると、「朝痴漢する人が・・・おって」、「途中で逆にストーカーしたった」「爆笑」(弁3、19:53:31以降の履歴)であり、Aに切迫感は微塵も感じられない。「つきまとい被害」に遭い母親に助けを求めた直後のLINEとして、あまりにも不自然であるといわねばならない。
控訴審判決の誤り
 控訴審判決は、「母親への2回目の通話内容についても、Aが隠れたとされるスーパーの駐車場から改札までの直線距離をもって、電話があった午後7時45分以降に被告人から付けられているとAが述べるような状況があり得ないとはいえない」(控訴審判決10頁)旨説示した。
 しかし、午後7時45分から49分の電話の最中に、Aが母親に告げたような「つきまとい被害」が生じることはあり得ないことは既に述べたとおりであるし、午後7時50分にLINEで被告人の車のナンバーを送信していることからは、午後7時50分の時点で既に、被告人が車に乗って立ち去るのをAが目撃し、その際に車のナンバーを確認していたことが、動かし難い事実として認定できる。そうすると、控訴審判決が「あり得ないとはいえない」とする「午後7時45分以降に被告人から付けられてい
るとAが述べるような状況」は客観的に「あり得ない」のである。
 控訴審判決は、固い証拠から認定できる動かし難い事実に反するものであって、明らかに失当である。
(4) 控訴審判決の致命的なミスの原因(1回目の電話について)
 6月29日の出来事がAの自作自演であることは、Aの1回目の母親への通話内容が客観事実と合致しないことから優に認定できる。
 しかるに、控訴審判決は「エスカレータでは後にいた被告人をAが先に行かせたため、改札ではAが被告人の後を歩いている形になったことが母親の供述に照らしても考えられる」(9頁最下行以下)と判示し、被告人による「付きまとい」事件を認定した。
 この控訴審判決の致命的なミスの原因は、エスカレータの際の位置関係についてのA証言、「(被告人は)前にいました」(A43頁)、「前にいたんは前にいました」(A73頁)を見落としたことにある。
 すなわち控訴審は、“Aの「駅のエスカレータ上がってるんやけど、(痴漢の犯人が)自分の後ろの方にいる」旨を聞いたAの母親が、「後を付けられたら嫌やし、その痴漢の犯人に先に行かせとき」とAに助言をしたのだから(甲14の8頁)、改札の防犯カメラ映像には母親の助言を聞いた後の「Aが被告人の後を歩いている」様子が映り込んでいる”と判断したと考えられる。
 しかし、この判断は「駅のエスカレータで被告人が後ろにいる」旨の母親への通話内容が真実であることを前提としている点で、完全に間違っている。
 上述したとおり、エスカレータで被告人がAの前にいた事実は、客観的事実であり、争いのない事実であり、何よりもA自身が公判で明確に証言した事実なのである。
 したがって、本件証拠関係の下では、「エスカレータで被告人が後ろにいる」事実を真実と認めることは絶対にできないのである。
 控訴審判決は、Aの「エスカレータで被告人は自分の前にいた」旨の明確な証言(A43頁、73頁)を見落としたが、この致命的なミスが自作自演を見抜けないという重大な事実誤認を招いたのである。

 許しがたいのは、裁判所がAの最重要証言を見落としている点である。

 裁判所の職責は、証拠に基づき適正な事実認定を行うことにあるが、大阪高裁第2刑事部の裁判官(三浦・杉田・近道)はAの証言調書を読み込んでいない。

 ましてや、裁判長が若手裁判官の判決起案の誤りを瑕疵するなど職務怠慢である。

  私と弁護人は、相当な時間をかけ、「なぜ裁判所がこのような事実認定を行ったのか」ということを分析をしたが、「ミス」であるとしか考えられない結論に至った。

 

 日本の刑事司法の問題点は多々あるが、基本すらできていないのが実態であるとすれば、非常に恐ろしい(ちなみに、京都地裁の裁判官(戸崎)も、Aの証言調書を読まずに、Aが撮影した写真を友人が撮影したと誤判した)。

 

031上告趣意書③

合致しない証言を合致していると認定する裁判所

 Aの自作自演の可能性、警察官の偽証について上告趣意書で示したが、当然ながら両者の証言は合致しない。

 以下、趣意書から一部引用する。

 控訴審判決は、T駅以降の位置関係について、A証言と警察官N証言とが相互に符合しない点につき、「Aが西側を向いていたか、南側を向いていたかは微妙な違いともいえるのであって、いずれにせよ、被告人がAから見て右前の位置で、Aに対して、右手で股間に押し付けるようしてきた」旨説示する(控訴審判決16頁最下行)。
 しかしながら、Aは、「(一審検察官に対して2度にわたって)自分は西側を向いていた」旨証言し(A26頁)、Nは、「Aの顔は南側を向いていた」旨証言している(N34頁。なお、10月30日付の「同行警乗に基づく被疑者の犯行再現」と題する捜査報告書では、仮想Aは顔だけでなく体自体南側を向いている)。両者の供述内容を図示すると以下のようになる。

 (図省略)
 上記の図から一目瞭然であるが、A証言とN証言は、そもそも符合しないのである。
 控訴審判決は、この点につき、「微妙な違いともいえる」(控訴審判決16,17頁)旨説示し、両者の証言が符合する旨説示するが、この違いを「微妙な違い」だと評価することは社会通念から乖離しているし、「微妙な違い」だと強弁して両者の供述の信用性を救済するような事実認定手法は明らかに失当である。
 ましてや、「微妙な違い」があることを認めながら、「両者の供述が符合し相互に信用性を高め合っている」などと評価することは論理則にも経験則にも反するのであって、かかる控訴審判決の事実認定手法が誤判を招いたといわなければならない。

 控訴審判決は、O駅からT駅までの間で、Aが、「警察官が、手が届かないよう身体で塞いでくれた」、「被告人が(警察官の)手を払った」と証言しているのに対して、Nは全く証言していないことにつき、「Aが証言する警察官や被告人の動きが、それぞれどの程度意識的になされたのかなども判然としないものであり、A証言のこれらの点をN警察官が供述していなかったことから、A証言が信用できないとはいえない」旨説示した(控訴審判決17頁7行目以下)。しかし、Aの証言する警察官や被告人の動きが意識的でないとすれば、なぜAがそのように判断したのか説明がつかないのであって、控訴審判決の上記判断は経験則に反し、失当である。
 ところで、Aは、「(目で後ろを向くよう)警察官が言ってきたので、後ろを向きました」とも証言している(A24、59頁)。
 このAの証言を前提とすると、O駅からT駅の間では、AはNに背を向けたことになる。この動きをNが証言していないことの不自然性は際立っている。およそ合理的説明をつけることができない。
 それ以上に合理的説明をつけることができないのは、A証言を前提とすると、Nは、O駅からT駅の間は、Nに向かって背中を向けているAの股間付近を視認することは物理的に不可能である、という点である。
 この区間につきNは、「私の目線から遮るものはなかった」「被告人の手はずっと被害者の股間付近に位置していた」と証言している(N頁)。
 つまり、A証言とN証言は、両立が不可能なのである。
 一般常識を有する者ならば、両立が不可能な証言について「両者は符合する」と判断することはない。
 A証言とN証言は両立不可能なのだから、控訴審判決のように「両者は符合する」とか「相互に信用性を高め合っている」などと判断することはあり得ない。控訴審判決の事実認定手法は論理則にも経験則に著しく反している。

 このように証言が合致しないのにも関わらず、裁判官は両者の証言が合致するとして信用性を高めあっていると認定した。

 このような事実認定が許されるのが日本の刑事裁判の実態である。

 

030上告趣意書②

警察は偽証をしないという先入観

 それにしても、裁判所は、警察が偽証をしないという先入観に囚われすぎではないか。

 捜査官は、誤認逮捕をすれば失態であるから、当然公務員として責任は免れない。公判で自己保身に走る動機は大いにある。

 本件では、N警察官は、捜査段階で「現認できなかった」旨の捜査報告書を作成しているのにも関わらず、突如として公判で「手が当たったり離れたりしているのを見た」と供述を変遷させた。

 N警察官には、供述を変遷させなければならない動機が十分にある。

 すなわち、N警察官は、Aから被害に遭ったとされる証拠画像を受理し、それを証拠に通常逮捕に踏み切った。

 しかし、取り調べ段階で、その画像に映る人物が別人であることが判明してしまったのだ。

 N警察官は、誤った証拠に基づいて、通常逮捕を行ってしまったのである。

 N警察官は、これを隠蔽するために、同行警乗から1か月後に「目撃状況再現」なるものを行い、証拠を捏造した。

 以下の時系列を見れば、京都府警の捜査の不自然さは際立っている。

本件の捜査の客観的経緯は、以下のとおりである。

①6月30日、Aの両親が警察に被害申告をした(捜査の端緒)。

②8月下旬まで複数回、被告人の通勤を尾行して行動確認を実施した。

③9月20日及び21日、現行犯逮捕を目的として同行警乗を実施したが、現行犯逮捕をしなかった。

 両日について、A及び同行警乗した警察官の供述調書や実況見分調書等を作成しなかった。

④9月25日、判事第1の事実(6月事件)につき被告人を通常逮捕した。被告人が一貫して容疑を否認した。

⑤9月29日、判示第2,3の事実につきAの供述調書を作成した。

⑥10月24日 、Aが判示第2の事実の証拠として提出した本件写真(一審弁1)に写る人物が被告人とは別人であることが判明した。

⑦10月30日、警察官による「目撃状況再現」を実施した。

Aの自作自演を見抜けない警察、検察、そして常識から乖離する裁判所の判断

 この写真が別人であることはA自身認めている。

 しかし、裁判所は、このAの行為を自作自演と事実認定しない。

 上告趣意書には、以下のように記している。

(1) Aは別人の写真を捜査機関に提出し、被害を受けたと申告していたこと
ア 本件写真について争いのない点
 Aは、証拠を保全するために本件写真(一審弁1)を撮影したと主張している。本件写真はT駅以降に撮影されたものである(甲29、甲7照)。
 本件写真に写る白い半袖シャツの人物が被告人とは別人であることについては、現在では争いがない。
控訴審判決の明らかな誤り・その1
控訴審判決は、「弁護人は、Aが事件性を作出するために上記写真を撮影した旨主張するが、当該写真及びその写真についてのAの説明を見ても、Aの説明による「犯人」がAの股間部分を触っているようには解されないのであって、Aが事件性を作出するために撮影し、警察に提出したとは考え難いというべきである」旨説示する(控訴審判決15頁下から5行目以下)。
 しかし、控訴審判決の上記説示は、明らかに証拠及び裁判所に顕著な事実(身柄関係書類の記載、添付資料6)に反しており、失当である。
・ 本件写真にA自身が記入した説明には、Aが「犯人」とする人物の右手が接触しているように見える部分に「自分の股間の部分です」と明確に載されている(一審弁1)。
 このようにAは、警察に対して、本件写真が、①「犯人の手が自分の股間を触っている場面である」と説明し、また、②「自分が痴漢にあっている場面である」と説明していたことは、証拠上明らかである。
 したがって、控訴審判決の「Aが事件性を作出するために撮影し、警察に提出したとは考え難い」旨の事実認定は、明らかに間違っている。
 むしろ、実際には「犯人とされる者の手がAの股間に触れていない」写真を、「痴漢されている場面」として提出した事実は、「Aが事件性を作出した」ことの動かぬ証拠と認めなければならない。
・ ところで、控訴審判決の上記説示は、Aから本件写真の提出を受けた警察が、本件写真を現に痴漢が行われている場面を撮影した証拠として逮捕状に添付した事実、及びこれらの疎明資料に基づいて裁判官が逮捕状を発付した事実にも反するものである。
 すなわち、本件訴訟記録に綴られている判示第2及び第3の事実について裁判官が発付した平成30年10月15日付け逮捕状及び逮捕状請求書(本書添付資料6)に明記されているとおり、「被疑者が罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由」として、Aの同年9月29日付け供述調書(「(1) 司法警察員が録取した被害者の供述調書」)及び本件写真(「(2) 被害者から提出を受けた画像の記録」)が提出されている。

 そして、同供述調書には「この写真に写っている右側の白い半袖シャツを着ているのが犯人の男で、犯人の右手が自分の股間の部分を上から押し込むようにして触っている時のものです。」(控訴審弁3の10頁)と明記されている。
 以上の客観的事実から明らかなことは、少なくとも判示第2及び第3の事実について逮捕状が発付された時点では、警察及び裁判官は、「犯人が自分の股間を触っている瞬間の写真である」というAの説明を信用し、本件写真は現に痴漢が行われている写真であるとして、逮捕状請求及び逮捕状発付の証拠として用いたという事実である。
 要するに、本件写真(一審弁1)及びその説明をするA供述(控訴審弁3)並びに逮捕状が発付された事実(本書添付資料6)からは、警察及び裁判官が、Aが自作自演した痴漢被害の写真及びA供述に、まんまと騙されたことが判る。
 しかるに控訴審判決は、「当該写真及びその写真についてのAの説明を見ても、Aの説明による「犯人」がAの股間部分を触っているようには解されないのであって、Aが事件性を作出するために撮影し、警察に提出したとは考え難いというべきである」(15頁)などと判示しているのであって、明らかな事実誤認である。
・ なお、警察及び検察が、本件写真に写っている白い半袖シャツの人物が被告人とは別人であること、同人物はロングシートに座った状態であること、同人物の手がAの股間に当たっていないこと等を認識したのは、10月24日の検察官取調べにおいて被告人からその旨の指摘を受けたときである(本書添付資料7の3,4頁)。同日の検察官取調べにおいて、被告人は、本件写真(一審弁1)に写る人物が座っている状態であることを一見して指摘している。日常的に本件電車に乗っている者であるならば、本件写真に写る人物が立っているか座っているか即座に判断できるのであり、「立っているか座っているか直ちに判別できない」旨を判示してAの信用性を救済した控訴審判決(15頁16行目以下)は失当である。
控訴審判決の誤り・その2
・A供述は、以下のとおり、客観証拠である本件写真と矛盾する。客観証拠との矛盾であるから、少なくとも矛盾する部分はA供述が真実に反していると認めざるを得ない。
 A供述の客観証拠との矛盾(真実に反する供述)は、ありもしない被害を自作自演したことの結果として生じたものと考えるのが合理的である。
 ところが、控訴審判決の説示からは、かかる視点から検討した形跡まったく窺われない。「被害者の供述は信用できる」「被害者は嘘をつかない」という先入観にとらわれて、供述の信用性を慎重に吟味しようとする姿勢が欠如しているから、控訴審は真実を見抜けなかったのである。
・ Aは、判示第2の事実の被害につき、「右手を股間に押し付けるようにして痴漢されました」と証言した(A26頁)。
 Aは、「右手を股間に押し付けるようにして痴漢されました」と証言しているのであるから、Aが携帯電話を下に向け画像を撮影した場合、被害を受けている場面が映り込むと考えるのが経験則に適っている。また、A証言によればT駅からJ駅まで被告人の手が股間に当たっていたというのだから、Aが携帯電話を下に向けて画像を撮影した場合には、被告人の手が写り込まないことは考え難い。
 しかるに、本件写真はそのようなものとなっていない。Aが被害にあっている場面が写っていないだけでなく、被告人の右手すら写っていないのである。A証言は本件写真と根本的に矛盾している。
 客観証拠(本件写真)との矛盾が明らかになった以上、A証言の信用性評価は、慎重の上にも慎重にする必要がある。そして、本件写真との矛盾という事実から当然に導かれる「少なくともT駅からJ駅までの間ずっと股間を触られていた旨のA証言は信用できない」という結論に思いが至れば、A証言を安易に信用してはならないという発想が生まれるはずだし、本件痴漢被害がAによる自作自演の可能性があるという発想が生まれるはずである。
 ところが控訴審判決には、そのような姿勢がまったく窺われない。これでは真実を見抜くことなど不可能である。
・ T駅以降の位置関係につき、Aは、要旨、「東側に移動し、椅子の端のところで(進行方向を北とした場合)西側を向いていました」、「犯人は右前にいました」と証言している(A25、26頁)。
 しかしながら、本件写真に記載されたAの説明を前提にすると、Aは、「犯人」が座る東側ロングシート前に東側を向いて立っていたことになる。
 Aの「(T駅到着後)西側を向いて立っていました」との証言は、客観証拠(本件写真)と根本的に矛盾している。

 捜査段階で、この写真が別人であるこが発覚した時点で、慎重な捜査をすればいいだけの話である。しかし、警察や検察、裁判所に真実を追求する姿勢は窺えない。

 その他証拠を検討しても、Aの自作自演疑うべき事情は多数存在している。

 

 最高裁判所には、被告人を救済できる最後の砦として責任を果たしていただきたい。