『冤罪被害者』のブログ 

冤罪被害者の闘いを綴る

020控訴趣意①

 原判決の不合理な点を指摘するにあたって、控訴趣意は「事実の誤認」に焦点を当てた。

 以下のような内容を以って原判決を弾劾している。

 数回に分け控訴趣意書の内容を抜粋し掲載する。

 

〔Aの被害申告が虚偽である点〕

「何者かによりAをして痴漢被害に遭っていると思わせるような行為を繰り返し行われていたこと自体は優に認められる」との認定は間違っていること

原判決の判示

 原判決は、「何者かによりAをして痴漢被害に遭っていると思わせるような行為を繰り返し行われていたこと自体は優に認められる」と、説示している(原判決12頁13行目以下)。
 その根拠として、原判決は、「何者かにより繰り返し電車において痴漢の被害に遭っている旨を友人や両親に相談して写真を撮るよう頼むなどしていたこと自体はAのLINE履歴等の客観証拠から明らか」であること、又、「かかる内容の虚偽の被害を自分の親まで巻き込んで作出する動機をAに見出すこともできない」旨、説示している(原判決12頁9行目)。
 しかし、そもそも、「何者かによりAをして痴漢被害に遭っていると思わせるような行為を繰り返し行われていた」ことの信用性の検討が、原判決において慎重になされていない。

従前の被害に関するA証言に信用性がないこと

 Aは、①「通学ではα電車に乗っており、α電車以外に乗るのは例外的であった」旨を証言し、又、②「6月までに10回の被害に遭ったこと」、及び、③「9月までに20回被害に遭ったこと」を証言した。しかし、原審弁論要旨に詳述したとおり(16、17頁)、6月30日までに被害に遭う機会があったのは、多くても6日間である(被告人5回54頁の資料4。原審弁論要旨添付資料1-④)。そして、6月13日以降は、9月20日及び21日を除いて被害に遭っていない(A52頁)のであるから、9月まで20回被害に遭うことなど、およそあり得ない。
 Aの上記証言は客観的にあり得ないことを証言しているのであり、虚偽であることは明らかである。

 原判決は、「回数という記憶や表現の仕方にそごが生じてもやむを得ないといえる事柄」と説示して(原判決17行目以下)、①ないし③のA証言を是認しているが、明らかに経験則に反する。
 たしかに、②については、痴漢被害に遭う機会があったのは多く見積もっても6日間であることから、その表現が「10回」となったとしてもやむを得ない事情であると言える(ただし、上記6日間すべてにおいて、被告人とAがα電車で同乗していることが立証されてこそ言える事情である)。しかし、③については、その表現が「20回」となることは、やむを得ない事情とは言い難い。
 Aは、6月30日の被害申告以降、判示第2及び第3の事実の日に至るまで、被害に遭っていない旨明言しており、被害に遭う機会がある日は多く見積もって6日間であることは、動かし難い事実である(6日間のうちすべての日において、Aと被告人が電車内で同乗しているか否かは、LINE履歴からAがα電車に乗っているか判然としないこと、及び、被告人が先頭車両以外にも乗ることがあることから判然とせず、立証できない事情であるから、実質的には6日間よりも少ない可能性が高い〔この点につき、検察官も立証を果たせていない〕。)から、被害に20回遭った旨の証言は、客観的事実に反しており、虚偽であることは明らかである。

 原判決は、Aの③の証言につき、何ら言及していないが、「回数という記憶や表現の仕方にそごが生じてもやむを得ないといえる事柄」として、Aの②の証言のみからA証言を是認するよう恣意的に言及を避けたものと強く推認され、上記「回数という記憶や表現の仕方にそごが生じてもやむを得ないといえる事柄」という説示は、あまりにも経験則に反すると言える。

 従って、Aが①のように通学の電車について虚偽の証言をしている(被告人とα電車で同乗する機会があった旨を強調し、殊更に被告人に不利な虚偽証言をしている)こと、又、②及び③のように被害回数につき客観的に不可能な証言をしていることを踏まえれば、A証言の信用性は皆無であり、「何者かによりAをして痴漢被害に遭っていると思わせるような行為を繰り返し行われていたこと自体」に、「合理的な疑いを差し挟む事情」が生じていると言える。

6月29日の出来事はA証言を補強し得ないこと

 原判決は、「Aが被告人の行動を気にして母親にも訴えるほどの不安を抱いていたこと自体は6月29日の出来事から合理的に推認できる」旨、説示している(原判決11頁11行目以下)。
 しかし、前記のとおり、6月29日の出来事はAの自作自演であることは優に認定でき、本件出来事からは「不安を抱いていた」ことは合理的に推認されないし、到底、従前の被害、すなわち「何者かによりAをして痴漢被害に遭っていると思わせるような行為を繰り返し行われていたこと」を、推認することもできない。

 又、6月29日の出来事につき、Aは虚偽の被害を親に訴えていることから、「かかる内容の虚偽の被害を自分の親まで巻き込んで作出する動機をAに見出すこともできない」という説示が不合理であることは明らかである。
 仮に、Aに動機を見い出せないとしても、従前の被害、及び、本件公訴事実に係る「合理的な疑い」を、全面的に解消する事情とはなり得ない。

 従って、本件出来事から、「何者かによりAをして痴漢被害に遭っていると思わせるような行為を繰り返し行われていたこと自体」を、裏付けることはできない。

写真(甲27)は従前の被害の裏付けにはならないこと

 前記のとおり、写真①(甲27)は、6月11日にAが自分で撮影したものであり、原判決の「6月11日・・・に写真を撮ってもらった、6月11日に撮ってもらった写真が甲27の3頁目の写真であり・・・」(原判決4頁3行目以下)は、誤りである。
 そうすると、第三者によって、「何者かによりAをして痴漢被害に遭っていると思わせるような行為を繰り返し行われていたこと自体」を裏付けることもできないと言える。

犯人性の特定に係るA証言に「合理的な疑い」があること

 A証言によれば、Aがはじめて被害に遭ったのは5月頃であり、その後5月半ばに両親に相談し、次いで6月に友人に相談したが、Aが犯人の人相や乗車駅を特定できたのは5月半ばくらいであると言う(A37頁)。
 しかし、Aは、6月6日にLINEで友人から痴漢の犯人とされる人物が乗車する駅を尋ねられた際、最寄り駅かT駅である旨曖昧に回答し、さらに電車がT駅を出発した時刻付近では、犯人が電車に乗ってこなかった旨送信している(弁3、A37頁)。
 このことは、Aが5月半ばに犯人の乗車駅を特定できていなかったことの証左であり、犯人を特定した時期に係る上記A証言と矛盾するものである。

 又、6月6日以降において、被告人とAがα電車に同乗する日が6月11日であり(原審弁論要旨添付資料1-④)、同日に前記写真①(甲27)がAにより撮影されたことを併せれば、Aが「痴漢の犯人とする人物」が、真に被告人であるかにつき、相当程度「合理的な疑い」があると言える。

 原判決は、「Aが従前に自分に対して痴漢被害に遭っていると思わせるような行為を行ってきた人物が、実際には別人であるのに何らかの理由で被告人であると思い込んだため、その思い込みにより本件被害についても被告人から痴漢被害に遭っていると自ら思い込んだ可能性…につき検討しても、本件被害に係るAの証言は本件写真や本件動画といった客観証拠によって強力に支えられているものであると言える…」とした上で、「従前にAに対して痴漢被害に遭っていると思わせた人物」と「被告人」の結びつきにつき検討している(原判決11頁16行目以下)が、従前の被害につき信用性がないこと、又、本件写真(甲27)や動画(甲24)が強力な客観証拠となり得ないことは、すでに述べてきたとおりであり、上記説示は何ら説得力を持たないものであると言える。
小括
 以上のことを踏まえれば、原判決の「何者かによりAをして痴漢被害に遭っていると思わせるような行為を繰り返し行われていたこと自体は優に認められる」という説示は、何ら根拠のないものであり、その前提に立った原判決の各事実認定には事実誤認があると言える。
 又、上記事実誤認と6月11日における写真①の撮影経緯を踏まえれば、「従前にAに対して痴漢被害に遭っていると思わせた人物」と「被告人」の結びつきについても何ら根拠のない事実認定であると言うことができる。

  なお、6月29日事件の控訴趣意については次回掲載する。

 

 

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