『冤罪被害者』のブログ 

冤罪被害者の闘いを綴る

029上告趣意書①

無実を示す証拠採用を却下する裁判所

 先日、上告趣意書を最高裁判所に提出した。

 大阪高裁の三浦透裁判長は、以下のような公正でない裁判を平気で行っている。

 法令違反を指摘した箇所から一部引用して取り上げる。

 警察官Nは、10月25日付検察官調書(一審弁28)において、9月21日の目撃状況につき、「(被告人が)Aの股間に右手を押し当てていたかどうかを直接みることができませんでした」と供述している。他方、Nは、公判において、「被告人の手がAの股間部分に位置し、当たったり離れたりしていた」と証言した。

 控訴審判決は、この点を変遷とする弁護人の指摘につき、「上記検察官調書の記載は、被告人がAの股間に右手を押し当てていたかどうかについて言及したものではあるが、手がAの股間に当たっていたかどうかを目撃したかについては、直接言及していないと見る余地のある表現である」とし、「『N証言自体に曖昧さがあるとした上で、・・・N証言の信用性の根幹部分の信用性を損なうものであるとはいえないとす《ママ》原判決』に誤りがあるとはいえない」旨説示する(控訴審判決24頁最下行以下)。

 かかる控訴審判決には、日本語の基礎的な読解力に欠けると言わざるを得ない。なぜなら、検察官調書には次のとおり記載されているからである。

 「私は、その様子を被疑者から見て左斜め後ろから見ていました。そのため、被疑者がAの股間に右手を押し当てていたかどうかを直接見ることはできませんでしたが、先ほどお話ししたようにこの日は車内がぎゅうぎゅう詰めの状態で他の場所に移動することもままならなかったため、被疑者の痴漢を現認できるようにすることができない状態でした。」(一審弁28・9,10頁)

 日本語の基礎的な読解力のある者に、「Nは被疑者の右手を現認できたか」と尋ねれば、「できなかった」と答える。N警察官と調書を作成したF検察官に基礎的な日本語の能力が備わっていないとは考えられないから、少なくともNは上記検面調書の作成時には、「被告人の右手を現認できなかった」と供述していたことは明らかである。

 したがって、Nの供述が、「被告人の右手を現認できたか否か」という核心部分で変遷していることは明白であって、これを上記のように趣旨を曲解してN証言の信用性を救済した控訴審判決は失当である。

 そのことはひとまず措くとしても、仮に控訴審がNの検察官調書の記載は多義的に解釈が可能であり、検察官調書だけではNが捜査段階で「手がAの股間に当たっていたかどうかを目撃したかについては、直接言及していないと見る余地」が残ると考えたのであれば、Nが内容をチェックした上で押印した捜査報告書(控訴審弁7,8)を採用して取り調べれば、Nの捜査段階での供述の意味内容を明確にし、適切な事実認定ができたのである。すなわち、Nを含む警察官らが事件から4,5日後の段階では「現認できなかった」と供述していたことが明らかになったのである。

 まず、「被疑者の通勤時の行動確認結果(9月20日)について」と題する捜査報告書(控訴審弁7)及び「被疑者の通勤時の行動確認結果(9月21日)について」と題する捜査報告書(控訴審弁8)は、Y警察官が作成したものであるが、捜査責任者であるNの押印があるところ、Nはその内容をチェックしたことを認めている(N42頁)。そして、同捜査報告書には同行警乗した警察官が被告人とAを注視したが、「実施結果」として、「手が被迷惑者に触れているか否かの確認はできなかった」(控訴審弁7・4枚目)、「手が被迷惑者に触れているか否かは判然としなかった」(控訴審弁8・4枚目)と明記されている。

 つまり、控訴審が上記捜査報告書を取り調べていれば、上記供述調書のN供述の趣旨は、「手が股間に触れたのは現認していない」という趣旨であることが明らかであり、したがって、「被告人の手がAの股間部分に位置し、当たったり離れたりしていた」旨のN証言が、上記供述調書と矛盾することが容易に判断できたのである。

 「手が股間に当たったのを現認したか否か」という核心部分についての供述の変遷は、N証言の信用性の根幹を揺るがすものであるのに、控訴審判決は、上記捜査報告書(控訴審弁7,8)の取調べ請求を却下したうえで、「(弁護人の主張は)採用された証拠に基づかない主張である」(控訴審判決26頁)などと説示して、弁護人の主張を排斥し、もってN証言の信用性を救済した。

 このような裁判が、いまなお日本で平然と行われているのである。

 無実の証拠を採用せず、不合理な理由を適当に加え有罪認定につき進む。

 まさに警察や検察に忖度した刑事裁判の典型である。

 

 すべての裁判官がそうであるとは言わないが、いま私の身に起こっていることは、インターネットを見る限り、多くの冤罪被害者が経験していることである。

 また、検察が示す理念には、「無実の者を罰し,あるいは,真犯人を逃して処罰を免れさせることにならないよう,知力を尽くして,事案の真相解明に取り組む」「被疑者・被告人等の主張に耳を傾け,積極・消極を問わず十分な証拠の収集・把 握に努め,冷静かつ多角的にその評価を行う」と明記されている。

 

 日本の警察や検察が目を覚まし、裁判所がその不正を正す役割を果たせる日はくるのだろうか。

028上告趣意書を提出いたしました

上告趣意書提出

 2020年5月13日、上告趣意書を最高裁判所第一小法廷に提出いたしました。今後、本ブログ上で上告趣意の内容を掲載する予定です。

 

 高裁裁判官は、被害者証言調書の最重要証言を見逃し(もしくはろくに確認せず)誤った前提に立って判示をしたり、「現認できなかった」旨の記載がある警察の捜査報告書を証拠採用せず、警察官の「手が当たったり離れたりするのを見た」旨の公判証言を信用できると判示したりするなど、とうてい公正とは言い難い判決をくだしています。

 今回の趣意書では、健全な社会通念に照らして高裁判決が極めて不合理な点を具体的に指摘することができたと思います。今後のブログをぜひご覧ください。

 

請願署名提出

 皆さんのご支援のもと集まりました署名は、第一次集計段階で4071筆、電子署名227筆となりました。

 想像より遥かに多い数であることに驚くとともに、皆様の大きな力を肌で感じています。

 私の声と皆様の声が、当然に最高裁判所に届くことを願っています。

 本当にありがとうございました。

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請願署名

 

謝罪しない滋賀県警

滋賀県警という組織

 先日、湖東記念病院再審で漸く西山さんの無罪が確定した。

 検察が上訴権を放棄し、無駄に2週間待つことなく無罪が確定した。

 

 しかし滋賀県警の対応には驚かされるばかりだ。

 あまりにも驚いたので記事にしておく。

 

 以下、「毎日新聞」(4月18日付配信)より引用する。

 滋賀県東近江市の湖東記念病院の入院患者死亡を巡って県警に逮捕され、殺人罪で服役した元看護助手の西山美香さん(40)が再審(やり直しの裁判)で無罪判決を受けて確定したことについて、県警は滝沢依子本部長が出席する17日の定例記者会見で質問を受け付けないと記者クラブに通告した。

 本部長の定例会見は、毎日新聞を含む新聞やテレビなど報道機関15社が加盟する「県警記者クラブ」の主催で毎月1回開かれ、刑事部長らも出席する。無罪確定後、会見は17日が初めて。クラブ側は7日、大津地裁が3月31日の再審判決で、取り調べをした刑事が西山さんの恋愛感情を利用して「自白」を誘導したり、飲食を提供したりするなど捜査手法に問題があったと認定したことに対する見解や、西山さんへの謝罪、再発防止策などに関する質問を事前に伝えた。

 これに対し、県警広報官室は「個別案件は答えられない」と質問案を拒否。加盟社の意見をとりまとめる幹事社が理由を文書で答えるよう求めたが、県警は4月16日、「文書にする必要がない」として回答を拒んだ。

 再審判決は、西山さんの自白の任意性を否定し「患者が殺害されたという事件性すら証明されていない」と指摘。大西直樹裁判長は説諭で「警察、検察、弁護士、裁判官を含め全ての関係者が自分のこととして、西山さんの(逮捕からの)15年を決して無駄にしてはならない」と述べていた。

 県警は当日、刑事企画課幹部が報道陣の取材に「無罪判決については真摯(しんし)に受け止め、今後の捜査に生かしてまいりたい」とのコメントを繰り返すにとどまった。

 弁護団長を務めた井戸謙一弁護士は「権威ある裁判所から具体的に捜査の不当性を指摘された。どのように改善していくのかを県民に説明するのは警察の義務で、極めて不誠実な対応だ」と話した。【菅健吾】

  謝罪しないどころか、完全に逃げている。

 恐らく、今後民事裁判で賠償が争われるから、「謝罪」できないのであろう。

 この滋賀県警、昨年は、大学生を誤認逮捕(4回再逮捕)し、人生を狂わせている。

 

 反省をしない組織であるから、同じ失敗が繰り返される。

 なぜそこに気づかないのか疑問である。

 

 裁判長が説諭で厳しい批判を述べているが、まったく届いていないのだろう。

 この有様、もっと報道されて然るべきではないか??

 

判決文に記された滋賀県警の捜査

 余談であるが、判決文が裁判例に掲載されていたので、引用しておく。

 これだけの事実がありながら、いままで西山さんの「自白」を信用し、無罪を出さなかった裁判官にも唖然とする。

 本件における防御権侵害や捜査手続の不当・不適切性は,これらを主たる理由として任意性を否定されたこれまでの事案ほどに深刻なものとまではいえないとしても,被告人の特性・恋愛感情やこれに乗じて被告人に対する強い影響力を独占してその供述をコントロールしようとするF警察官の強固な意図と相まって,虚偽供述を誘発するおそれがあるものであったというべきであり,かつ,現に明白な虚偽供述を含む本件自白供述を誘発した疑いが強いというべきである。防御権侵害及び捜査手続の不当・不適切性の有無,程度等の捜査機関側の事情に加え,知的障害・愛着障害等の特性や恋愛感情等,供述者たる被告人側の事情をも含む,上記供述がなされた経緯,過程に関わる諸事情を総合すると,本件自白供述は,実質的にみて,自発的になされたものとはいえず,上記防御権侵害や捜査手続の不当・不適切性によって誘発された疑いが強いというべきであるから,「任意にされたものでない疑」があるというべきである。 なお,F警察官に対する恋愛感情は,少なくとも初期の段階では被告人の自発的な感情であり,Aを殺した旨を初めて述べた時点では,その供述が外形的にも実質的にも自発的になされたものであることは前記のとおりであって,恋愛感情の存在は,それ自体が直ちに任意性を疑わせる事情になるものではない。しかし,F警察官は,被告人が,弁護人との接見後,否認に転じると,被告人の恋愛感情や迎合的な供述態度を熟知しつつ,これに乗じて被告人の供述をコントロールしようとの意図の下で,不当・不適切な手段を用いて,恋愛感情を増進させつつ,他方で弁護人への不信感を醸成させ,被告人に対する影響力を独占し,その供述を誘導,コントロールしようとしたものであって,そのような状況の下でなされた供述は,もはや実質的には,自発的に行われたものとはいえず,不当・不適切な捜査等によって誘発されたものと評価するのが相当であるから,前記認定を左右しない。 

 なお、ここでいう不適切な捜査は、以下のとおりである。

 F警察官が,遅くとも平成16年6月下旬頃までには,被告人の迎合的な態度や自身に対する恋愛感情を認識していたこと,接見等禁止中で弁護人としか接見できない被告人に対し,接見毎にその内容を聞き出した上,弁護人に対する不信感を煽るような言動を繰り返すなどしたこと,その一方で,事件に関する供述以外に,被告人の自身に対する恋愛感情を記載した供述調書を多数作成したり,取調べ中,毎日のように,被告人にジュースを差し入れて飲ませたり,取調べにおいて,本来,立ち会わせるべき女性警察官を取調べ室外に待機させて,被告人と2人きりの状態にし,被告人が自身の手を触ってくるのを黙認したりしたこと等の事情を併せ考慮すれば,F警察官が,逮捕後の取調べを通じて,被告人の特性や恋愛感情に乗じて,被告人に対する強い影響力を独占し,その供述をコントロールして,自白供述を維持させようとする意図を有していたことが推認される。  さらに,F警察官が,起訴後も,被告人に対して幾度も取調べを行ったこと,弁護人や両親との接見を重ね,公判期日において否認をしようと考えていることを知るや,被告人に指示して,公判でも事実を認める旨の検察官宛の手紙等を複数作成させた上,確定第1審の第1回公判期日を傍聴したことなどの本件自白供述以降の事情は,F警察官の被告人に対する影響力を独占し,その供述をコントロールしようとする意図の存在を裏付け,かつ,それが強固なものであったことを示すものといえる。

  このF警察官は、懲戒処分されるべきではないのか。

 少なくとも、捜査にかかる内規違反を犯しているではないか??

 

 世の中コロナの報道で大変であるが、絶対に闇に葬ってはならないと思う。

 

湖東記念病院事件再審無罪判決

問われるべきは捜査のあり方、裁判のあり方、刑事司法のあり方

 再審無罪判決を下した大西直樹裁判長は、以下のように説諭したという。

 現役裁判官の言葉としてその意味は大きいといわねばならない。

 ところで、平成16年7月に刑事に自白したことを後悔し、気に病んでいるかもしれません。ただ、西山さんがうそをついたからといって、西山さんのせいにすることはできません。

 本質的に問われるべきは捜査手続きのあり方です。自白について慎重なうえにも慎重に検討を重ねるべきでした。(医師の鑑定結果)そのものも慎重に検討されたのか重大な疑義があります。

 逮捕から15年以上経って、初めて開示された証拠もありました。西山さんの取り調べや証拠開示など一つだけでも適切に行われていれば、西山さんが逮捕・起訴されることもなかったかもしれません。

 西山さんとご家族もつらく苦しんだと思います。時間を巻き戻すことはできません。問われるべきは捜査のあり方、裁判のあり方、刑事司法のあり方。大切な問題提起をしていることは間違いありません

 刑事司法にはまだまだ改善する余地があります。刑事司法に携わる関係者が自分のこととして考え、刑事司法の改善に結びつけていかなければならないと思っています。西山さんの15年を無駄にしてはならないと思います。

 今回の再審は、これからの刑事司法をよい方向に変えていく大きな原動力になります。一方で、男性患者のご家族のことを忘れてはならないと思います。

 「一人一人の声を聞いて審理していただきたい」という西山さんの話に驚きました。当たり前のことだと思っていますが、私自身、西山さんの発言を聞いて一人一人の声を聞く重要性を再確認しました

 15年あまり、さぞつらく苦しい思いをしてきたと思います。もう西山さんはうそをつく必要はありません。これまで裁判を通して支えてくれる人に出会ったと思います。これからは自分自身を大切に生きてもらいたいです。今日がその第一歩となることを願っています。

027上告趣意書の提出期限

最高裁から通知が届きました

 最高裁判所より以下の通知が届きました。

 提出期限に向けて趣意書作成を行っていきます。

上告趣意書差出最終日通知書  最高裁判所第一小法廷

 

 本件について、上告趣意書を差し出す最終日が、次のとおり指定されたので、通知します。

 最終日 令和2年5月13日

  担当法廷は、上記のとおり、最高裁判所第一小法廷となりました。

 公には知られていませんが、最高裁は小法廷の裁判官が最初に審理をするのではなく、調査官が書面に目を通し審理が必要と判断した場合に、上席調査官、最高裁裁判官の順に事件が回付されるようです。

 まずは調査官の目に留まる上告趣意書を仕上げることに注力いたします。

 

署名活動

 引き続き請願署名をよろしくお願いいたします。

innocence-story2020.hatenablog.com

innocence-story2020.hatenablog.co

請願署名受入の御礼

請願署名の御依頼

 請願署名にご協力いただき御礼申し上げます。

 個人で署名を呼び掛けてくださっている方、各団体で署名活動にご理解をいただき、署名活動を行ってくださっている方、お時間を割いて下さりありがとうございます。

 皆様の一筆を最高裁判所にしっかりと届けたいと思います。

 4月24日(金)の一次集計まで、ご支援よろしくお願いいたします。

chng.it

 

大崎事件についてー第4次再審請求のクラウドファンディング

  第4次再審請求開始にあたって支援の呼びかけです。第3次再審請求は、地裁・高裁で再審が決まったのにも関わらず、最高裁がまさかの棄却決定。

 サイト内に掲載されている周防監督の言葉は非常に重いものです。

readyfor.jp

 

 日本の刑事裁判で冤罪事件は非常に多く、素人の私が公判経過、判決文を調べるだけでも、

 ・今市事件 ・恵庭OL殺人事件 ・筋弛緩剤点滴事件

などが挙げられます。

 そして、私の弁護人が担当されている「湖東記念病院事件」は、3月末漸く再審無罪が言い渡されようとしています。

innocence-story2020.hatenablog.com

 

 

 

請願署名のお願い

請願署名のお願い

 本ブログをご覧いただき、ありがとうございます。

 2020年3月上旬より、「上告審の公正な裁判を求める請願署名のお願い」と題する書面と署名用紙の配布を開始いたしました。

 請願署名の御支援よろしくお願いいたします。

 

 以下のリンクより事件の詳細を御確認いただくことが可能です。

innocence-story2020.hatenablog.com

 

ネット署名のお願い

chang,orgにてネット署名を行っております。

書面での署名と併せて、ネットへの御署名、シェアをよろしくお願いいたします。

 以下のキャンペーンに賛同をお願いします!「最高裁判所は無罪判決を下してください。」 https://t.co/PiqxCI8iSd @change_jpさんから

 

訂正とお詫び

請願署名の書面(裏面)に以下の誤植がありました。訂正をよろしくお願いいたします。

 

2 裁判所の判断

 裁判所は、

 ・ --- --- ---  --- --- 

 ・ ーーー ーーー 訂正前(Aが「自分が前にいた」ことを・・・)

           訂正後(Aが「自分が後にいた」ことを・・・)

 

その他

請願署名に関するご質問は、上記Twitter内DMをご利用ください。

 

026御依頼と控訴審判決文

支援者の皆様
訪問者の皆様

 以下のURLで、Twitter並びにchange.orgをはじめました。

 引き続き、署名サイトのシェアをよろしくお願いいたします。

innocence-story2020.hatenablog.com

 

  また、高裁判決文について、精査をはじめました。

【N警察官の変遷】

    弁護人は、警察官は、被告人が「Aの股間に右手を押し当てていたかどうかを直接見ることはできませんでした」などと供述していたのに、被告人の手がAの股間部分に位置し、当たったり離れたりしていたと(公判になって突如)証言するのであって、供述は変遷しており、信用できない旨主張する。

 しかし、上記供述は、被告人がAの股間に右手を押し当てていたかどうかを目撃したかについて言及したものであるが、手がAの股間に当たっていたかどうかを目撃したかについては、直接言及していないと見る余地のある表現である。そうすると、警察官の証言の根幹部分の信用性を失うものではない。

【分析】

 不合理極まりない認定である。捜査報告書(署長押印がある公文書)には、「手がAに触れているか否か判然としなかった」と記載されている。しかし、高裁はその証拠を受け取らずに、「採用された証拠に基づかないものである」として、弁護側の主張を排斥している。

 

【被害回数の虚偽申告についての判決文】

 弁護人は、Aが9月までに約20回被害に遭ったというのは虚偽であるし、・・・Aの証言態度は不誠実である旨主張する。

 しかし、回数については、そもそも弁護人の主張するとおりであったかは必ずしも明らかでない上、感覚的なところも、記憶や表現が適切でないこともあり得るから、A証言全体の信用性に影響しないと言うべきである。

【分析】

 弁護人指摘の回数はLINE履歴に基づくもので、検察官も同意している。そして、Aはいつも私と同じ電車に乗り被害に遭ったと言うが、違う電車に乗っていた事実が判明している。同乗の機会は数日しかない。証人尋問で1日1日Aに問いただし、乗っていない日はAが認めている。

 Aは、6月まで10回程度被害に遭った、9月まで20回被害に遭ったと証言すると同時に、6月30日以降、同じ電車に乗っていないことを認めている。6月から9月にかけて10回被害が増えることはあり得ない。自己矛盾供述をしているのである。無い部分を有ったと言っているのである。

 仮に、裁判官のいうように、Aが「感覚的」に証言しているのであれば、適当に被害申告をしている証左であって、その信用性はないというべきであって、原判決の説示に合理性はない。何としてもA証言の信用性を維持しようとする裁判官の意思が垣間見える。

 

【あとを付けられた事件についての判決文】

 弁護人は、Aが被告人から追い掛けられたなどという出来事は、母親への1回目の通話内容(駅のエスカレータ上っているが、後ろに犯人がいる)は、・・・防犯カメラ映像によれば、被告人がAに先行していることに反していることから虚偽であると主張する。

 しかし、母親の警察官調書中のAから通話で聞いた内容は、一言一句正確であったとまではいえない。そして、防犯カメラ映像では、エスカレータでは後ろにい被告人をAが先行かせたため、改札ではAが被告人の後ろを歩いていることも考えられることからすれば、通話内容に反すると言えない。

【コメント】

 まず、母親の供述は調書であり、署名・捺印がなされている上、地裁判決においても否定していない。裁判官が、捜査機関の調書を主観で排斥し、都合のよいように解釈をしている。

 そして、エスカレータで入れ替わったという裁判官の勝手な想像であるが、Aは証人尋問で、弁護人に対し、「エスカレータで犯人は前にいました」と明確に証言している。この証言を恣意的に排除し事実認定を行っている。 そこまでして「有罪」認定をしたいのかと憤りを覚える。

 

 

署名等の御依頼

支援者の皆様

訪問者の皆様

 

 以下のURLで、Twitter並びにchange.orgをはじめました。

 御支援下さいますようよろしくお願いいたします。

   特に事件の概要等、皆様の信頼できる方々に周知して戴けると幸いです。

 

 以下順に、署名サイト、事件の全容を記したブログのページのリンクです。

 御覧ください。

 

 

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025最高裁判例

 最高裁判所で「逆転無罪」となった事件で、千葉勝美判事は以下の補足意見を述べている。

 

 千葉裁判官の補足意見の一部(H23.7.25事件)

 一般に、被害者の供述は、それがいわゆる狂言でない限り、被害体験に基づくものとして迫真性を有することが多いが、そのことから、常に、被害者の供述であるというだけで信用できるという先入観を持ったり、他方、被告人の弁解は、嫌疑を晴らしたいという心情からされるため、一般には疑わしいという先入観を持つことは、信用性の判断を誤るおそれがあり、この点も供述の信用性の評価に際しての留意事項であろう。

 いうまでもなく、刑事裁判の使命は、まず、証拠の証明力等を的確に評価し、これに基づき適正な事実認定を行うことであり、証拠等を評価した結果、犯罪事実を認定するのに不十分な場合には当然に無罪の判決をすべきである。その意味で、裁判官は、訴追者側の提出した証拠が有罪認定に十分なものか否かといった観点から、公正かつ冷静に証拠の吟味をすべきであって、社会的、一般的な経験則や論理則を用いる範囲を超えて、自己の独自の知見を働かせて、不十分、不完全な証拠を無理に分析し、つなぎ合わせ、推理や憶測を駆使してその不足分を補い、不合理な部分を繕うなどして証明力を自らが補完して、犯罪の成立を肯定する方向で犯罪事実の認定を行うべきものでないことは当然である。この点は、異論のないところであろうが、我々として、常に自戒する必要があるところであろう。

 供述の信用性が大きな争点となる事件において、多くの場合、信用性の吟味に際しては、供述内容に一貫性があるか、反対尋問にも揺らいでいないか、証言態度が真摯なものであるか、内容に迫真性があるか、虚偽の供述をする合理的な動機があるか等が判断の要素となると指摘されている。これらの点は、当然、重要な判断要素であり、その吟味が有用であることは疑う余地はない。これは、証人尋問を直接行った第1審での判断が基本的に尊重されるべきであるとされるゆえんでもある。 しかしながら、これらは、供述者の証言態度等についてのものであるから、常に的確な判断ができるかは、刑事裁判のみならず、民事裁判においてもしばしば問題になるところであり、供述態度が真摯で供述内容に迫真性を有し、いかにも信用性が十分にありそうに見えても、書証等の客観的証拠や事実と照らして、そうでないことに気付かされることもあるのであって、慎重で冷静な検討が常に求められる事柄である。特に、本件のような、客観的で決定的な証拠が存在しない場合には、上記の観点から信用性を肯定し一気に有罪認定することには、常に危険性が伴うことに留意する必要がある。

 

 高裁判決文の謄本が手元に届いていないが、弁護人の論理則・経験則違反を指摘した事由は、裁判官が、「社会的、一般的な経験則や論理則を用いる範囲を超えて、自己の独自の知見を働かせて、不十分、不完全な証拠を無理に分析し、つなぎ合わせ、推理や憶測を駆使してその不足分を補い、不合理な部分を繕うなどして証明力を自らが補完して、犯罪の成立を肯定する方向で犯罪事実の認定を行った」ものであるとしか思えない杜撰なものであった。

 上記最高裁判例に著しく反するものであると強く感じている。

 

 判決謄本が届き次第、掲載させて戴くこととする。