『冤罪被害者』のブログ 

冤罪被害者の闘いを綴る

033上告趣意書⑤

被害申告そのものの虚偽

 A証言、警察官証言が不合理であること、Aがいう6月29日の「事件」が自作自演であることは、既に述べた。

 そもそもAの被害申告自体、客観事実に整合しない点が多々存在する。

 以下、上告趣意書から一部引用する。

 

本件の全体像(判示第1ないし3に共通する全体像)

A証言、警察官証言による「事件」の経過

 A証言や警察官証言を前提とすれば、本件の経過は以下のとおりとなる(なお、特に記載しない限り年号は平成30年とする)。

(1) 判示第1の事実について

・5月くらいから被害に遭った(A証言調書35頁、以下、「A35頁」等という)。

・いつもα電車で通学しており、α電車以外に乗るのは例外的であった(A63頁)。

・被害に遭ったのはいつも先頭車両である(A36頁)

・5月半ばに最初に両親に相談した(A3、36頁)。

・6月11日、13日に被害に遭った(A6、8、14頁)。

・6月11日に犯人の姿を撮影した(甲27写真①)。

・6月13日に被害の様子を撮影し(甲24)、友人には写真を撮影してもらった(甲27写真②及び③)。

・6月29日、帰宅途中に最寄り駅周辺で後を付けられた(A17、43頁)。

・6月30日、警察に被害申告をした(A50、51、74、75頁)。

・両親が警察に行き、自分は家で寝ていた。

・警察から呼ばれて自分も警察に行った。

・5月から6月30日までの期間に10回以上被害に遭った(A71頁)。

・6月30日以降、警察官の指示に従い通学時間を早めた(A52頁、西口29頁)。

 

(2) 判示第2及び第3の事実について

・8月下旬に、裏付け捜査として、警察官が被告人の行動確認を行った(弁18)。

・5月から9月までの期間に20回程度被害に遭った(A35、38、71頁)。

・9月20日、21日に警察官4名が、現行犯逮捕を目的に同行警乗を行い、2日間合計40分にわたって被告人の行動を注視したが、警察官は、被告人を現行犯逮捕しなかった(西口14、37頁、池田11頁)。

・警察は、Aの供述調書を作成せず、目撃した警察官らの供述調書も作成せず、捜査報告書も作成しなかった。

・9月25日、警察は、判事第1の事実につき、被告人を通常逮捕した。

 

A及びA証言全体の信用性についての控訴審判決の誤り

(1) 客観的事実との矛盾を軽視したことの誤り

・前記のとおり、Aは6月まで10回以上、9月まで20回程度被害に遭ったと証言しているが、関係証拠に照らせば、A証言は、明らかに客観的事実に反するものである。以下、順に論じる。

・まず、Aは証人尋問において、いつも通学で利用し被害に遭ったとするα電車に乗っていない日があることを認め、さらに、被害に遭っていない日をLINE履歴照らして具体的に証言した(A63~71頁)。A証言によって、Aが被害に遭っていない日が具体的に明らかになったのである。

 つぎに、被告人の出勤履歴等を精査すると、Aと被告人がα電車の先頭車両 で同乗する可能性が否定される日が存在することが明らかになった(被告人5回1~16頁)。

・以上の関係証拠を併せる(詳細に とりまとめたものを本書添付資料1に掲載する)と、5月から6月までの期間で、Aと被告人がα電車に同乗し、Aが被害に遭う可能性がある日は、5月10,14,22日 ,6月4日の4日のみである(Aが被害に遭ったと証言する6月11、13日を含めても、被害に遭う可能性があるのは6日である。なお、被告人は先頭車両以外にも乗車することがあると認められるところ(弁18)、前記指摘の4日については、被告人がα電車の先頭車両に乗車していたことは立証されていない)。

 そうすると、6月まで10回以上被害に遭ったというA証言は、明らかに客観的事実に反しており、到底信用できないというべきである。

・これに対し、控訴審判決は「回数については、そもそも弁護人のいうとおりであったかは必ずしも明らかでない上、感覚的なところもあり、・・・、A証言全体の信用性に影響しない」旨判示している(9頁)。

 しかし、前記のとおり、上記弁護人指摘のAが被害に遭っていない日は、AのLINE履歴や被告人の出勤記録等の客観証拠に照らして明らかになったものであり、その信用性は高いものである(なお、弁護人指摘のAが被害に遭う可能性がない日を定める根拠は、A証言[A63~71頁]及び被告人供述[被告人5回1~16頁]が示すところであるが、詳細は前記本書添付資料1を参照されたい)。

 そうすると、「回数については、そもそも弁護人のいうとおりであったかは必ずしも明らかでない」旨の判示は、証拠に基づかない認定であり、不合理であるといわねばならない。

 また、被害回数につき、Aは、「たくさん被害に遭った」などといった曖昧な表現ではなく、「6月までに10回以上及び9月までに20回程度被害に遭った」などと具体的な時期や回数を用いた表現で被害を申告しているのであって、A証言に「感覚的」な所は皆無であるというべきである。

(2) 自己矛盾を不問に付したことの誤り

・Aは、「6月30日の被害申告以降は警察の指示に従い、通学で乗る電車を早めた」旨証言している。従って、6月30日以降、判示第2、3の「事件」の日までは、被害に遭っていないのである。

・しかるに、Aは、9月までに20回程度被害に遭った(要するに7月以降に更に10回被害に遭った)旨証言しているのであって、「6月30日通学で乗る電車を早めた」とするA証言と、「7月以降に更に10回程度被害に遭った」旨のA証言とが自己矛盾している。

 そうすると、Aが、被害に遭うことがあり得ない時期の被害(存在しない被害)を創作し被害を申告していることは明らかであり、A証言は到底信用できないというべきである。

控訴審判決は「回数については、・・・感覚的なところもあり、記憶や表現が適切でないこともあり得るからA証言全体の信用性に影響しない」旨判示している(9頁)。

 しかし、7月以降に被害に遭っていないのにも関わらず、「9月まで20回程度被害に遭った(7月以降に更に10回程度被害に遭った)という証言は、存在しない被害を申告しているのであって、「(Aの証言する被害回数の)記憶や表現が適切でないことがあり得る」などといった判示で到底説明がつくものではないといわねばならない。

 上記A証言の矛盾は、Aが意図的に虚偽の被害を申告したものであるとしか合理的に説明できないのである。

(3) 不誠実な証言態度を不問に付したことの誤り

・Aは、「毎日同じ電車で通学しており、α電車以外に乗るのは例外的であった」旨証言している。しかし、前記のとおり、Aは、半数以上の日においてα電車を利用しておらず明らかに虚偽証言をしている(本書添付資料1)。A証言は信用できないといわねばならない。

・弁護人は、証人尋問において、AのLINE履歴等の客観事実に照らして、Aに対し証言内容の訂正を促したが、Aは自己の証言に固執した(A62~71頁)。このことは、「毎日のように被告人とα電車で同乗し、被告人から被害を受ける機会があった」ことを殊更に創作するAの不誠実な証言態度を如実に示しているのであり、Aは証人として不誠実であり、その証言はとうてい信用できないといわねばならない。

  このようにA証言は客観事実に整合しないどころか、虚偽であることは明白である。それにも関わらず、裁判所はA証言は全体として信用できる旨判示している。

 仮に上記のような点が被告人供述で発見された場合、裁判所は有無を言わず「被告人の供述は信用できない」と判示するだろう。

 

 日本の刑事裁判は公正な機能を果たしていないのである。

032上告趣意書➃

防犯カメラ映像さえ無視する裁判所

 警察が同行警乗する端緒は、被害申告前日に被害者Aが「(帰宅途中最寄り駅周辺で)私から後を付けられた」と母親に助けを求めた出来事にある。

 しかし、最寄り駅の防犯カエラ映像を確認すると、被害者が私の後方を歩いている様子が映り込んでいた。

 これは、私の無実を証明する証拠であり、一連の「被害」がAの虚偽申告であることを裏付ける決定的証拠でもある。

 それにも関わらず、裁判所は防犯カメラ映像を無視した不合理な事実認定を行った。

 以下、長くなるが、趣意書から一部引用する。

(1) 総論
 6月29日に被告人がAの後をつけたとされる出来事は、被告人がAを付け狙っていたことを決定的に印象づけるエピソードであるとともに、Aの両親が警察に被害申告に行く契機となった出来事である。
 ところが、この6月29日の「被告人に後をつけられた」というエピソードは、Aによる自作自演であった。実際には、Aは帰宅途中の電車で被告人を見かけ、Aが被告人をつけ回し、被告人の後をつけながら母親に電話をかけ、「被告人に後をつけられている」と虚偽を述べたのであった。
 控訴審判決は、6月29日のAの母親への電話が自作自演ではないと判断したが、この控訴審判決の判断は、客観証拠にも、検察官も争わない事実にも反し、Aの公判証言にも反しており、何ら証拠に基づかない前提事実の認定に基づいていた。
 かかる致命的な事実誤認が、Aの自作自演を否定するという誤判を招き、A及びA証言全体の信用性判断の誤りを招き、ひいては無実の被告人を有罪にするという重大な事実誤認を招いたのである。
(2) 1回目の母親への電話における自作自演
ア Aが母親に告げた内容
 6月29日、Aは、19時41分から約1分間、母親と1回目の電話をしている(甲4の写真17)。その内容は、「帰りの電車なんやけど、痴漢の犯人が同じ車両におる」、「駅のエスカレータ上がってるんやけど、(痴漢の犯人が)自分の後ろの方にいる」というものであった(甲14の7頁)。
イ 客観的事実
 他方、客観的事実としては、被告人が19時42分44秒に最寄駅の改札を出たのに対し(一審弁15)、Aはその直後の42分57秒の時点で未だ改札内におり、Aが携帯電話で母親と1回目の電話をしている様子が防犯カメラの映像に映っている(一審弁11の写真11)。
ウ Aの公判証言
 Aは、公判において、6月29日にAが電車を降りてエスカレータに乗ったときは、「(被告人は)前にいました」(A43頁)、「前にいたんは前にいました」(A73頁)と明確に証言した。
エ 自作自演であること
 以上からすると、1回目の電話の時点では、被告人はAの前にいたのであり、母親に対する「(痴漢の犯人が)自分の後ろの方にいる」という通話内容が虚偽であることは明らかである。
 つまり、Aの母親に対する「痴漢の犯人に後をつけられている」という被害申告は、自作自演であることが明らかである。
控訴審判決の致命的な誤り
 控訴審判決は「エスカレータでは後にいた被告人をAが先に行かせたため、改札ではAが被告人の後を歩いている形になったことが母親の供述に照らしても考えられる」と判示している(9頁最下行以下)。
 しかし、エスカレータで被告人がAの前にいた事実は、客観的事実から明らかである上、A自身が公判でも認め、検察官もこれを争っていない。
 他方、控訴審判決が示した「エスカレータでは後ろにいた被告人をAが先に行かせたため、改札ではAが被告人の後ろを歩いている形になった」という可能性は、前提である「エスカレータでは後ろにいた被告人」という状況が、客観的事実にも、争いのない事実にも、A証言にも反している。
 そして、何ら証拠に基づかない事実認定である。
 控訴審判決は「エスカレータで、被告人が前にいたのか、Aが前にいたのか」という重要な前提事実について、致命的な事実誤認を犯している。
(3) 2回目の母親への電話における自作自演
ア Aが母親に告げた内容
 Aは、19時45分から4分間(すなわち19時49分まで)母親と電 話をしている(甲4の写真17)。その際も、「先に行かせたけど、改札口のファミリーマートで立ち止まった。そやから、自分がまた先に行く形になってしまった。そしたら、後ろを付けてきた。」、「え、まじで。付いてきている。ちょっと待って、ちょっと待って。」等、被告人から後をつけられている旨を告げた(甲14の8、9頁)。
イ 客観的事実
 Aは、19時50分、母親に、被告人の車のナンバーをLINEで送信した(甲14添付資料3)。
 Aの2回目の電話は19時45分から19時49分までだから、電話を切った直後にLINEを送信したことになる。
ウ 自作自演であること
・2回目の電話でAは、「先に行かせたけど」、「また先に行く形になってしまった」などと述べている。つまり、1回目の電話の時点で「被告人がAの後ろにいた」ことを前提としている。
 しかし、前記(2)で詳述したとおり、1回目の電話の「被告人が後ろにいる」旨の被害申告がAの自作自演であったことは明らかである。
 2回目の電話においても、Aは「先に行かせたけど」と述べており、1回目の自作自演を踏まえた内容の被害申告をしている。これだけをみても、2回目の電話でAが母親に告げた「つきまとい被害」はAの自作
自演であることが強く推認される。
・Aが2回目の電話で母親に告げたのは「被告人に後ろを付けられている」旨だけであり、Aが被告人の後ろを付けたこと、被告人が車に乗るのを目撃したこと、車のナンバーを確認したことについては一切告げていない。このことは、母親は送信された車のナンバー「〇×〇×」が何のことか分からなかった事実(甲14の9頁)、及び、母親は電話を切った時点でAの身が危険であると感じて駅まで迎えにいった事実(既に被告人が車で
立ち去ったことを告げられていれば、電話を切った時点では危険が去ったことを認識できる)にも、裏付けられている。
 なお、Aは、「2回目の電話で、母親に対して、自分が被告人の後を付けていること、被告人が車に乗ったこと、被告人の車のナンバーは〇×〇×であることを告げた」旨を証言した(A74頁)が、上記の理由から、虚偽であると認められる。
・Aは、実際には自分が被告人の後ろをつけ回し、被告人が車に乗るのを確認し、車のナンバーまで確認していたのに、その最中でした母親への電話では、「え、まじで。付いてきている。ちょっと待って、ちょっと待って。」等と言って、被告人に後ろからつけ回されている旨を告げていたのである。
 したがって、2回目の電話でAが母親に告げた「痴漢の犯人に後をつけられている」という被害申告は、自作自演であることが明らかである。
エ A証言を前提にしても自作自演であること
・A証言を前提にしても、Aは改札口を出た後、そのまま歩いてスーパ
ーの駐車場で隠れたという。
 Aが最寄駅の改札を出たのは19時43分09秒(甲14の写真13)であり、Aが隠れたとされるスーパーの駐車場までは直線で約70メートルの距離である(弁19)。又、最寄駅の改札からスーパーの駐車場までの所要時間は、徒歩で約2分程度である(被告人5回32頁)。したがって、Aは、19時45分頃にはスーパーの駐車場に隠れたことになる。
 そして、Aは、スーパーの駐車場に隠れた後は、「被告人を見付けに戻っていった」、「証明写真を撮る機械のところで(被告人を)待っていた」と明確に証言している(A46頁)。
 つまり、19時45分から49分までの間、Aは、スーパーの駐車場に着いた頃に母親と2回目の電話を開始し、通話を継続しながら被告人を捜したり、証明写真を撮る機械のところまで移動したりした上で、被告人を待っていたということになる。
・そうすると、A証言を前提としても、2回目の電話の際(19時45分から49分)は、Aは駐車場に隠れていたか、被告人を待っていたか、被告人の後ろをつけて車に乗り込むのを見ていたことになる。つまり、2回目の電話の際(19時45分から49分)に、Aが被告人に後ろから後をつけられることはありえない。
 したがって、A証言を前提にしても、Aの2回目の電話の内容(今、痴漢の犯人に後から付けられている旨の通話内容)は虚偽であり、Aが「つきまとい被害」を自作自演したことが明らかである。
・ なお、直後の友人とのLINEやりとりを見ると、「朝痴漢する人が・・・おって」、「途中で逆にストーカーしたった」「爆笑」(弁3、19:53:31以降の履歴)であり、Aに切迫感は微塵も感じられない。「つきまとい被害」に遭い母親に助けを求めた直後のLINEとして、あまりにも不自然であるといわねばならない。
控訴審判決の誤り
 控訴審判決は、「母親への2回目の通話内容についても、Aが隠れたとされるスーパーの駐車場から改札までの直線距離をもって、電話があった午後7時45分以降に被告人から付けられているとAが述べるような状況があり得ないとはいえない」(控訴審判決10頁)旨説示した。
 しかし、午後7時45分から49分の電話の最中に、Aが母親に告げたような「つきまとい被害」が生じることはあり得ないことは既に述べたとおりであるし、午後7時50分にLINEで被告人の車のナンバーを送信していることからは、午後7時50分の時点で既に、被告人が車に乗って立ち去るのをAが目撃し、その際に車のナンバーを確認していたことが、動かし難い事実として認定できる。そうすると、控訴審判決が「あり得ないとはいえない」とする「午後7時45分以降に被告人から付けられてい
るとAが述べるような状況」は客観的に「あり得ない」のである。
 控訴審判決は、固い証拠から認定できる動かし難い事実に反するものであって、明らかに失当である。
(4) 控訴審判決の致命的なミスの原因(1回目の電話について)
 6月29日の出来事がAの自作自演であることは、Aの1回目の母親への通話内容が客観事実と合致しないことから優に認定できる。
 しかるに、控訴審判決は「エスカレータでは後にいた被告人をAが先に行かせたため、改札ではAが被告人の後を歩いている形になったことが母親の供述に照らしても考えられる」(9頁最下行以下)と判示し、被告人による「付きまとい」事件を認定した。
 この控訴審判決の致命的なミスの原因は、エスカレータの際の位置関係についてのA証言、「(被告人は)前にいました」(A43頁)、「前にいたんは前にいました」(A73頁)を見落としたことにある。
 すなわち控訴審は、“Aの「駅のエスカレータ上がってるんやけど、(痴漢の犯人が)自分の後ろの方にいる」旨を聞いたAの母親が、「後を付けられたら嫌やし、その痴漢の犯人に先に行かせとき」とAに助言をしたのだから(甲14の8頁)、改札の防犯カメラ映像には母親の助言を聞いた後の「Aが被告人の後を歩いている」様子が映り込んでいる”と判断したと考えられる。
 しかし、この判断は「駅のエスカレータで被告人が後ろにいる」旨の母親への通話内容が真実であることを前提としている点で、完全に間違っている。
 上述したとおり、エスカレータで被告人がAの前にいた事実は、客観的事実であり、争いのない事実であり、何よりもA自身が公判で明確に証言した事実なのである。
 したがって、本件証拠関係の下では、「エスカレータで被告人が後ろにいる」事実を真実と認めることは絶対にできないのである。
 控訴審判決は、Aの「エスカレータで被告人は自分の前にいた」旨の明確な証言(A43頁、73頁)を見落としたが、この致命的なミスが自作自演を見抜けないという重大な事実誤認を招いたのである。

 許しがたいのは、裁判所がAの最重要証言を見落としている点である。

 裁判所の職責は、証拠に基づき適正な事実認定を行うことにあるが、大阪高裁第2刑事部の裁判官(三浦・杉田・近道)はAの証言調書を読み込んでいない。

 ましてや、裁判長が若手裁判官の判決起案の誤りを瑕疵するなど職務怠慢である。

  私と弁護人は、相当な時間をかけ、「なぜ裁判所がこのような事実認定を行ったのか」ということを分析をしたが、「ミス」であるとしか考えられない結論に至った。

 

 日本の刑事司法の問題点は多々あるが、基本すらできていないのが実態であるとすれば、非常に恐ろしい(ちなみに、京都地裁の裁判官(戸崎)も、Aの証言調書を読まずに、Aが撮影した写真を友人が撮影したと誤判した)。

 

031上告趣意書③

合致しない証言を合致していると認定する裁判所

 Aの自作自演の可能性、警察官の偽証について上告趣意書で示したが、当然ながら両者の証言は合致しない。

 以下、趣意書から一部引用する。

 控訴審判決は、T駅以降の位置関係について、A証言と警察官N証言とが相互に符合しない点につき、「Aが西側を向いていたか、南側を向いていたかは微妙な違いともいえるのであって、いずれにせよ、被告人がAから見て右前の位置で、Aに対して、右手で股間に押し付けるようしてきた」旨説示する(控訴審判決16頁最下行)。
 しかしながら、Aは、「(一審検察官に対して2度にわたって)自分は西側を向いていた」旨証言し(A26頁)、Nは、「Aの顔は南側を向いていた」旨証言している(N34頁。なお、10月30日付の「同行警乗に基づく被疑者の犯行再現」と題する捜査報告書では、仮想Aは顔だけでなく体自体南側を向いている)。両者の供述内容を図示すると以下のようになる。

 (図省略)
 上記の図から一目瞭然であるが、A証言とN証言は、そもそも符合しないのである。
 控訴審判決は、この点につき、「微妙な違いともいえる」(控訴審判決16,17頁)旨説示し、両者の証言が符合する旨説示するが、この違いを「微妙な違い」だと評価することは社会通念から乖離しているし、「微妙な違い」だと強弁して両者の供述の信用性を救済するような事実認定手法は明らかに失当である。
 ましてや、「微妙な違い」があることを認めながら、「両者の供述が符合し相互に信用性を高め合っている」などと評価することは論理則にも経験則にも反するのであって、かかる控訴審判決の事実認定手法が誤判を招いたといわなければならない。

 控訴審判決は、O駅からT駅までの間で、Aが、「警察官が、手が届かないよう身体で塞いでくれた」、「被告人が(警察官の)手を払った」と証言しているのに対して、Nは全く証言していないことにつき、「Aが証言する警察官や被告人の動きが、それぞれどの程度意識的になされたのかなども判然としないものであり、A証言のこれらの点をN警察官が供述していなかったことから、A証言が信用できないとはいえない」旨説示した(控訴審判決17頁7行目以下)。しかし、Aの証言する警察官や被告人の動きが意識的でないとすれば、なぜAがそのように判断したのか説明がつかないのであって、控訴審判決の上記判断は経験則に反し、失当である。
 ところで、Aは、「(目で後ろを向くよう)警察官が言ってきたので、後ろを向きました」とも証言している(A24、59頁)。
 このAの証言を前提とすると、O駅からT駅の間では、AはNに背を向けたことになる。この動きをNが証言していないことの不自然性は際立っている。およそ合理的説明をつけることができない。
 それ以上に合理的説明をつけることができないのは、A証言を前提とすると、Nは、O駅からT駅の間は、Nに向かって背中を向けているAの股間付近を視認することは物理的に不可能である、という点である。
 この区間につきNは、「私の目線から遮るものはなかった」「被告人の手はずっと被害者の股間付近に位置していた」と証言している(N頁)。
 つまり、A証言とN証言は、両立が不可能なのである。
 一般常識を有する者ならば、両立が不可能な証言について「両者は符合する」と判断することはない。
 A証言とN証言は両立不可能なのだから、控訴審判決のように「両者は符合する」とか「相互に信用性を高め合っている」などと判断することはあり得ない。控訴審判決の事実認定手法は論理則にも経験則に著しく反している。

 このように証言が合致しないのにも関わらず、裁判官は両者の証言が合致するとして信用性を高めあっていると認定した。

 このような事実認定が許されるのが日本の刑事裁判の実態である。

 

030上告趣意書②

警察は偽証をしないという先入観

 それにしても、裁判所は、警察が偽証をしないという先入観に囚われすぎではないか。

 捜査官は、誤認逮捕をすれば失態であるから、当然公務員として責任は免れない。公判で自己保身に走る動機は大いにある。

 本件では、N警察官は、捜査段階で「現認できなかった」旨の捜査報告書を作成しているのにも関わらず、突如として公判で「手が当たったり離れたりしているのを見た」と供述を変遷させた。

 N警察官には、供述を変遷させなければならない動機が十分にある。

 すなわち、N警察官は、Aから被害に遭ったとされる証拠画像を受理し、それを証拠に通常逮捕に踏み切った。

 しかし、取り調べ段階で、その画像に映る人物が別人であることが判明してしまったのだ。

 N警察官は、誤った証拠に基づいて、通常逮捕を行ってしまったのである。

 N警察官は、これを隠蔽するために、同行警乗から1か月後に「目撃状況再現」なるものを行い、証拠を捏造した。

 以下の時系列を見れば、京都府警の捜査の不自然さは際立っている。

本件の捜査の客観的経緯は、以下のとおりである。

①6月30日、Aの両親が警察に被害申告をした(捜査の端緒)。

②8月下旬まで複数回、被告人の通勤を尾行して行動確認を実施した。

③9月20日及び21日、現行犯逮捕を目的として同行警乗を実施したが、現行犯逮捕をしなかった。

 両日について、A及び同行警乗した警察官の供述調書や実況見分調書等を作成しなかった。

④9月25日、判事第1の事実(6月事件)につき被告人を通常逮捕した。被告人が一貫して容疑を否認した。

⑤9月29日、判示第2,3の事実につきAの供述調書を作成した。

⑥10月24日 、Aが判示第2の事実の証拠として提出した本件写真(一審弁1)に写る人物が被告人とは別人であることが判明した。

⑦10月30日、警察官による「目撃状況再現」を実施した。

Aの自作自演を見抜けない警察、検察、そして常識から乖離する裁判所の判断

 この写真が別人であることはA自身認めている。

 しかし、裁判所は、このAの行為を自作自演と事実認定しない。

 上告趣意書には、以下のように記している。

(1) Aは別人の写真を捜査機関に提出し、被害を受けたと申告していたこと
ア 本件写真について争いのない点
 Aは、証拠を保全するために本件写真(一審弁1)を撮影したと主張している。本件写真はT駅以降に撮影されたものである(甲29、甲7照)。
 本件写真に写る白い半袖シャツの人物が被告人とは別人であることについては、現在では争いがない。
控訴審判決の明らかな誤り・その1
控訴審判決は、「弁護人は、Aが事件性を作出するために上記写真を撮影した旨主張するが、当該写真及びその写真についてのAの説明を見ても、Aの説明による「犯人」がAの股間部分を触っているようには解されないのであって、Aが事件性を作出するために撮影し、警察に提出したとは考え難いというべきである」旨説示する(控訴審判決15頁下から5行目以下)。
 しかし、控訴審判決の上記説示は、明らかに証拠及び裁判所に顕著な事実(身柄関係書類の記載、添付資料6)に反しており、失当である。
・ 本件写真にA自身が記入した説明には、Aが「犯人」とする人物の右手が接触しているように見える部分に「自分の股間の部分です」と明確に載されている(一審弁1)。
 このようにAは、警察に対して、本件写真が、①「犯人の手が自分の股間を触っている場面である」と説明し、また、②「自分が痴漢にあっている場面である」と説明していたことは、証拠上明らかである。
 したがって、控訴審判決の「Aが事件性を作出するために撮影し、警察に提出したとは考え難い」旨の事実認定は、明らかに間違っている。
 むしろ、実際には「犯人とされる者の手がAの股間に触れていない」写真を、「痴漢されている場面」として提出した事実は、「Aが事件性を作出した」ことの動かぬ証拠と認めなければならない。
・ ところで、控訴審判決の上記説示は、Aから本件写真の提出を受けた警察が、本件写真を現に痴漢が行われている場面を撮影した証拠として逮捕状に添付した事実、及びこれらの疎明資料に基づいて裁判官が逮捕状を発付した事実にも反するものである。
 すなわち、本件訴訟記録に綴られている判示第2及び第3の事実について裁判官が発付した平成30年10月15日付け逮捕状及び逮捕状請求書(本書添付資料6)に明記されているとおり、「被疑者が罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由」として、Aの同年9月29日付け供述調書(「(1) 司法警察員が録取した被害者の供述調書」)及び本件写真(「(2) 被害者から提出を受けた画像の記録」)が提出されている。

 そして、同供述調書には「この写真に写っている右側の白い半袖シャツを着ているのが犯人の男で、犯人の右手が自分の股間の部分を上から押し込むようにして触っている時のものです。」(控訴審弁3の10頁)と明記されている。
 以上の客観的事実から明らかなことは、少なくとも判示第2及び第3の事実について逮捕状が発付された時点では、警察及び裁判官は、「犯人が自分の股間を触っている瞬間の写真である」というAの説明を信用し、本件写真は現に痴漢が行われている写真であるとして、逮捕状請求及び逮捕状発付の証拠として用いたという事実である。
 要するに、本件写真(一審弁1)及びその説明をするA供述(控訴審弁3)並びに逮捕状が発付された事実(本書添付資料6)からは、警察及び裁判官が、Aが自作自演した痴漢被害の写真及びA供述に、まんまと騙されたことが判る。
 しかるに控訴審判決は、「当該写真及びその写真についてのAの説明を見ても、Aの説明による「犯人」がAの股間部分を触っているようには解されないのであって、Aが事件性を作出するために撮影し、警察に提出したとは考え難いというべきである」(15頁)などと判示しているのであって、明らかな事実誤認である。
・ なお、警察及び検察が、本件写真に写っている白い半袖シャツの人物が被告人とは別人であること、同人物はロングシートに座った状態であること、同人物の手がAの股間に当たっていないこと等を認識したのは、10月24日の検察官取調べにおいて被告人からその旨の指摘を受けたときである(本書添付資料7の3,4頁)。同日の検察官取調べにおいて、被告人は、本件写真(一審弁1)に写る人物が座っている状態であることを一見して指摘している。日常的に本件電車に乗っている者であるならば、本件写真に写る人物が立っているか座っているか即座に判断できるのであり、「立っているか座っているか直ちに判別できない」旨を判示してAの信用性を救済した控訴審判決(15頁16行目以下)は失当である。
控訴審判決の誤り・その2
・A供述は、以下のとおり、客観証拠である本件写真と矛盾する。客観証拠との矛盾であるから、少なくとも矛盾する部分はA供述が真実に反していると認めざるを得ない。
 A供述の客観証拠との矛盾(真実に反する供述)は、ありもしない被害を自作自演したことの結果として生じたものと考えるのが合理的である。
 ところが、控訴審判決の説示からは、かかる視点から検討した形跡まったく窺われない。「被害者の供述は信用できる」「被害者は嘘をつかない」という先入観にとらわれて、供述の信用性を慎重に吟味しようとする姿勢が欠如しているから、控訴審は真実を見抜けなかったのである。
・ Aは、判示第2の事実の被害につき、「右手を股間に押し付けるようにして痴漢されました」と証言した(A26頁)。
 Aは、「右手を股間に押し付けるようにして痴漢されました」と証言しているのであるから、Aが携帯電話を下に向け画像を撮影した場合、被害を受けている場面が映り込むと考えるのが経験則に適っている。また、A証言によればT駅からJ駅まで被告人の手が股間に当たっていたというのだから、Aが携帯電話を下に向けて画像を撮影した場合には、被告人の手が写り込まないことは考え難い。
 しかるに、本件写真はそのようなものとなっていない。Aが被害にあっている場面が写っていないだけでなく、被告人の右手すら写っていないのである。A証言は本件写真と根本的に矛盾している。
 客観証拠(本件写真)との矛盾が明らかになった以上、A証言の信用性評価は、慎重の上にも慎重にする必要がある。そして、本件写真との矛盾という事実から当然に導かれる「少なくともT駅からJ駅までの間ずっと股間を触られていた旨のA証言は信用できない」という結論に思いが至れば、A証言を安易に信用してはならないという発想が生まれるはずだし、本件痴漢被害がAによる自作自演の可能性があるという発想が生まれるはずである。
 ところが控訴審判決には、そのような姿勢がまったく窺われない。これでは真実を見抜くことなど不可能である。
・ T駅以降の位置関係につき、Aは、要旨、「東側に移動し、椅子の端のところで(進行方向を北とした場合)西側を向いていました」、「犯人は右前にいました」と証言している(A25、26頁)。
 しかしながら、本件写真に記載されたAの説明を前提にすると、Aは、「犯人」が座る東側ロングシート前に東側を向いて立っていたことになる。
 Aの「(T駅到着後)西側を向いて立っていました」との証言は、客観証拠(本件写真)と根本的に矛盾している。

 捜査段階で、この写真が別人であるこが発覚した時点で、慎重な捜査をすればいいだけの話である。しかし、警察や検察、裁判所に真実を追求する姿勢は窺えない。

 その他証拠を検討しても、Aの自作自演疑うべき事情は多数存在している。

 

 最高裁判所には、被告人を救済できる最後の砦として責任を果たしていただきたい。

029上告趣意書①

無実を示す証拠採用を却下する裁判所

 先日、上告趣意書を最高裁判所に提出した。

 大阪高裁の三浦透裁判長は、以下のような公正でない裁判を平気で行っている。

 法令違反を指摘した箇所から一部引用して取り上げる。

 警察官Nは、10月25日付検察官調書(一審弁28)において、9月21日の目撃状況につき、「(被告人が)Aの股間に右手を押し当てていたかどうかを直接みることができませんでした」と供述している。他方、Nは、公判において、「被告人の手がAの股間部分に位置し、当たったり離れたりしていた」と証言した。

 控訴審判決は、この点を変遷とする弁護人の指摘につき、「上記検察官調書の記載は、被告人がAの股間に右手を押し当てていたかどうかについて言及したものではあるが、手がAの股間に当たっていたかどうかを目撃したかについては、直接言及していないと見る余地のある表現である」とし、「『N証言自体に曖昧さがあるとした上で、・・・N証言の信用性の根幹部分の信用性を損なうものであるとはいえないとす《ママ》原判決』に誤りがあるとはいえない」旨説示する(控訴審判決24頁最下行以下)。

 かかる控訴審判決には、日本語の基礎的な読解力に欠けると言わざるを得ない。なぜなら、検察官調書には次のとおり記載されているからである。

 「私は、その様子を被疑者から見て左斜め後ろから見ていました。そのため、被疑者がAの股間に右手を押し当てていたかどうかを直接見ることはできませんでしたが、先ほどお話ししたようにこの日は車内がぎゅうぎゅう詰めの状態で他の場所に移動することもままならなかったため、被疑者の痴漢を現認できるようにすることができない状態でした。」(一審弁28・9,10頁)

 日本語の基礎的な読解力のある者に、「Nは被疑者の右手を現認できたか」と尋ねれば、「できなかった」と答える。N警察官と調書を作成したF検察官に基礎的な日本語の能力が備わっていないとは考えられないから、少なくともNは上記検面調書の作成時には、「被告人の右手を現認できなかった」と供述していたことは明らかである。

 したがって、Nの供述が、「被告人の右手を現認できたか否か」という核心部分で変遷していることは明白であって、これを上記のように趣旨を曲解してN証言の信用性を救済した控訴審判決は失当である。

 そのことはひとまず措くとしても、仮に控訴審がNの検察官調書の記載は多義的に解釈が可能であり、検察官調書だけではNが捜査段階で「手がAの股間に当たっていたかどうかを目撃したかについては、直接言及していないと見る余地」が残ると考えたのであれば、Nが内容をチェックした上で押印した捜査報告書(控訴審弁7,8)を採用して取り調べれば、Nの捜査段階での供述の意味内容を明確にし、適切な事実認定ができたのである。すなわち、Nを含む警察官らが事件から4,5日後の段階では「現認できなかった」と供述していたことが明らかになったのである。

 まず、「被疑者の通勤時の行動確認結果(9月20日)について」と題する捜査報告書(控訴審弁7)及び「被疑者の通勤時の行動確認結果(9月21日)について」と題する捜査報告書(控訴審弁8)は、Y警察官が作成したものであるが、捜査責任者であるNの押印があるところ、Nはその内容をチェックしたことを認めている(N42頁)。そして、同捜査報告書には同行警乗した警察官が被告人とAを注視したが、「実施結果」として、「手が被迷惑者に触れているか否かの確認はできなかった」(控訴審弁7・4枚目)、「手が被迷惑者に触れているか否かは判然としなかった」(控訴審弁8・4枚目)と明記されている。

 つまり、控訴審が上記捜査報告書を取り調べていれば、上記供述調書のN供述の趣旨は、「手が股間に触れたのは現認していない」という趣旨であることが明らかであり、したがって、「被告人の手がAの股間部分に位置し、当たったり離れたりしていた」旨のN証言が、上記供述調書と矛盾することが容易に判断できたのである。

 「手が股間に当たったのを現認したか否か」という核心部分についての供述の変遷は、N証言の信用性の根幹を揺るがすものであるのに、控訴審判決は、上記捜査報告書(控訴審弁7,8)の取調べ請求を却下したうえで、「(弁護人の主張は)採用された証拠に基づかない主張である」(控訴審判決26頁)などと説示して、弁護人の主張を排斥し、もってN証言の信用性を救済した。

 このような裁判が、いまなお日本で平然と行われているのである。

 無実の証拠を採用せず、不合理な理由を適当に加え有罪認定につき進む。

 まさに警察や検察に忖度した刑事裁判の典型である。

 

 すべての裁判官がそうであるとは言わないが、いま私の身に起こっていることは、インターネットを見る限り、多くの冤罪被害者が経験していることである。

 また、検察が示す理念には、「無実の者を罰し,あるいは,真犯人を逃して処罰を免れさせることにならないよう,知力を尽くして,事案の真相解明に取り組む」「被疑者・被告人等の主張に耳を傾け,積極・消極を問わず十分な証拠の収集・把 握に努め,冷静かつ多角的にその評価を行う」と明記されている。

 

 日本の警察や検察が目を覚まし、裁判所がその不正を正す役割を果たせる日はくるのだろうか。

028上告趣意書を提出いたしました

上告趣意書提出

 2020年5月13日、上告趣意書を最高裁判所第一小法廷に提出いたしました。今後、本ブログ上で上告趣意の内容を掲載する予定です。

 

 高裁裁判官は、被害者証言調書の最重要証言を見逃し(もしくはろくに確認せず)誤った前提に立って判示をしたり、「現認できなかった」旨の記載がある警察の捜査報告書を証拠採用せず、警察官の「手が当たったり離れたりするのを見た」旨の公判証言を信用できると判示したりするなど、とうてい公正とは言い難い判決をくだしています。

 今回の趣意書では、健全な社会通念に照らして高裁判決が極めて不合理な点を具体的に指摘することができたと思います。今後のブログをぜひご覧ください。

 

請願署名提出

 皆さんのご支援のもと集まりました署名は、第一次集計段階で4071筆、電子署名227筆となりました。

 想像より遥かに多い数であることに驚くとともに、皆様の大きな力を肌で感じています。

 私の声と皆様の声が、当然に最高裁判所に届くことを願っています。

 本当にありがとうございました。

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請願署名

 

謝罪しない滋賀県警

滋賀県警という組織

 先日、湖東記念病院再審で漸く西山さんの無罪が確定した。

 検察が上訴権を放棄し、無駄に2週間待つことなく無罪が確定した。

 

 しかし滋賀県警の対応には驚かされるばかりだ。

 あまりにも驚いたので記事にしておく。

 

 以下、「毎日新聞」(4月18日付配信)より引用する。

 滋賀県東近江市の湖東記念病院の入院患者死亡を巡って県警に逮捕され、殺人罪で服役した元看護助手の西山美香さん(40)が再審(やり直しの裁判)で無罪判決を受けて確定したことについて、県警は滝沢依子本部長が出席する17日の定例記者会見で質問を受け付けないと記者クラブに通告した。

 本部長の定例会見は、毎日新聞を含む新聞やテレビなど報道機関15社が加盟する「県警記者クラブ」の主催で毎月1回開かれ、刑事部長らも出席する。無罪確定後、会見は17日が初めて。クラブ側は7日、大津地裁が3月31日の再審判決で、取り調べをした刑事が西山さんの恋愛感情を利用して「自白」を誘導したり、飲食を提供したりするなど捜査手法に問題があったと認定したことに対する見解や、西山さんへの謝罪、再発防止策などに関する質問を事前に伝えた。

 これに対し、県警広報官室は「個別案件は答えられない」と質問案を拒否。加盟社の意見をとりまとめる幹事社が理由を文書で答えるよう求めたが、県警は4月16日、「文書にする必要がない」として回答を拒んだ。

 再審判決は、西山さんの自白の任意性を否定し「患者が殺害されたという事件性すら証明されていない」と指摘。大西直樹裁判長は説諭で「警察、検察、弁護士、裁判官を含め全ての関係者が自分のこととして、西山さんの(逮捕からの)15年を決して無駄にしてはならない」と述べていた。

 県警は当日、刑事企画課幹部が報道陣の取材に「無罪判決については真摯(しんし)に受け止め、今後の捜査に生かしてまいりたい」とのコメントを繰り返すにとどまった。

 弁護団長を務めた井戸謙一弁護士は「権威ある裁判所から具体的に捜査の不当性を指摘された。どのように改善していくのかを県民に説明するのは警察の義務で、極めて不誠実な対応だ」と話した。【菅健吾】

  謝罪しないどころか、完全に逃げている。

 恐らく、今後民事裁判で賠償が争われるから、「謝罪」できないのであろう。

 この滋賀県警、昨年は、大学生を誤認逮捕(4回再逮捕)し、人生を狂わせている。

 

 反省をしない組織であるから、同じ失敗が繰り返される。

 なぜそこに気づかないのか疑問である。

 

 裁判長が説諭で厳しい批判を述べているが、まったく届いていないのだろう。

 この有様、もっと報道されて然るべきではないか??

 

判決文に記された滋賀県警の捜査

 余談であるが、判決文が裁判例に掲載されていたので、引用しておく。

 これだけの事実がありながら、いままで西山さんの「自白」を信用し、無罪を出さなかった裁判官にも唖然とする。

 本件における防御権侵害や捜査手続の不当・不適切性は,これらを主たる理由として任意性を否定されたこれまでの事案ほどに深刻なものとまではいえないとしても,被告人の特性・恋愛感情やこれに乗じて被告人に対する強い影響力を独占してその供述をコントロールしようとするF警察官の強固な意図と相まって,虚偽供述を誘発するおそれがあるものであったというべきであり,かつ,現に明白な虚偽供述を含む本件自白供述を誘発した疑いが強いというべきである。防御権侵害及び捜査手続の不当・不適切性の有無,程度等の捜査機関側の事情に加え,知的障害・愛着障害等の特性や恋愛感情等,供述者たる被告人側の事情をも含む,上記供述がなされた経緯,過程に関わる諸事情を総合すると,本件自白供述は,実質的にみて,自発的になされたものとはいえず,上記防御権侵害や捜査手続の不当・不適切性によって誘発された疑いが強いというべきであるから,「任意にされたものでない疑」があるというべきである。 なお,F警察官に対する恋愛感情は,少なくとも初期の段階では被告人の自発的な感情であり,Aを殺した旨を初めて述べた時点では,その供述が外形的にも実質的にも自発的になされたものであることは前記のとおりであって,恋愛感情の存在は,それ自体が直ちに任意性を疑わせる事情になるものではない。しかし,F警察官は,被告人が,弁護人との接見後,否認に転じると,被告人の恋愛感情や迎合的な供述態度を熟知しつつ,これに乗じて被告人の供述をコントロールしようとの意図の下で,不当・不適切な手段を用いて,恋愛感情を増進させつつ,他方で弁護人への不信感を醸成させ,被告人に対する影響力を独占し,その供述を誘導,コントロールしようとしたものであって,そのような状況の下でなされた供述は,もはや実質的には,自発的に行われたものとはいえず,不当・不適切な捜査等によって誘発されたものと評価するのが相当であるから,前記認定を左右しない。 

 なお、ここでいう不適切な捜査は、以下のとおりである。

 F警察官が,遅くとも平成16年6月下旬頃までには,被告人の迎合的な態度や自身に対する恋愛感情を認識していたこと,接見等禁止中で弁護人としか接見できない被告人に対し,接見毎にその内容を聞き出した上,弁護人に対する不信感を煽るような言動を繰り返すなどしたこと,その一方で,事件に関する供述以外に,被告人の自身に対する恋愛感情を記載した供述調書を多数作成したり,取調べ中,毎日のように,被告人にジュースを差し入れて飲ませたり,取調べにおいて,本来,立ち会わせるべき女性警察官を取調べ室外に待機させて,被告人と2人きりの状態にし,被告人が自身の手を触ってくるのを黙認したりしたこと等の事情を併せ考慮すれば,F警察官が,逮捕後の取調べを通じて,被告人の特性や恋愛感情に乗じて,被告人に対する強い影響力を独占し,その供述をコントロールして,自白供述を維持させようとする意図を有していたことが推認される。  さらに,F警察官が,起訴後も,被告人に対して幾度も取調べを行ったこと,弁護人や両親との接見を重ね,公判期日において否認をしようと考えていることを知るや,被告人に指示して,公判でも事実を認める旨の検察官宛の手紙等を複数作成させた上,確定第1審の第1回公判期日を傍聴したことなどの本件自白供述以降の事情は,F警察官の被告人に対する影響力を独占し,その供述をコントロールしようとする意図の存在を裏付け,かつ,それが強固なものであったことを示すものといえる。

  このF警察官は、懲戒処分されるべきではないのか。

 少なくとも、捜査にかかる内規違反を犯しているではないか??

 

 世の中コロナの報道で大変であるが、絶対に闇に葬ってはならないと思う。

 

湖東記念病院事件再審無罪判決

問われるべきは捜査のあり方、裁判のあり方、刑事司法のあり方

 再審無罪判決を下した大西直樹裁判長は、以下のように説諭したという。

 現役裁判官の言葉としてその意味は大きいといわねばならない。

 ところで、平成16年7月に刑事に自白したことを後悔し、気に病んでいるかもしれません。ただ、西山さんがうそをついたからといって、西山さんのせいにすることはできません。

 本質的に問われるべきは捜査手続きのあり方です。自白について慎重なうえにも慎重に検討を重ねるべきでした。(医師の鑑定結果)そのものも慎重に検討されたのか重大な疑義があります。

 逮捕から15年以上経って、初めて開示された証拠もありました。西山さんの取り調べや証拠開示など一つだけでも適切に行われていれば、西山さんが逮捕・起訴されることもなかったかもしれません。

 西山さんとご家族もつらく苦しんだと思います。時間を巻き戻すことはできません。問われるべきは捜査のあり方、裁判のあり方、刑事司法のあり方。大切な問題提起をしていることは間違いありません

 刑事司法にはまだまだ改善する余地があります。刑事司法に携わる関係者が自分のこととして考え、刑事司法の改善に結びつけていかなければならないと思っています。西山さんの15年を無駄にしてはならないと思います。

 今回の再審は、これからの刑事司法をよい方向に変えていく大きな原動力になります。一方で、男性患者のご家族のことを忘れてはならないと思います。

 「一人一人の声を聞いて審理していただきたい」という西山さんの話に驚きました。当たり前のことだと思っていますが、私自身、西山さんの発言を聞いて一人一人の声を聞く重要性を再確認しました

 15年あまり、さぞつらく苦しい思いをしてきたと思います。もう西山さんはうそをつく必要はありません。これまで裁判を通して支えてくれる人に出会ったと思います。これからは自分自身を大切に生きてもらいたいです。今日がその第一歩となることを願っています。

027上告趣意書の提出期限

最高裁から通知が届きました

 最高裁判所より以下の通知が届きました。

 提出期限に向けて趣意書作成を行っていきます。

上告趣意書差出最終日通知書  最高裁判所第一小法廷

 

 本件について、上告趣意書を差し出す最終日が、次のとおり指定されたので、通知します。

 最終日 令和2年5月13日

  担当法廷は、上記のとおり、最高裁判所第一小法廷となりました。

 公には知られていませんが、最高裁は小法廷の裁判官が最初に審理をするのではなく、調査官が書面に目を通し審理が必要と判断した場合に、上席調査官、最高裁裁判官の順に事件が回付されるようです。

 まずは調査官の目に留まる上告趣意書を仕上げることに注力いたします。

 

署名活動

 引き続き請願署名をよろしくお願いいたします。

innocence-story2020.hatenablog.com

innocence-story2020.hatenablog.co

請願署名受入の御礼

請願署名の御依頼

 請願署名にご協力いただき御礼申し上げます。

 個人で署名を呼び掛けてくださっている方、各団体で署名活動にご理解をいただき、署名活動を行ってくださっている方、お時間を割いて下さりありがとうございます。

 皆様の一筆を最高裁判所にしっかりと届けたいと思います。

 4月24日(金)の一次集計まで、ご支援よろしくお願いいたします。

chng.it

 

大崎事件についてー第4次再審請求のクラウドファンディング

  第4次再審請求開始にあたって支援の呼びかけです。第3次再審請求は、地裁・高裁で再審が決まったのにも関わらず、最高裁がまさかの棄却決定。

 サイト内に掲載されている周防監督の言葉は非常に重いものです。

readyfor.jp

 

 日本の刑事裁判で冤罪事件は非常に多く、素人の私が公判経過、判決文を調べるだけでも、

 ・今市事件 ・恵庭OL殺人事件 ・筋弛緩剤点滴事件

などが挙げられます。

 そして、私の弁護人が担当されている「湖東記念病院事件」は、3月末漸く再審無罪が言い渡されようとしています。

innocence-story2020.hatenablog.com