『冤罪被害者』のブログ 

冤罪被害者の闘いを綴る

027上告趣意書の提出期限

最高裁から通知が届きました

 最高裁判所より以下の通知が届きました。

 提出期限に向けて趣意書作成を行っていきます。

上告趣意書差出最終日通知書  最高裁判所第一小法廷

 

 本件について、上告趣意書を差し出す最終日が、次のとおり指定されたので、通知します。

 最終日 令和2年5月13日

  担当法廷は、上記のとおり、最高裁判所第一小法廷となりました。

 公には知られていませんが、最高裁は小法廷の裁判官が最初に審理をするのではなく、調査官が書面に目を通し審理が必要と判断した場合に、上席調査官、最高裁裁判官の順に事件が回付されるようです。

 まずは調査官の目に留まる上告趣意書を仕上げることに注力いたします。

 

署名活動

 引き続き請願署名をよろしくお願いいたします。

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請願署名受入の御礼

請願署名の御依頼

 請願署名にご協力いただき御礼申し上げます。

 個人で署名を呼び掛けてくださっている方、各団体で署名活動にご理解をいただき、署名活動を行ってくださっている方、お時間を割いて下さりありがとうございます。

 皆様の一筆を最高裁判所にしっかりと届けたいと思います。

 4月24日(金)の一次集計まで、ご支援よろしくお願いいたします。

chng.it

 

大崎事件についてー第4次再審請求のクラウドファンディング

  第4次再審請求開始にあたって支援の呼びかけです。第3次再審請求は、地裁・高裁で再審が決まったのにも関わらず、最高裁がまさかの棄却決定。

 サイト内に掲載されている周防監督の言葉は非常に重いものです。

readyfor.jp

 

 日本の刑事裁判で冤罪事件は非常に多く、素人の私が公判経過、判決文を調べるだけでも、

 ・今市事件 ・恵庭OL殺人事件 ・筋弛緩剤点滴事件

などが挙げられます。

 そして、私の弁護人が担当されている「湖東記念病院事件」は、3月末漸く再審無罪が言い渡されようとしています。

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請願署名のお願い

請願署名のお願い

 本ブログをご覧いただき、ありがとうございます。

 2020年3月上旬より、「上告審の公正な裁判を求める請願署名のお願い」と題する書面と署名用紙の配布を開始いたしました。

 請願署名の御支援よろしくお願いいたします。

 

 以下のリンクより事件の詳細を御確認いただくことが可能です。

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ネット署名のお願い

chang,orgにてネット署名を行っております。

書面での署名と併せて、ネットへの御署名、シェアをよろしくお願いいたします。

 以下のキャンペーンに賛同をお願いします!「最高裁判所は無罪判決を下してください。」 https://t.co/PiqxCI8iSd @change_jpさんから

 

訂正とお詫び

請願署名の書面(裏面)に以下の誤植がありました。訂正をよろしくお願いいたします。

 

2 裁判所の判断

 裁判所は、

 ・ --- --- ---  --- --- 

 ・ ーーー ーーー 訂正前(Aが「自分が前にいた」ことを・・・)

           訂正後(Aが「自分が後にいた」ことを・・・)

 

その他

請願署名に関するご質問は、上記Twitter内DMをご利用ください。

 

026御依頼と控訴審判決文

支援者の皆様
訪問者の皆様

 以下のURLで、Twitter並びにchange.orgをはじめました。

 引き続き、署名サイトのシェアをよろしくお願いいたします。

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  また、高裁判決文について、精査をはじめました。

【N警察官の変遷】

    弁護人は、警察官は、被告人が「Aの股間に右手を押し当てていたかどうかを直接見ることはできませんでした」などと供述していたのに、被告人の手がAの股間部分に位置し、当たったり離れたりしていたと(公判になって突如)証言するのであって、供述は変遷しており、信用できない旨主張する。

 しかし、上記供述は、被告人がAの股間に右手を押し当てていたかどうかを目撃したかについて言及したものであるが、手がAの股間に当たっていたかどうかを目撃したかについては、直接言及していないと見る余地のある表現である。そうすると、警察官の証言の根幹部分の信用性を失うものではない。

【分析】

 不合理極まりない認定である。捜査報告書(署長押印がある公文書)には、「手がAに触れているか否か判然としなかった」と記載されている。しかし、高裁はその証拠を受け取らずに、「採用された証拠に基づかないものである」として、弁護側の主張を排斥している。

 

【被害回数の虚偽申告についての判決文】

 弁護人は、Aが9月までに約20回被害に遭ったというのは虚偽であるし、・・・Aの証言態度は不誠実である旨主張する。

 しかし、回数については、そもそも弁護人の主張するとおりであったかは必ずしも明らかでない上、感覚的なところも、記憶や表現が適切でないこともあり得るから、A証言全体の信用性に影響しないと言うべきである。

【分析】

 弁護人指摘の回数はLINE履歴に基づくもので、検察官も同意している。そして、Aはいつも私と同じ電車に乗り被害に遭ったと言うが、違う電車に乗っていた事実が判明している。同乗の機会は数日しかない。証人尋問で1日1日Aに問いただし、乗っていない日はAが認めている。

 Aは、6月まで10回程度被害に遭った、9月まで20回被害に遭ったと証言すると同時に、6月30日以降、同じ電車に乗っていないことを認めている。6月から9月にかけて10回被害が増えることはあり得ない。自己矛盾供述をしているのである。無い部分を有ったと言っているのである。

 仮に、裁判官のいうように、Aが「感覚的」に証言しているのであれば、適当に被害申告をしている証左であって、その信用性はないというべきであって、原判決の説示に合理性はない。何としてもA証言の信用性を維持しようとする裁判官の意思が垣間見える。

 

【あとを付けられた事件についての判決文】

 弁護人は、Aが被告人から追い掛けられたなどという出来事は、母親への1回目の通話内容(駅のエスカレータ上っているが、後ろに犯人がいる)は、・・・防犯カメラ映像によれば、被告人がAに先行していることに反していることから虚偽であると主張する。

 しかし、母親の警察官調書中のAから通話で聞いた内容は、一言一句正確であったとまではいえない。そして、防犯カメラ映像では、エスカレータでは後ろにい被告人をAが先行かせたため、改札ではAが被告人の後ろを歩いていることも考えられることからすれば、通話内容に反すると言えない。

【コメント】

 まず、母親の供述は調書であり、署名・捺印がなされている上、地裁判決においても否定していない。裁判官が、捜査機関の調書を主観で排斥し、都合のよいように解釈をしている。

 そして、エスカレータで入れ替わったという裁判官の勝手な想像であるが、Aは証人尋問で、弁護人に対し、「エスカレータで犯人は前にいました」と明確に証言している。この証言を恣意的に排除し事実認定を行っている。 そこまでして「有罪」認定をしたいのかと憤りを覚える。

 

 

署名等の御依頼

支援者の皆様

訪問者の皆様

 

 以下のURLで、Twitter並びにchange.orgをはじめました。

 御支援下さいますようよろしくお願いいたします。

   特に事件の概要等、皆様の信頼できる方々に周知して戴けると幸いです。

 

 以下順に、署名サイト、事件の全容を記したブログのページのリンクです。

 御覧ください。

 

 

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025最高裁判例

 最高裁判所で「逆転無罪」となった事件で、千葉勝美判事は以下の補足意見を述べている。

 

 千葉裁判官の補足意見の一部(H23.7.25事件)

 一般に、被害者の供述は、それがいわゆる狂言でない限り、被害体験に基づくものとして迫真性を有することが多いが、そのことから、常に、被害者の供述であるというだけで信用できるという先入観を持ったり、他方、被告人の弁解は、嫌疑を晴らしたいという心情からされるため、一般には疑わしいという先入観を持つことは、信用性の判断を誤るおそれがあり、この点も供述の信用性の評価に際しての留意事項であろう。

 いうまでもなく、刑事裁判の使命は、まず、証拠の証明力等を的確に評価し、これに基づき適正な事実認定を行うことであり、証拠等を評価した結果、犯罪事実を認定するのに不十分な場合には当然に無罪の判決をすべきである。その意味で、裁判官は、訴追者側の提出した証拠が有罪認定に十分なものか否かといった観点から、公正かつ冷静に証拠の吟味をすべきであって、社会的、一般的な経験則や論理則を用いる範囲を超えて、自己の独自の知見を働かせて、不十分、不完全な証拠を無理に分析し、つなぎ合わせ、推理や憶測を駆使してその不足分を補い、不合理な部分を繕うなどして証明力を自らが補完して、犯罪の成立を肯定する方向で犯罪事実の認定を行うべきものでないことは当然である。この点は、異論のないところであろうが、我々として、常に自戒する必要があるところであろう。

 供述の信用性が大きな争点となる事件において、多くの場合、信用性の吟味に際しては、供述内容に一貫性があるか、反対尋問にも揺らいでいないか、証言態度が真摯なものであるか、内容に迫真性があるか、虚偽の供述をする合理的な動機があるか等が判断の要素となると指摘されている。これらの点は、当然、重要な判断要素であり、その吟味が有用であることは疑う余地はない。これは、証人尋問を直接行った第1審での判断が基本的に尊重されるべきであるとされるゆえんでもある。 しかしながら、これらは、供述者の証言態度等についてのものであるから、常に的確な判断ができるかは、刑事裁判のみならず、民事裁判においてもしばしば問題になるところであり、供述態度が真摯で供述内容に迫真性を有し、いかにも信用性が十分にありそうに見えても、書証等の客観的証拠や事実と照らして、そうでないことに気付かされることもあるのであって、慎重で冷静な検討が常に求められる事柄である。特に、本件のような、客観的で決定的な証拠が存在しない場合には、上記の観点から信用性を肯定し一気に有罪認定することには、常に危険性が伴うことに留意する必要がある。

 

 高裁判決文の謄本が手元に届いていないが、弁護人の論理則・経験則違反を指摘した事由は、裁判官が、「社会的、一般的な経験則や論理則を用いる範囲を超えて、自己の独自の知見を働かせて、不十分、不完全な証拠を無理に分析し、つなぎ合わせ、推理や憶測を駆使してその不足分を補い、不合理な部分を繕うなどして証明力を自らが補完して、犯罪の成立を肯定する方向で犯罪事実の認定を行った」ものであるとしか思えない杜撰なものであった。

 上記最高裁判例に著しく反するものであると強く感じている。

 

 判決謄本が届き次第、掲載させて戴くこととする。

 

 

024控訴棄却

 2020年2月21日の控訴審判決。

 大阪高裁第2刑事部(三浦透裁判長)は、原判決は概ね相当であるとして、控訴を棄却しました。

 

 弁護側の証拠を踏まえることなく、原判決を一層不合理なものにした判決となりました。

 

 今後、上告審に向けて準備をすすめていきたいと思います。

 御支援よろしくお願いいたします。

 

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逆転無罪の事実認定

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023控訴趣意④

 Aは、6月事件で動画、9月事件で画像を「証拠」として提出している。

 この点の控訴趣意は以下のとおりである。

 なお、9月事件については、Aは「別人の画像(弁1)を間違って提出したこと」を公判廷で認め、明確に証言している。

 しかし、原判決は不合理な認定を行い、A証言を救済している。

 6月事件の原判決の不合理な事実認定を併せて掲載する。

 

〔6月事件〕

原判決の認定したA及び被告人の立ち位置等を前提とすると、被告人の右手をAの陰部付近に接近させることは客観的に不可能であること

1 原判決の認定した前提事実
 原判決の認定した事実のうち、本件動画(甲24)から客観的に認定でき、かつ、弁護人も争わない事実は以下のとおりである。
 ア Aが本件日時に撮影した本件動画(甲24)では、被告人の右手の位置は、撮影開始から終了まで、概ね変わっていない(原判決5,6頁)。
 イ 被告人の右手は、電車の揺れ等によってその位置が多少変わることはあったものの、撮影されていない時間帯も含めて、その位置には大きな変化はなかった(原判決6頁16行)。
 ウ 本件動画によれば、被告人の右手の横には本件手すりの金属棒の下端がある(原判決6頁19行)。

2 原判決の認定した前提事実(上記アないしウ)のまとめ
 本件動画(甲24)の撮影開始から終了まで、被告人の右手は、本件手すりの金属棒の下端の横にあった

3 原判決の認定した被告人の行為
 原判決が、本件写真②及び③(甲27)並びに本件動画(甲24)から認定したA及び被告人の立ち位置及び被告人の右手の動きは以下のとおりである。
 ア 電車内で、Aは、ドアの方を向いて、ドアの横にある本件手すりが右肩にくるような位置に立った(原判決4頁11行)。
 イ 被告人は、右肩に黒いカバンをかけて、Aの真後ろに密着するような状態で立った(原判決4頁13行)。
 ウ 被告人は、Aの背後から、Aの体の右側と本件手すりの間に右手を通す形で、握った右手をAの体の前側に差し入れ、被告人の右手をAの股間付近に置き続けた(原判決6頁5行~13行)。

4 原判決の認定した被告人の行為は、客観的に不可能であることの説明
 (1) 原判決は、Aが常にドアに正対した状態で立っていたことを前提としている。電車内でAがドアに正対した状態で立っていた時間帯があったことは、本件動画(甲24)から客観的に認定できるし、本件動画の撮影終了後に撮影された写真(本件写真②及び③)からも客観的に認定できる。従って、客観的証拠(甲24,27)からは、電車内に居た時間帯の大半において、Aはドアに正対して立っていたと考えるのが合理的である。
 (2) しかし、Aが常にドアに正対して立っていたとすると、その状態で被告人の右手がAの陰部付近に置かれたと認定することは、原判決が認定し且つ争いのない前提事実(=本件動画の撮影開始から終了まで被告人の右手〔より厳密に表現すると、右手首より指先側の部分〕は本件手すりの金属棒の下端の横にあったこと)と矛盾する。
 なぜなら、被告人が、右手を本件手すりの横に置いた状態で、ドアに正対して立つAの陰部付近に右手を接触させることは、物理的に不可能だからである(図a〔疎明資料12の検証A・Bについての図1〕)。
被告人の右手が本件手すりの横に置かれていたという条件を付する限り、右手をAの陰部付近に接触させるどころか、「右手をAの体の前側に差し入れ」ること、換言すれば、「ドアとAの体の間に右手を差し入れ陰部に手を伸ばす」ことは物理的に不可能である。
 仮に、被告人がドアとAの体の間に右手を差し入れ陰部に手を伸ばした場合は、被告人の右手(右手首から指先側の部分)は、本件手すりの下端の横の位置から大きく離れ、甲24(本件動画)の内容と客観的に矛盾が生じることになる(図b〔疎明資料12の検証C・Dについての図1〕)。
 (3) 以上のことは、控訴趣意書28頁で指摘したところであり、原審の弁論要旨30頁でも指摘したところであるが、弁護人の指摘を待つまでもなく、一般常識で判断できる事柄(すなわち「経験則」)である。
原審裁判官は、一般常識に反する判断をして、物理的・客観的に不可能な行為を認定する過ちを犯しており、原判決の事実認定は、経験則に照らして不合理である。
 再現検証の結果、原審の認定は客観的に誤りであることが改めて明らかとなった(疎明資料12)。

5 Aが自ら体の位置及び向きを変化させたと考えられること 
 原判決は、常にAがドアに正対して立っていたことを前提としており、Aが体の位置及び向きを本件手すり側へ変化させた可能性を全く考慮していない(図c〔疎明資料12の検証C・Dについての図2〕)。
  しかしこの可能性は、甲24(本件動画)の2分40秒時点付近のAの体の向きがドアに対して正対していないこと(図ⅾ〔疎明資料12の検証C・Dについての図4〕、原審弁論要旨添付資料2-4、資料3)などと客観的に矛盾しないものであり、合理的である(図ⅾの黄色の線は車内ドアの位置であり、赤色の線は「被告人の手と接している箇所が股間部である」旨のA証言〔A11頁〕を前提としたAの体の向きである)。

 

Aの体の向きについての原判決には、事実認定に誤りがあるだけでなく、原判決の認定した事実を前提にするなら被告人の故意が否定される(原判決の認定は、論理則に照らしても不合理である)こと

1 原判決の説示は次の通りである
 ア 本件動画には被告人の右手がAの股間のまさに正面ではなく少し右側にずれた位置にあるように見える場面もあるが、そうであっても股間(陰部)付近であることは明らかである以上、本件犯罪が成立することに疑いはないし、A自身ドアに正対していた自分の股間のまさに正面まで手を回してきたとの内容まで述べるものではないから、少なくともA証言が本件動画と矛盾する不合理なものであるとはいえない(原判決8頁2行~7行)。
 イ 被告人の右手がAの股間の正面に位置する場面があったとしても、かかる状況が、弁護人のいうAが敢えて体の正面を被告人の右手の方に押し付けてきたことにより生じた可能性は、・・・考え難く、電車の揺れや他の乗客の動きにより生じたと考えるのが合理的である(原判決8頁7行~15行)。

2 原判決の事実誤認
 (1) 本件動画からは、被告人の右手がAの体のどの部分に接近しているのか客観的に特定することは不可能である。したがって、「股間(陰部)付近であることは明らかである」との認定が、何ら根拠のない認定であることは、控訴趣意書27頁で指摘したとおりである。
 (2) そのことは措くとしても、「A自身は、自分の股間のまさに正面まで手を回してきたとの内容を述べていない」旨の原判決は破綻している。
なぜなら、Aは自分の真後ろに被告人が立ち、かつ、陰部を右手で触られた旨を証言しているところ、「真後ろから右手で陰部を触られた旨の証言」は、まさに、「A自身ドアに正対していた自分の股間のまさに正面まで手を回してきたとの内容まで述べるもの」に他ならないからである。

3 原判決の認定した事実を前提すると故意が否定されることになる関係であること(原判決の論理則違反)
 (1) 原判決は、「被告人の右手がAの股間の正面に位置する場面があったとしても、電車の揺れや他の乗客の動きにより生じたと考えるのが合理的である」(原判決8頁7行~15行)という。
 (2) 仮にそうであるとすれば、もはや被告人が故意にAの陰部を触ったことにはならないのだから、故意が阻却されるはずである。
 原判決は、故意が阻却されることを基礎付ける事実を認定しておきながら、なぜか故意を認めている。この点は、明らかな論理則違反でもある。

 特筆すべきは、Aが証言する陰部の箇所と被告人の右手が接触した可能性を、 「被告人の右手がAの股間の正面に位置する場面があったとしても、電車の揺れや他の乗客の動きにより生じたと考えるのが合理的である」と認定しておきながら、被告人の故意を認定し犯罪事実を認定していることである。

 このような不合理な認定を展開してまでも、有罪に持ち込む原審裁判官の資質を疑ってしまう。

 

〔9月事件〕

9月29日にAが提出した写真(弁1)はAが述べる被害申告とは全く整合しないことが何を意味するか 

 弁1を警察官Nに提出したときのAの供述は次の通りである(Aの9月29日付警察官調書(【疎明資料2】。録取者は警察官N)(控訴審で立証する)及び弁7)。

 「私は9月20日のT駅からJ駅の間の電車内で、犯人が自分の陰部をズボンの上から触った時に、自分のスマートフォンで何とか写真を1枚撮りました。この写真1枚を警察に提出しますので、参考としてください」。

 すなわち、弁1は痴漢を受けているその現場を撮影した写真であるとして提出されているのである。しかし、これは、Aが述べる被害申告(①被告人は立っているはずなのに、弁1では座っている。②Aは西向きに立っていたはず-A26頁4行、12行-なのに、弁1では車両東側座席端の手すりが写っているのだから、それに対面して立っているAは東向きに立っていることになる)とは全く整合していない。この事実は、Aが「自分が痴漢されているという証拠を何とか作らなければならない」と考えて無理をした結果が表れている、と評価すべき事実なのである。
 ところが原判決は、「上記写真自体は本件被害状況についての前記A証言と少なくとも矛盾するものとはいえず、前記A証言の内容は、上記撮影の経緯も含めた上記写真の存在について無理なく説明できるものになっているといえる」と説示している(原判決17頁14行目~)。この説示は、明らかに経験則に反する。

客観的な証拠である弁1をどのように評価するのかについての原判決の判断の誤り
 ア 弁1は、9月29日に、Aが警察官Nに「9月20日のT駅からJ駅の間の電車内で、犯人が自分の陰部をズボンの上から触った時に、自分のスマートフォンで何とか写真を1枚撮りました」と供述して差し出した写真である(弁7)。
 しかし、この弁1及び弁6に写っている人物が被告人でないことは争いがない
 イ 弁1の長辺を縦にしてみたとき、向かって左下に手が写っている。この手について、Aは「自分の手です」と自筆で記載している。ところがこの手について、原判決は「何者かのこぶしを握ったような形状の手」と判示しているのである(原判決16頁15行目)から、まず、この判示が間違っている。
 そして、この手が右手か左手であるかについては、右手であることが分かる。それは弁1自体からも、見ればすぐに分かることである(更に、弁1のデータをプリントアウトしたものがあり、明らかに右手である。【疎明資料3】)(控訴審で立証する)。
 この事実(Aは「自分のスマホで胸元から撮影しました」と自筆で記載している。弁1)は、この写真に写っている手がAのものであるとすれば、Aは左手でこの写真を撮影したことを意味し、Aが右手でこの写真を撮影したのであったというなら、写っている手はAの手ではないことを意味する。
 いずれにしても、Aが、自分が痴漢の被害に遭っているまさにその場面を撮影したという写真が、このような訳の分からないものなのである。
 Aの被害状況についての証言は、それを裏付けるものは何も存在しないというだけでなく、むしろ虚偽であることを疑わせるに十分というべきである。
ウ 原判決は、この写真を提出したAの行為を、「(弁護人主張の自作自演とは被告人を犯人にしたてあげるというものと解されるところ、上記写真はむしろ上記疑いを否定する方向に働くものであるともいえる。)」などと救済している(原判決17頁11行目~)。
 しかしこの説示部分も弁護人の原審弁論要旨の指摘を正しく理解していないことを表している。原判決のこの文章は、「被告人でない人物を犯人として特定している写真は被告人にとって有利な証拠となるから、被告人を犯人に仕立て上げる方向とは逆向きに働く事実である」という意味あいになっている(そうとしか理解できない)。しかし、原審弁論要旨の指摘は、Aが、被害の事実がないのに被害の事実があったように自演している(つまり事件性を作出しているのだ、ということ)を指摘しているのであって、犯人性の自演を指摘しているのではない。この弁1号証を提出しているAの態度は、「被害を受けていないのに被害を受けている」という事実を自演しようとしてぼろが出てしまった、と理解すべきなのであって、「自作自演の疑いを否定する方向に働くものである」などという評価でAの態度を救済するのは、論理則としておかしいのである。
エ 原判決の「Aが理由もなく電車内で上記のような写真を撮影するとは通常考え難い」という説示(原判決17頁3行目)は、結論先にありき、の判示である。
 この説示は、Aが「事件性を演出するために撮影したがぼろが出てしまった」という仮説が成り立たないことによって初めて合理性を有する論理なのに、原判決は先に結論を出して、その結論にあうように論理を展開している。論理則違反である。

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逆転無罪の事実認定

逆転無罪の事実認定

 

 

  

022控訴趣意③

 9月事件につき記載していない関係証拠を掲載する。

 原判決は、Aと警察官N、警察官Iの証言が合致するように、恣意的にAの証言を引用している。

 以下、控訴趣意を掲載する。

 なお、電車の停車駅は、順に最寄り駅、O駅、T駅、J駅で表記している。

 

〔9月20日事件〕

原判決がまとめている「A証言の要旨」は、恣意的な引用であって、そもそも「要旨」になっていない(論告要旨の「A証言の要旨」のほぼ丸写しに近い)ことについて

 原判決は、Aが証言する電車内での位置関係につき、T駅に到着するまでの部分について、次のように要約している。

 「電車内での位置関係は曖昧であるが、自分は西側を向き、被告人は東側を向いていたと思う」「O駅を過ぎた辺りで被告人から右手を股間に押し付けられた」(原判決14頁7行目~10行目)。
 しかし、Aは、「自分(A)は入ってきたドア側(つまり西側)を向いていた」(A証言20頁下から3行目)「被告人は自分の左前にいた」(20頁下から5行目)「被告人は進行方向(つまり北側)ぐらいを見てました」(23頁1行目)と証言しているのであるから、原判決の「A証言の要旨」は、Aの証言を正確に要約していない。原判決が要旨としているAの証言部分(「自分は西側を向き、被告人は東側を向いていたと思う」)は、検察官が行った「被告人は東側を向いて立っていたというような説明をしていませんか」に対する「ああしてます」(23頁2行目~)の部分であって、Aが「被告人は東側を向いてたと思います」と証言している部分はない)。
 なお、上記「被告人は進行方向(つまり北側)ぐらいを見てました」(23頁1行目)という証言部分は、検察官が誘導尋問で「(捜査段階の供述で、Aは)被告人がどちらの方を向いていたと説明をしていたのか」という質問をした(22頁最下行)ことに対する答えの部分である。つまりAが検察官の思うような証言をしてくれないため、検察官が苦労して誘導尋問を用いているのに、その中で出てきた答えでさえも「被告人は進行方向ぐらい(つまり北側)を見てました」なのである。にもかかわらず、原判決は「被告人は東側を向いて立っていたと思う」と証言したという要約をしており、この要約は明らかに不合理である。
 そして記録をよく検討してみると、「原判決のA証言の要旨」という判示部分は、原審の論告(論告4頁のエ)の、ほぼ丸写しである(微妙に語尾などを変えてはいるが、要約している部分の事実の順番などもそっくりである)ことがわかる。

 

 T駅に到着後、J駅に到着するまでの部分については次のように要約している。

 「被告人は自分の右前くらいにいて」「被告人は北を、自分は西側を向き、その状態で右手を股間に押し付けられた」(原判決14頁15目~16行目)。
 しかし、Aは、「(被告人は、証人から見てどの辺りにいたかというのは覚えていますか)左・・・、左前ぐらいです。あっ、右前くらいです」「(例えば、証人から見て左側には、誰がいましたか)左側は、警察官がいました」「(もう一回聞きます。証人からみて、被告人はどちら側にいましたか)・・・ちょっとあいまいです」(25頁1行目)と証言しているのであるから、原判決の「A証言の要旨」は、Aの証言を正確に要約していない。原判決が要旨としているAの証言部分は、検察官が行った誘導尋問(25頁最下行~26頁14行目)に対する証言を要約しているものであるが、その部分(26頁部分)を見ても、検察官の「今の記憶で、この調書の内容を聞いて、記憶を整理して、どうですか」と聞かれているのに対して「どうですかって・・・」と答えたり、「進行方向は、北方向ですね。」に対して「(うなずいて)・・・えっ、北側ですか(?)」と答えたりしていて、およそ具体的な証言ができていない。
 上記に指摘した点は、些末なことであるようにも思えるかも知れない。しかし、ある証人の証言を要約する際に、このような恣意的ともいえる要約をすれば、「証言の符合性」などはいくらでも作り上げられるのである。なぜなら、各証人の証言のうち、整合している部分だけを取り出して、それを「重要な根幹部分」として説明すれば、「各証人の証言は、重要な根幹部分についてよく整合している」という判決の起案は、容易にできるからである。
 とりわけ、原判決は、その後の説示部分である「A証言及び警察官N証言の符合性」との中で、T駅まではAと被告人が互いに逆方向を向いてAが被告人の右側に来る位置関係で被告人の右手がAの股間部分に伸びていた旨を取り上げ、互いに信用性を高め合っていると説示しているが(原判決15頁、(2)のア)、前記の恣意的な証言要旨を前提とした判断であって(前記の通り、Aは実際には「自分は西を向き、被告人は北を見ていた。被告人は自分の左前にいた」と証言しているのである)、その判断に合理性はない。

 

A証言では、原判決判示第2の事実は認定できないこと

 Aの証言は、全体としてあいまいで、立ち位置だけではなく、自分が受けたという行為態様についても、具体的に証言しているとはいえない。そのことは、尋問していた検察官も感じており、「9月20日の日のことについてあいまいになってしまう原因というのは、何かありますか」という問いを発している(A23頁10行目)ところにも表れている。
 Aはそれに対して「9月の20日とか21日は、警察官と一緒に乗っていて、ほんで、一緒に乗るだけって言われたから、立ち位置とかを、自分、覚えんと、警察官に任して乗ってました」と答えている(A23頁12行目~)。しかし、立ち位置についてだけでなく、Aの証言は、要するに「右手を股間に押し付けるようにして痴漢されました」(A26頁18行目)ということでしかない。
 認定できるのは、「そばに居た」というだけの事実であって、迷惑防止条例の規定する構成要件に該当する事実を認定することはできない。

 なお、この日、警察官Nは「迷惑行為を現認した」と証言しているが、現行犯逮捕をしていない。その理由は「衆人環視のもとで逮捕すると被告人の人権が損なわれる」からだそうだ。

 それは措くとして、Aは「警察官が犯人を押して被告人に迷惑行為をやめさせようとした」「犯人は警察官の手を払った」「それでも犯人はやめなかった」と証言している。

 現行犯逮捕を目的に警乗した警察官の眼前でそのような鬩ぎ合いがあったのにも関わらず、警察官Nが犯行を見逃すわけがない。

 この点についても、Aと警察官Nの証言は合致しないし、極めて不合理なのである。

 

〔9月21日事件〕

原判決による「A証言の要旨」は、これまた、本当の「要旨」にはなっておらず、恣意的な引用であること

 原判決は、Aが証言する電車内での位置関係を、要旨、車内の立ち位置はあまり覚えていないが、被告人は近くにいたとする(原判決24頁、13行目以下)。
 しかし、Aは、「ちょっと曖昧なんですけど、自分が西を向いていて、(被告人は)右前ぐらいにいたような気がします」と証言し(A32頁1~2行目)、この答えを訂正させようとした検察官の「自分の左隣にいたと説明した記憶はないか」との誘導に対しても、「左とか右とかじゃなくて、自分の前にいたっていう、そこら辺にいた(前を指すものと解すのが合理的である)ってことしか、あんまり覚えてないです」と証言している(A32頁11~12行)。
 この通り、「被告人が前にいた」という旨の証言は、記憶は曖昧であるとしながらも、2度にわたり証言しているのであり、この点を原判決は恣意的にネグレクトしている。原判決の「A証言の要旨」は、恣意的な要約であり、不合理である。
 
「前に居た」と「横に居た」は全く異なる趣旨の証言であるのに、その点をネグレクトしていること

 原判決は、「3者の証言が符合する本件事案の根幹となる犯行状況は、Aと犯人が同じ方向を向きAが犯人の右側に来る位置関係で犯人の右手がAの股間部分に伸びていたというものである」と判示している(原判決30頁15行目~)。
 しかし、Aの証言は前記したとおり「左とか右とかじゃなくて、自分の前にいたっていう、そこらへんにいたってことしか、あんま覚えてないです。」「(要するに近くに居たというわけですね)はい」である(A証言32頁)。
 このA証言をして、「Aと犯人が同じ方向を向きAが犯人の右側に来る位置関係で犯人の右手がAの股間部分に伸びていた」という証言だという評価は、証言の評価を明らかに誤っている。
 

A証言では、迷惑防止条例の定める構成要件に該当する事実は認定できないこと
 そして、この主尋問の答え自体からして、Aの被害についての証言は、判示第3の事実について有罪立証できた状態には到底達していないというべきなのである。
 車両内のどの位置に居たのか、その時の自分の体の向き、被告人が居た場所、その向き、実際の被害態様などについて、Aは具体的な証言はまったくできていない(A30~34頁)ことは銘記されなければならない。

 

Aはことさらに、自ら股間部を被告人の方に向ける行為をしたと認められること

 警察官I証言によれば、「被害者は(乗車後ロングシートの前で)西方向を向いていた」(I3頁13行目)が、「O駅を発車したぐらいから、被害者の方が、南西方向、左向きの斜めに、体を少し斜め向きにした」ということである(I4頁下から2行目~)。つまり、公訴事実記載の犯行開始時間である「O駅」以降から、Aの方から被告人に向かって体(股間部分)を向けたということになる。
 しかし、従前からの痴漢の被害を訴えている人物が、他の乗客の動きの影響を受けないロングシート前で、その犯人であると指摘している被告人に向かって自らの体を向けるというのは、不自然で不合理である。この点、警察官Iは、「(嫌がってよけようとするはずのAが)どういう経緯でそっち側を向くようになったのかは私には分からない」と証言しており(I24頁13行目)、合理的な理由は全く見いだせない。仮に、このことが真に目撃されたのであれば、Aの自演を相当程度疑うことが合理的であると言える

  なぜ、控訴趣意書に『「前に居た」と「横に居た」が違うこと』と題して、原審裁判官が不合理であることを態々論じなければならないのか。

 日本の刑事裁判官は、ここまで資質が低下していると思うと情けなくなる。

 

 私の「事件」を担当した地裁判事だけであることを願いたい。

 

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逆転無罪の事実認定

逆転無罪の事実認定

 

 

021控訴趣意②

 6月29日事件の控訴趣意は以下のとおりである。

 Aの虚偽申告が客観証拠に照らして明らかである上、原判決がいかに不合理であるかよくわかる。

 

原判決の判示

 原判決は、弁護人の「予想もしていなかったのに警察沙汰になってしまい、ひっこみがつかなくなって嘘を重ねた」旨の主張に対し、6月29日の出来事を根拠にして、虚偽供述の合理的可能性を否定している。
 しかし、原審弁論要旨において詳述しているとおり(22頁以下)、6月29日の出来事がAによる自作自演であることは、以下の客観的事実からだけでも、優に認定できると言える。

1回目の通話内容等から認定できること

 Aは、19時41分頃から約1分間、母親に電話をかけて通話しているが(甲4の写真17)、その内容は、「帰りの電車なんやけど、痴漢の犯人が同じ車両におる。」、「駅のエスカレーター上がってるんやけど、自分の後ろの方にいる。」というものであった(甲14の7頁)。
 しかし、客観証拠からは、19時43分頃、被告人最寄駅の改札を出た際、Aは携帯電話で通話しながら、未だ改札内にいたことが認められる(弁11の写真11)。又、被告人が改札を出てから約10秒後に、Aが最寄駅の改札を出たことも認められる(弁11の写真13)。
 そうすると、1回目の電話の時点では、被告人がAの前にいたことは優に認定することができ、Aにおける「被告人が自分の後ろにいる」旨の母親への通話内容は、明らかに虚偽であると言える。
 なお、母親は、痴漢の犯人を先に行かせるように助言した旨を供述している(甲14の8頁)のであるから、通話内容の信用性は極めて高いと言える。
 従って、本件出来事が、Aの自作自演であることは、1回目の通話内容からだけでも優に認定することができると言える。

2回目の通話内容から認定できること

 又、Aは、19時45分頃から約4分間(すなわち49分頃まで)再び母親に電話をかけて通話しているが(甲4の写真17)、その内容は、被告人から後をつけられているという趣旨のもの〔え、まじで。付いてきている。ちょっと待って。ちょっと待って。〕であった(甲14の9頁)。
 しかし、Aが最寄駅の改札を出たのは19時43分頃であり、Aが隠れたと証言したスーパーの駐車場までは、改札から直線距離で70メートルの距離であり、約2分程度の距離である(弁19)。
 そうすると、A証言を前提にしても、Aはスーパーの駐車場に隠れた(その後、証明写真を撮る機械のところで被告人を待っていた〔A46頁〕)のであるから、19時45分頃以降において、被告人から付けられることはあり得ないと言え、Aにおける「あとを付けられている」趣旨の母親への通話内容(え、まじで。付いてきている。ちょっと待って。ちょっと待って。)は、明らかに虚偽であると言える。
 従って、本件出来事が、1回目の通話内容と併せても、Aによる自作自演であることは、優に認定することができると言える。

小括
 以上のようなことを踏まえれば、6月29日の出来事は、Aの自作自演によるものであることは優に認定でき、原判決の「6月29日の出来事は、A証言の信用性を補強する客観的事実に該当するといえこそすれ、…Aの信用性に低下させる事情に該当するとはいえない」という説示(原判決11頁13行目以下)は、経験則違反であることは明らかである。
 従って、6月29日時点において、本件出来事を自作自演したAにとって、翌日に警察沙汰になることは全く想定していないことであり、本件の出来事を根拠にして虚偽供述の合理的可能性を否定する原判決は、論理則に反していると言える。
 なお、翌日、Aを信用した両親が被害申告をした際、肝心のA本人は「寝ていた」ことからも、Aの意思に基づかない被害申告であったことが窺え、Aが警察沙汰になることを予想していなかったことは明らかであると言える(A51、71、75頁)。

原判決の判示が極めて不合理であること

 原判決は、虚偽供述の合理的可能性を否定する根拠として、「Aが母親に伝えた内容と実際の先後関係等は、把握や表現が不十分になってもやむを得ない事柄」等と説示している(原判決11頁6行目以下)。 
しかし、改札を出るまで、被告人がAの前方にいるか後方にいるかのような簡明かつ単純な事実につき、把握や表現が不十分になることは考え難いと言え、上記説示は経験則に反すると言える。
 なお、Aは、公判では、被告人がエスカレーターで前にいた旨を認めている(A43頁)ことからも、前後関係につき「把握が不十分」であったとは考え難い。

 更に、原判決は、「Aが被告人の行動を気にして母親にも訴えるほどの不安を抱いていたこと自体は6月29日の出来事から合理的に推認できる」旨、説示している(原判決11頁11行目以下)。
 しかし、この説示は、原判決の「何者かによりAをして痴漢被害に遭っていると思わせるような行為を繰り返し行われていた」ことを前提としなければ、Aが「被告人の行動を気にして・・・不安を抱いていた」とは到底認定できず、その前提事項に信用性が認められない以上、上記推認は論理則に反すると言える。
 又、6月30日に両親が被害申告をするに至るまで、Aが警察沙汰になることを拒み、被害申告に消極的であったことも(甲14第8項)、Aが不安を抱いていたとは認めがたい事情であると言える(Aは、6月13日に証拠として動画〔甲24〕を撮影しているのであるから、不安を抱いていたのであれば動画撮影後直ちに被害申告するのが自然であると言える)。

 原判決は、「Aが警察沙汰になることを想定しないで嘘を言っているのであれば、Aが母親に迎え来てもらったり、車のナンバーの下4桁の数字を母親に送信したりしたことは、説明がつかない」と、説示している(原判決下から2行目以下)。
 しかし、前記のとおり、Aが母親に対して客観事実と異なる虚偽の被害を訴えていることが優に認定できることを踏まえれば、その一環として、母親に虚偽の被害を訴えて迎えに来てもらうように依頼することは十分想定できるものであると言える。
 又、6月30日に両親が被害申告をするに至るまで、Aが警察沙汰になることを拒み、被害申告に消極的であったことからは(甲14第8項)、Aが警察沙汰になることは想定していなかったことは明らかであり、「Aが警察沙汰になることを想定しないで嘘を言っているのであれば」という点を前提とする上記説示は何ら根拠のないものであり、論理則に反する。

結語

 原審弁論要旨でも指摘したが(25頁)、6月29日の出来事は被告人がAを付け狙っていることを極めて強く推認させる重要なエピソードであるに止まらず、Aの両親が警察に被害申告する直接の契機となったエピソードでもある。
 従って、このような重要な事件が自作自演であることが判明した以上、Aの信用性は致命的に低下したことは明らかである。
 更に、6月29日の出来事が自作自演であり、警察への被害申告もAの意思に基づかないものであることは、「Aが高校の性犯罪の講義を契機に自分は痴漢被害を受けていると些細な嘘をつき、それが教師から親に伝わったため、親にも痴漢被害に遭っているといわざるを得なくなった」という弁護人の主張を裏付けるものと言うべきである。
 結局のところ、6月29日の出来事は、その当日に被告人がAの後をつけたという事実を否定するのみならず、そもそも、Aが痴漢被害を繰り返し受けていたという事実そのものを否定する事情というべきである。

 

 冤罪事件の判決文を読んで共通することは、裁判官が証拠を無視することや勝手な解釈を盛り込むことである。有罪判決を起案する際に、辻褄が合わないことを裁判官が胡麻化したり、勝手に論理を飛躍させるのである。

 

 いまの日本の刑事司法は、あってはならないことがまかり通っている。

 

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逆転無罪の事実認定

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