『冤罪被害者』のブログ 

冤罪被害者の闘いを綴る

025最高裁判例

 最高裁判所で「逆転無罪」となった事件で、千葉勝美判事は以下の補足意見を述べている。

 

 千葉裁判官の補足意見の一部(H23.7.25事件)

 一般に、被害者の供述は、それがいわゆる狂言でない限り、被害体験に基づくものとして迫真性を有することが多いが、そのことから、常に、被害者の供述であるというだけで信用できるという先入観を持ったり、他方、被告人の弁解は、嫌疑を晴らしたいという心情からされるため、一般には疑わしいという先入観を持つことは、信用性の判断を誤るおそれがあり、この点も供述の信用性の評価に際しての留意事項であろう。

 いうまでもなく、刑事裁判の使命は、まず、証拠の証明力等を的確に評価し、これに基づき適正な事実認定を行うことであり、証拠等を評価した結果、犯罪事実を認定するのに不十分な場合には当然に無罪の判決をすべきである。その意味で、裁判官は、訴追者側の提出した証拠が有罪認定に十分なものか否かといった観点から、公正かつ冷静に証拠の吟味をすべきであって、社会的、一般的な経験則や論理則を用いる範囲を超えて、自己の独自の知見を働かせて、不十分、不完全な証拠を無理に分析し、つなぎ合わせ、推理や憶測を駆使してその不足分を補い、不合理な部分を繕うなどして証明力を自らが補完して、犯罪の成立を肯定する方向で犯罪事実の認定を行うべきものでないことは当然である。この点は、異論のないところであろうが、我々として、常に自戒する必要があるところであろう。

 供述の信用性が大きな争点となる事件において、多くの場合、信用性の吟味に際しては、供述内容に一貫性があるか、反対尋問にも揺らいでいないか、証言態度が真摯なものであるか、内容に迫真性があるか、虚偽の供述をする合理的な動機があるか等が判断の要素となると指摘されている。これらの点は、当然、重要な判断要素であり、その吟味が有用であることは疑う余地はない。これは、証人尋問を直接行った第1審での判断が基本的に尊重されるべきであるとされるゆえんでもある。 しかしながら、これらは、供述者の証言態度等についてのものであるから、常に的確な判断ができるかは、刑事裁判のみならず、民事裁判においてもしばしば問題になるところであり、供述態度が真摯で供述内容に迫真性を有し、いかにも信用性が十分にありそうに見えても、書証等の客観的証拠や事実と照らして、そうでないことに気付かされることもあるのであって、慎重で冷静な検討が常に求められる事柄である。特に、本件のような、客観的で決定的な証拠が存在しない場合には、上記の観点から信用性を肯定し一気に有罪認定することには、常に危険性が伴うことに留意する必要がある。

 

 高裁判決文の謄本が手元に届いていないが、弁護人の論理則・経験則違反を指摘した事由は、裁判官が、「社会的、一般的な経験則や論理則を用いる範囲を超えて、自己の独自の知見を働かせて、不十分、不完全な証拠を無理に分析し、つなぎ合わせ、推理や憶測を駆使してその不足分を補い、不合理な部分を繕うなどして証明力を自らが補完して、犯罪の成立を肯定する方向で犯罪事実の認定を行った」ものであるとしか思えない杜撰なものであった。

 上記最高裁判例に著しく反するものであると強く感じている。

 

 判決謄本が届き次第、掲載させて戴くこととする。