『冤罪被害者』のブログ 

冤罪被害者の闘いを綴る

019控訴審の構造

〔論理則・経験則等違反の指摘〕

 控訴審の構造につき、原田國男氏の『逆転無罪の事実認定』より引用する。

 現行の刑事控訴審は、事後審査審である。事後審査審というのは、原判決の時点で、原判決で取り調べた証拠(旧証拠)により、原判決の当否を審査する。・・・・・・旧証拠により審査するのが原則であるから、原審で取り調べられなかった証拠は、やむを得ない事由により請求できなかった場合か裁判所が職権で取り調べる場合にしか採用されない。

 このような事後審査審の構造のもとで、刑事訴訟法382条の「事実の誤認」とは何を指すのか、・・・・・・論理則・経験則等違反説によれば、事実の誤認とは、原判決の事実認定に論理則・経験則等の違反があることであり、それを指摘できない以上、法は原判決の事実認定を優先させたとするのである。

 最高裁は、まず、上告審の事実審査について、論理則経験則等違反説によることを明示したうえ(平成21年4月14日判例)、控訴審においても同説によることを明確に判示した(平成24年2月13日判例。平成24年の判例は、チョコレート缶内に隠された覚せい剤の密輸入について、被告人がその認識を有していたかが争われた事案である。第1審の裁判員裁判では、認識がないとして無罪とし、控訴審は、逆に認識があるとして逆転有罪とした。最高裁は、控訴審判決を破棄して、控訴棄却、すなわち、第1審の無罪判決を支持したのである。

  以上のように、控訴審で原判決を破棄し、逆転無罪を勝ち取るためには、まず原判決が起点となる。

 1審判決文を精査し、原審段階の証拠に照らして、論理則・経験則違反を具体的に指摘しなければならない。

 

〔論理則・経験則等違反以前の問題点〕

 弁護団とともに、控訴提起のあと、判決書の謄本を取り寄せ判決文を精査した。

 恐ろしい事実に気が付いた。

 原審裁判官が、証拠を取り間違っていたのである。

 

 もはや、論理則・経験則以前の問題である。

 

 6月11日に撮影された被告人の姿が写された写真①を(迷惑行為を受けていると判断した)友人が撮影したものと解釈したのである。

  

 原審裁判官は、証拠すら正解しようとしていないのである。

 恐らく、この誤解が事実認定に大きく誤審へと導いた。

  

 以下、控訴趣意書を抜粋することとする。

写真①がもつ意味

 写真①は、友人に撮ってもらったものではない。Aが撮ったものである。
 したがって、写真①を友人に撮ってもらったとの事実を前提として、「A証言は十分信用することができ(る)」(原判決5頁)とする原判決は誤りである。
 ところで、Aは6月11日には痴漢被害に遭っていない。6月11日に被告人から痴漢被害を受けたというA証言は、何らの裏付けがない(当初検察官は、Aの供述を根拠に6月11日の痴漢被害についても追起訴予定であった。このことは、平成30年9月20日付逮捕状及び同月17日付勾留状に、6月11日の事件が被疑事実として記載されていること、弁護人に交付された同年11月2日付起訴状に「追起訴予定」のスタンプが押されていること、原審の検察官の冒頭陳述第2の1に6月11日のことが記載されていること、起訴検事であるF検事は原審弁護人に対して6月11日の事件について追起訴予定である旨を告知していたことが示している。ところが検察官は6月11日の事件を追起訴しなかった-できなかった-という事実は、6月11日に被告人から痴漢被害を受けたというA証言に何の裏付けもないことを示しているのである。)。真実は、Aは自作自演のために、痴漢犯人として被告人の写真を撮ったのである。最初に全身写真を撮り、だんだん近づいて被告人の近影を撮影した。そのことは、6月11日にAが撮影した10枚の写真(甲27の1枚目)を撮影順に並べれば一目瞭然である。
 以上のことは原審弁論要旨18頁以下で詳述した。写真①を含む10枚の写真(甲27の1枚目)の撮影順序から判ることは、Aが自ら被告人に近づいていることである。もし被告人がAを付け狙って痴漢をしていたのであれば、Aが被告人から離れても被告人が付いてくるはずであり、甲27の1枚目の10枚の写真を撮ることは不可能である。
 真実は、Aは被告人に付け狙われていなかった。逆に、Aが被告人を痴漢の犯人に仕立て上げるターゲットとして選び、近づきながら10枚の写真を撮影していたのである。
 このように、写真①を含む写真10枚(甲27の1枚目)が撮影された事実は、少なくとも6月11日にAが被告人から痴漢被害を受けていないことを裏付けるものである。
 つまり、写真①を含む10枚の写真(甲27の1枚目)は、6月11日に被告人から痴漢被害にあった旨のA証言と矛盾する客観証拠なのである。
 客観証拠と矛盾するA証言が信用できないことは当然であり、写真①はA証言の信用性を低下させる証拠である。
 さらに言えば、写真①を含む写真10枚(甲27の1枚目)は、被告人がAを付け狙って痴漢をしていなかったことの証拠であり、Aが被告人を犯人とする痴漢の自作自演をしたことの証拠である。被告人がAを付け狙っていれば、Aが被告人から離れて写真を撮影することはできないからである。
 かかる観点からも、甲27の写真①はA証言の信用性を低下させる証拠であるといえる。

 

写真①についての事実誤認が、原判決の致命的な事実誤認を導いたこと

本件の本質的な争点
 本件では、「平成30年5月から6月にかけてのAに対する連日の痴漢行為」がAの自作自演であるか否かが争われている。
 つまり、Aが平成30年5月から6月にかけて毎日のように痴漢に遭っていた事実の存否が争われている。
 したがって、本件においてA証言の信用性を検討するにあたっては、何よりもまず、「毎日のように痴漢に遭っていた」旨のA証言の信用性を検討しなければならなかった。
前提事実を根拠なく認定した原判決のミス
 しかるに、原判決は、「Aが電車内で何者かによりAをして痴漢被害に遭っていると思わせるような行為を繰り返し行われていたこと自体は優に認められるというべき」(原判決12頁)、「既述のとおりAが電車内で何者かによりAをして痴漢被害に遭っていると思わせるような行為を繰り返し行われていたこと自体は優に認められる」(原判決28頁)と、それを裏付ける証拠がないのにもかかわらず認定し、これを前提としてA証言の信用性を肯定している。
 しかし、「毎日のように痴漢被害に遭っている」ことがAの自作自演であるか否かが争われているのであるから、Aが家族や友人に「毎日のように痴漢被害に遭っている」と話していたことが、Aの自作自演ではないことの根拠にはならないことは当たり前のことである。つまり原判決は、「毎日のように痴漢に遭っていた」旨のA証言の信用性について、合理的な理由を示していないのと同じである。
 結局、原判決は、「毎日のように痴漢に遭っていた」旨のA証言の信用性の検討を行わないまま、換言すれば、「平成30年5月から6月にかけてのAに対する連日の痴漢行為」がAの自作自演であるか否かを検討しないまま、「平成30年5月から6月にかけてAが繰り返し痴漢に遭っていた(とAが感じていた)」との事実を認定し、これを前提としてA証言の信用性を評価している。

原判決の致命的ミスの元凶は写真①についての前提事実の誤認
 原審裁判官も、Aが家族や友人に痴漢被害に遭っていると話した事実だけをもってAの自作自演ではないと認定したわけではなかろう(裁判官であれば、それが論理則に反することは理解しているはずだからである)。
 おそらく原審裁判官は、Aが友人に話しただけでなく、友人がAから頼まれて撮影した写真に被告人とAが近い位置関係で立っている場面が映っており、それが本件6月13日だけでなく、その2日前の6月11日にも同様であったことを、根拠としたのであろう。
 原判決に明記されている事実で明らかに事実と異なるのは、まず、(ⅰ)写真①の撮影者が友人である、という点である。さらに、(ⅱ)友人はAから頼まれて写真①を撮影した、という点も事実誤認である。そして、原判決に明記はされていないが、おそらく原審裁判官は、(ⅲ)写真①の被告人とAの立ち位置は、被告人がAに痴漢行為をしている位置関係にある、と認識していたのであろう。そのように原判決が誤った認識をした理由は、原審論告(1頁。第1の2の(3))に「(甲27の3頁目は)被害者の友人が被害者の背後に立つ被告人の様子を撮影したものである」旨の記載があるからであろう(原審裁判官は、論告しか読まず-もちろん弁論も読んでいる部分はあるが、それはあくまで「排斥する対象」としてしか読んでいない-、そして論告に引用してある証言部分しか尋問調書を確認していないから、この論告の記載によって、被告人の前に映る白いシャツの人物がAであると誤認したのであろう)。
 原判決は、写真①について上記(ⅰ)(ⅱ)(ⅲ)のような事実誤認をしたからこそ、「6月11日と6月13日に、Aが友人に写真撮影を依頼し、友人によってAの真後ろに密着するような状態で立つ被告人が撮影された」と認定し、「Aが電車内で何者かによりAをして痴漢被害に遭っていると思わせるような行為を繰り返し行われていたこと自体は優に認められるというべき」(原判決12頁)、「既述のとおりAが電車内で何者かによりAをして痴漢被害に遭っていると思わせるような行為を繰り返し行われていたこと自体は優に認められる」(原判決28頁)という、前提事実の誤認という致命的なミスを犯したと推察されるのである。

写真①についての事実誤認が判決全体の事実誤認を招いた
 原判決は、上述の通り、随所に「Aが繰り返し痴漢に遭っていた(と感じていた)」という前提事実を持ち出して、この前提事実を根拠としてA証言の信用性を肯定し、あるいは本件犯行を認定している。
 しかし、上述のとおり、「Aが繰り返し痴漢に遭っていた(と感じていた)」という前提事実は、何の根拠も証拠もなく認定されたものであり、事実誤認である。真実は、「Aが繰り返し痴漢に遭っていた(と感じていた)」ことはAの自作自演だったのである。
 写真①についての事実誤認が、原判決が事実認定の柱とした前提事実の事実誤認を招いたのである。その意味で、写真①についての事実誤認は、原判決の誤判を導く致命的ミスであったといえよう。

 

 これは、原審裁判官の資質及び能力の問題であろう。

 結審から判決公判までの2か月間、いったい何をしていたのかと問いたい。

 

 検察官の論告をもとに、適当に判決を起案するのであれば、裁判官という職業はいらない。

 少なくとも、このような裁判官に「人を裁く」権利を与えてはならない。

 

 なお、上記写真①のほか、Aの自作自演を疑わせる「合理的な疑い」については、既に掲載している。

 

 

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逆転無罪の事実認定

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