『冤罪被害者』のブログ 

冤罪被害者の闘いを綴る

029上告趣意書①

無実を示す証拠採用を却下する裁判所

 先日、上告趣意書を最高裁判所に提出した。

 大阪高裁の三浦透裁判長は、以下のような公正でない裁判を平気で行っている。

 法令違反を指摘した箇所から一部引用して取り上げる。

 警察官Nは、10月25日付検察官調書(一審弁28)において、9月21日の目撃状況につき、「(被告人が)Aの股間に右手を押し当てていたかどうかを直接みることができませんでした」と供述している。他方、Nは、公判において、「被告人の手がAの股間部分に位置し、当たったり離れたりしていた」と証言した。

 控訴審判決は、この点を変遷とする弁護人の指摘につき、「上記検察官調書の記載は、被告人がAの股間に右手を押し当てていたかどうかについて言及したものではあるが、手がAの股間に当たっていたかどうかを目撃したかについては、直接言及していないと見る余地のある表現である」とし、「『N証言自体に曖昧さがあるとした上で、・・・N証言の信用性の根幹部分の信用性を損なうものであるとはいえないとす《ママ》原判決』に誤りがあるとはいえない」旨説示する(控訴審判決24頁最下行以下)。

 かかる控訴審判決には、日本語の基礎的な読解力に欠けると言わざるを得ない。なぜなら、検察官調書には次のとおり記載されているからである。

 「私は、その様子を被疑者から見て左斜め後ろから見ていました。そのため、被疑者がAの股間に右手を押し当てていたかどうかを直接見ることはできませんでしたが、先ほどお話ししたようにこの日は車内がぎゅうぎゅう詰めの状態で他の場所に移動することもままならなかったため、被疑者の痴漢を現認できるようにすることができない状態でした。」(一審弁28・9,10頁)

 日本語の基礎的な読解力のある者に、「Nは被疑者の右手を現認できたか」と尋ねれば、「できなかった」と答える。N警察官と調書を作成したF検察官に基礎的な日本語の能力が備わっていないとは考えられないから、少なくともNは上記検面調書の作成時には、「被告人の右手を現認できなかった」と供述していたことは明らかである。

 したがって、Nの供述が、「被告人の右手を現認できたか否か」という核心部分で変遷していることは明白であって、これを上記のように趣旨を曲解してN証言の信用性を救済した控訴審判決は失当である。

 そのことはひとまず措くとしても、仮に控訴審がNの検察官調書の記載は多義的に解釈が可能であり、検察官調書だけではNが捜査段階で「手がAの股間に当たっていたかどうかを目撃したかについては、直接言及していないと見る余地」が残ると考えたのであれば、Nが内容をチェックした上で押印した捜査報告書(控訴審弁7,8)を採用して取り調べれば、Nの捜査段階での供述の意味内容を明確にし、適切な事実認定ができたのである。すなわち、Nを含む警察官らが事件から4,5日後の段階では「現認できなかった」と供述していたことが明らかになったのである。

 まず、「被疑者の通勤時の行動確認結果(9月20日)について」と題する捜査報告書(控訴審弁7)及び「被疑者の通勤時の行動確認結果(9月21日)について」と題する捜査報告書(控訴審弁8)は、Y警察官が作成したものであるが、捜査責任者であるNの押印があるところ、Nはその内容をチェックしたことを認めている(N42頁)。そして、同捜査報告書には同行警乗した警察官が被告人とAを注視したが、「実施結果」として、「手が被迷惑者に触れているか否かの確認はできなかった」(控訴審弁7・4枚目)、「手が被迷惑者に触れているか否かは判然としなかった」(控訴審弁8・4枚目)と明記されている。

 つまり、控訴審が上記捜査報告書を取り調べていれば、上記供述調書のN供述の趣旨は、「手が股間に触れたのは現認していない」という趣旨であることが明らかであり、したがって、「被告人の手がAの股間部分に位置し、当たったり離れたりしていた」旨のN証言が、上記供述調書と矛盾することが容易に判断できたのである。

 「手が股間に当たったのを現認したか否か」という核心部分についての供述の変遷は、N証言の信用性の根幹を揺るがすものであるのに、控訴審判決は、上記捜査報告書(控訴審弁7,8)の取調べ請求を却下したうえで、「(弁護人の主張は)採用された証拠に基づかない主張である」(控訴審判決26頁)などと説示して、弁護人の主張を排斥し、もってN証言の信用性を救済した。

 このような裁判が、いまなお日本で平然と行われているのである。

 無実の証拠を採用せず、不合理な理由を適当に加え有罪認定につき進む。

 まさに警察や検察に忖度した刑事裁判の典型である。

 

 すべての裁判官がそうであるとは言わないが、いま私の身に起こっていることは、インターネットを見る限り、多くの冤罪被害者が経験していることである。

 また、検察が示す理念には、「無実の者を罰し,あるいは,真犯人を逃して処罰を免れさせることにならないよう,知力を尽くして,事案の真相解明に取り組む」「被疑者・被告人等の主張に耳を傾け,積極・消極を問わず十分な証拠の収集・把 握に努め,冷静かつ多角的にその評価を行う」と明記されている。

 

 日本の警察や検察が目を覚まし、裁判所がその不正を正す役割を果たせる日はくるのだろうか。