『冤罪被害者』のブログ 

冤罪被害者の闘いを綴る

021控訴趣意②

 6月29日事件の控訴趣意は以下のとおりである。

 Aの虚偽申告が客観証拠に照らして明らかである上、原判決がいかに不合理であるかよくわかる。

 

原判決の判示

 原判決は、弁護人の「予想もしていなかったのに警察沙汰になってしまい、ひっこみがつかなくなって嘘を重ねた」旨の主張に対し、6月29日の出来事を根拠にして、虚偽供述の合理的可能性を否定している。
 しかし、原審弁論要旨において詳述しているとおり(22頁以下)、6月29日の出来事がAによる自作自演であることは、以下の客観的事実からだけでも、優に認定できると言える。

1回目の通話内容等から認定できること

 Aは、19時41分頃から約1分間、母親に電話をかけて通話しているが(甲4の写真17)、その内容は、「帰りの電車なんやけど、痴漢の犯人が同じ車両におる。」、「駅のエスカレーター上がってるんやけど、自分の後ろの方にいる。」というものであった(甲14の7頁)。
 しかし、客観証拠からは、19時43分頃、被告人最寄駅の改札を出た際、Aは携帯電話で通話しながら、未だ改札内にいたことが認められる(弁11の写真11)。又、被告人が改札を出てから約10秒後に、Aが最寄駅の改札を出たことも認められる(弁11の写真13)。
 そうすると、1回目の電話の時点では、被告人がAの前にいたことは優に認定することができ、Aにおける「被告人が自分の後ろにいる」旨の母親への通話内容は、明らかに虚偽であると言える。
 なお、母親は、痴漢の犯人を先に行かせるように助言した旨を供述している(甲14の8頁)のであるから、通話内容の信用性は極めて高いと言える。
 従って、本件出来事が、Aの自作自演であることは、1回目の通話内容からだけでも優に認定することができると言える。

2回目の通話内容から認定できること

 又、Aは、19時45分頃から約4分間(すなわち49分頃まで)再び母親に電話をかけて通話しているが(甲4の写真17)、その内容は、被告人から後をつけられているという趣旨のもの〔え、まじで。付いてきている。ちょっと待って。ちょっと待って。〕であった(甲14の9頁)。
 しかし、Aが最寄駅の改札を出たのは19時43分頃であり、Aが隠れたと証言したスーパーの駐車場までは、改札から直線距離で70メートルの距離であり、約2分程度の距離である(弁19)。
 そうすると、A証言を前提にしても、Aはスーパーの駐車場に隠れた(その後、証明写真を撮る機械のところで被告人を待っていた〔A46頁〕)のであるから、19時45分頃以降において、被告人から付けられることはあり得ないと言え、Aにおける「あとを付けられている」趣旨の母親への通話内容(え、まじで。付いてきている。ちょっと待って。ちょっと待って。)は、明らかに虚偽であると言える。
 従って、本件出来事が、1回目の通話内容と併せても、Aによる自作自演であることは、優に認定することができると言える。

小括
 以上のようなことを踏まえれば、6月29日の出来事は、Aの自作自演によるものであることは優に認定でき、原判決の「6月29日の出来事は、A証言の信用性を補強する客観的事実に該当するといえこそすれ、…Aの信用性に低下させる事情に該当するとはいえない」という説示(原判決11頁13行目以下)は、経験則違反であることは明らかである。
 従って、6月29日時点において、本件出来事を自作自演したAにとって、翌日に警察沙汰になることは全く想定していないことであり、本件の出来事を根拠にして虚偽供述の合理的可能性を否定する原判決は、論理則に反していると言える。
 なお、翌日、Aを信用した両親が被害申告をした際、肝心のA本人は「寝ていた」ことからも、Aの意思に基づかない被害申告であったことが窺え、Aが警察沙汰になることを予想していなかったことは明らかであると言える(A51、71、75頁)。

原判決の判示が極めて不合理であること

 原判決は、虚偽供述の合理的可能性を否定する根拠として、「Aが母親に伝えた内容と実際の先後関係等は、把握や表現が不十分になってもやむを得ない事柄」等と説示している(原判決11頁6行目以下)。 
しかし、改札を出るまで、被告人がAの前方にいるか後方にいるかのような簡明かつ単純な事実につき、把握や表現が不十分になることは考え難いと言え、上記説示は経験則に反すると言える。
 なお、Aは、公判では、被告人がエスカレーターで前にいた旨を認めている(A43頁)ことからも、前後関係につき「把握が不十分」であったとは考え難い。

 更に、原判決は、「Aが被告人の行動を気にして母親にも訴えるほどの不安を抱いていたこと自体は6月29日の出来事から合理的に推認できる」旨、説示している(原判決11頁11行目以下)。
 しかし、この説示は、原判決の「何者かによりAをして痴漢被害に遭っていると思わせるような行為を繰り返し行われていた」ことを前提としなければ、Aが「被告人の行動を気にして・・・不安を抱いていた」とは到底認定できず、その前提事項に信用性が認められない以上、上記推認は論理則に反すると言える。
 又、6月30日に両親が被害申告をするに至るまで、Aが警察沙汰になることを拒み、被害申告に消極的であったことも(甲14第8項)、Aが不安を抱いていたとは認めがたい事情であると言える(Aは、6月13日に証拠として動画〔甲24〕を撮影しているのであるから、不安を抱いていたのであれば動画撮影後直ちに被害申告するのが自然であると言える)。

 原判決は、「Aが警察沙汰になることを想定しないで嘘を言っているのであれば、Aが母親に迎え来てもらったり、車のナンバーの下4桁の数字を母親に送信したりしたことは、説明がつかない」と、説示している(原判決下から2行目以下)。
 しかし、前記のとおり、Aが母親に対して客観事実と異なる虚偽の被害を訴えていることが優に認定できることを踏まえれば、その一環として、母親に虚偽の被害を訴えて迎えに来てもらうように依頼することは十分想定できるものであると言える。
 又、6月30日に両親が被害申告をするに至るまで、Aが警察沙汰になることを拒み、被害申告に消極的であったことからは(甲14第8項)、Aが警察沙汰になることは想定していなかったことは明らかであり、「Aが警察沙汰になることを想定しないで嘘を言っているのであれば」という点を前提とする上記説示は何ら根拠のないものであり、論理則に反する。

結語

 原審弁論要旨でも指摘したが(25頁)、6月29日の出来事は被告人がAを付け狙っていることを極めて強く推認させる重要なエピソードであるに止まらず、Aの両親が警察に被害申告する直接の契機となったエピソードでもある。
 従って、このような重要な事件が自作自演であることが判明した以上、Aの信用性は致命的に低下したことは明らかである。
 更に、6月29日の出来事が自作自演であり、警察への被害申告もAの意思に基づかないものであることは、「Aが高校の性犯罪の講義を契機に自分は痴漢被害を受けていると些細な嘘をつき、それが教師から親に伝わったため、親にも痴漢被害に遭っているといわざるを得なくなった」という弁護人の主張を裏付けるものと言うべきである。
 結局のところ、6月29日の出来事は、その当日に被告人がAの後をつけたという事実を否定するのみならず、そもそも、Aが痴漢被害を繰り返し受けていたという事実そのものを否定する事情というべきである。

 

 冤罪事件の判決文を読んで共通することは、裁判官が証拠を無視することや勝手な解釈を盛り込むことである。有罪判決を起案する際に、辻褄が合わないことを裁判官が胡麻化したり、勝手に論理を飛躍させるのである。

 

 いまの日本の刑事司法は、あってはならないことがまかり通っている。

 

innocence-story2020.hatenablog.com

逆転無罪の事実認定

逆転無罪の事実認定