『冤罪被害者』のブログ 

冤罪被害者の闘いを綴る

031上告趣意書③

合致しない証言を合致していると認定する裁判所

 Aの自作自演の可能性、警察官の偽証について上告趣意書で示したが、当然ながら両者の証言は合致しない。

 以下、趣意書から一部引用する。

 控訴審判決は、T駅以降の位置関係について、A証言と警察官N証言とが相互に符合しない点につき、「Aが西側を向いていたか、南側を向いていたかは微妙な違いともいえるのであって、いずれにせよ、被告人がAから見て右前の位置で、Aに対して、右手で股間に押し付けるようしてきた」旨説示する(控訴審判決16頁最下行)。
 しかしながら、Aは、「(一審検察官に対して2度にわたって)自分は西側を向いていた」旨証言し(A26頁)、Nは、「Aの顔は南側を向いていた」旨証言している(N34頁。なお、10月30日付の「同行警乗に基づく被疑者の犯行再現」と題する捜査報告書では、仮想Aは顔だけでなく体自体南側を向いている)。両者の供述内容を図示すると以下のようになる。

 (図省略)
 上記の図から一目瞭然であるが、A証言とN証言は、そもそも符合しないのである。
 控訴審判決は、この点につき、「微妙な違いともいえる」(控訴審判決16,17頁)旨説示し、両者の証言が符合する旨説示するが、この違いを「微妙な違い」だと評価することは社会通念から乖離しているし、「微妙な違い」だと強弁して両者の供述の信用性を救済するような事実認定手法は明らかに失当である。
 ましてや、「微妙な違い」があることを認めながら、「両者の供述が符合し相互に信用性を高め合っている」などと評価することは論理則にも経験則にも反するのであって、かかる控訴審判決の事実認定手法が誤判を招いたといわなければならない。

 控訴審判決は、O駅からT駅までの間で、Aが、「警察官が、手が届かないよう身体で塞いでくれた」、「被告人が(警察官の)手を払った」と証言しているのに対して、Nは全く証言していないことにつき、「Aが証言する警察官や被告人の動きが、それぞれどの程度意識的になされたのかなども判然としないものであり、A証言のこれらの点をN警察官が供述していなかったことから、A証言が信用できないとはいえない」旨説示した(控訴審判決17頁7行目以下)。しかし、Aの証言する警察官や被告人の動きが意識的でないとすれば、なぜAがそのように判断したのか説明がつかないのであって、控訴審判決の上記判断は経験則に反し、失当である。
 ところで、Aは、「(目で後ろを向くよう)警察官が言ってきたので、後ろを向きました」とも証言している(A24、59頁)。
 このAの証言を前提とすると、O駅からT駅の間では、AはNに背を向けたことになる。この動きをNが証言していないことの不自然性は際立っている。およそ合理的説明をつけることができない。
 それ以上に合理的説明をつけることができないのは、A証言を前提とすると、Nは、O駅からT駅の間は、Nに向かって背中を向けているAの股間付近を視認することは物理的に不可能である、という点である。
 この区間につきNは、「私の目線から遮るものはなかった」「被告人の手はずっと被害者の股間付近に位置していた」と証言している(N頁)。
 つまり、A証言とN証言は、両立が不可能なのである。
 一般常識を有する者ならば、両立が不可能な証言について「両者は符合する」と判断することはない。
 A証言とN証言は両立不可能なのだから、控訴審判決のように「両者は符合する」とか「相互に信用性を高め合っている」などと判断することはあり得ない。控訴審判決の事実認定手法は論理則にも経験則に著しく反している。

 このように証言が合致しないのにも関わらず、裁判官は両者の証言が合致するとして信用性を高めあっていると認定した。

 このような事実認定が許されるのが日本の刑事裁判の実態である。