018真の犯罪者
伝説の裁判官と言われる人物がいる。
原田國男氏だ。
同氏の著書『逆転無罪の事実認定』の中の一部を掲載する。
判決宣告の中でいちばん心に重いことは、真実を知るものが神様のほかにいるということである。まさに、目の前の被告人が、判決が正しい判断であるか否かを知っている。正解を知っているのである。
いくら立派な判決を書いても、それが真実に反していれば、その権威はない。権力によりそれを正当なものとして被告人に従わせることはできるが、事実に反した判決は、正義に反している。もし、本当は無実なのに有罪とするのであれば、その瞬間、真の犯罪者とすべきは、被告人ではなく、裁判官自身なのである。
これをどう考えるべきか。私は、正しい手続きを踏み、審理を尽くしたといえるならば、仮に真実に反する判断に達したとしても、それはやむをえないというしかないと思っている。
二つの場合があろう。真犯人であるのに無罪とした場合と真犯人でないのに有罪とした場合である。後者の場合は、裁判官の良心としての責任は免れない。前者の場合、被告人は喜んで心のなかで舌を出しているであろう。その意味では、正義に反している。しかし、前述したように、疑わしきは罰せずということからすれば、これはこれで、その司法的な正義は実現されているのであるから、裁判官の罪は軽いというべきである。前者を避けるために、後者の誤りを犯すことになる。
一審、京都地裁、戸崎涼子判事の判決が不合理である以上闘うしかない。
2019年7月18日、即日控訴をした。
控訴審に向けての準備がはじまった。
innocence-story2020.hatenablog.com