『冤罪被害者』のブログ 

冤罪被害者の闘いを綴る

030上告趣意書②

警察は偽証をしないという先入観

 それにしても、裁判所は、警察が偽証をしないという先入観に囚われすぎではないか。

 捜査官は、誤認逮捕をすれば失態であるから、当然公務員として責任は免れない。公判で自己保身に走る動機は大いにある。

 本件では、N警察官は、捜査段階で「現認できなかった」旨の捜査報告書を作成しているのにも関わらず、突如として公判で「手が当たったり離れたりしているのを見た」と供述を変遷させた。

 N警察官には、供述を変遷させなければならない動機が十分にある。

 すなわち、N警察官は、Aから被害に遭ったとされる証拠画像を受理し、それを証拠に通常逮捕に踏み切った。

 しかし、取り調べ段階で、その画像に映る人物が別人であることが判明してしまったのだ。

 N警察官は、誤った証拠に基づいて、通常逮捕を行ってしまったのである。

 N警察官は、これを隠蔽するために、同行警乗から1か月後に「目撃状況再現」なるものを行い、証拠を捏造した。

 以下の時系列を見れば、京都府警の捜査の不自然さは際立っている。

本件の捜査の客観的経緯は、以下のとおりである。

①6月30日、Aの両親が警察に被害申告をした(捜査の端緒)。

②8月下旬まで複数回、被告人の通勤を尾行して行動確認を実施した。

③9月20日及び21日、現行犯逮捕を目的として同行警乗を実施したが、現行犯逮捕をしなかった。

 両日について、A及び同行警乗した警察官の供述調書や実況見分調書等を作成しなかった。

④9月25日、判事第1の事実(6月事件)につき被告人を通常逮捕した。被告人が一貫して容疑を否認した。

⑤9月29日、判示第2,3の事実につきAの供述調書を作成した。

⑥10月24日 、Aが判示第2の事実の証拠として提出した本件写真(一審弁1)に写る人物が被告人とは別人であることが判明した。

⑦10月30日、警察官による「目撃状況再現」を実施した。

Aの自作自演を見抜けない警察、検察、そして常識から乖離する裁判所の判断

 この写真が別人であることはA自身認めている。

 しかし、裁判所は、このAの行為を自作自演と事実認定しない。

 上告趣意書には、以下のように記している。

(1) Aは別人の写真を捜査機関に提出し、被害を受けたと申告していたこと
ア 本件写真について争いのない点
 Aは、証拠を保全するために本件写真(一審弁1)を撮影したと主張している。本件写真はT駅以降に撮影されたものである(甲29、甲7照)。
 本件写真に写る白い半袖シャツの人物が被告人とは別人であることについては、現在では争いがない。
控訴審判決の明らかな誤り・その1
控訴審判決は、「弁護人は、Aが事件性を作出するために上記写真を撮影した旨主張するが、当該写真及びその写真についてのAの説明を見ても、Aの説明による「犯人」がAの股間部分を触っているようには解されないのであって、Aが事件性を作出するために撮影し、警察に提出したとは考え難いというべきである」旨説示する(控訴審判決15頁下から5行目以下)。
 しかし、控訴審判決の上記説示は、明らかに証拠及び裁判所に顕著な事実(身柄関係書類の記載、添付資料6)に反しており、失当である。
・ 本件写真にA自身が記入した説明には、Aが「犯人」とする人物の右手が接触しているように見える部分に「自分の股間の部分です」と明確に載されている(一審弁1)。
 このようにAは、警察に対して、本件写真が、①「犯人の手が自分の股間を触っている場面である」と説明し、また、②「自分が痴漢にあっている場面である」と説明していたことは、証拠上明らかである。
 したがって、控訴審判決の「Aが事件性を作出するために撮影し、警察に提出したとは考え難い」旨の事実認定は、明らかに間違っている。
 むしろ、実際には「犯人とされる者の手がAの股間に触れていない」写真を、「痴漢されている場面」として提出した事実は、「Aが事件性を作出した」ことの動かぬ証拠と認めなければならない。
・ ところで、控訴審判決の上記説示は、Aから本件写真の提出を受けた警察が、本件写真を現に痴漢が行われている場面を撮影した証拠として逮捕状に添付した事実、及びこれらの疎明資料に基づいて裁判官が逮捕状を発付した事実にも反するものである。
 すなわち、本件訴訟記録に綴られている判示第2及び第3の事実について裁判官が発付した平成30年10月15日付け逮捕状及び逮捕状請求書(本書添付資料6)に明記されているとおり、「被疑者が罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由」として、Aの同年9月29日付け供述調書(「(1) 司法警察員が録取した被害者の供述調書」)及び本件写真(「(2) 被害者から提出を受けた画像の記録」)が提出されている。

 そして、同供述調書には「この写真に写っている右側の白い半袖シャツを着ているのが犯人の男で、犯人の右手が自分の股間の部分を上から押し込むようにして触っている時のものです。」(控訴審弁3の10頁)と明記されている。
 以上の客観的事実から明らかなことは、少なくとも判示第2及び第3の事実について逮捕状が発付された時点では、警察及び裁判官は、「犯人が自分の股間を触っている瞬間の写真である」というAの説明を信用し、本件写真は現に痴漢が行われている写真であるとして、逮捕状請求及び逮捕状発付の証拠として用いたという事実である。
 要するに、本件写真(一審弁1)及びその説明をするA供述(控訴審弁3)並びに逮捕状が発付された事実(本書添付資料6)からは、警察及び裁判官が、Aが自作自演した痴漢被害の写真及びA供述に、まんまと騙されたことが判る。
 しかるに控訴審判決は、「当該写真及びその写真についてのAの説明を見ても、Aの説明による「犯人」がAの股間部分を触っているようには解されないのであって、Aが事件性を作出するために撮影し、警察に提出したとは考え難いというべきである」(15頁)などと判示しているのであって、明らかな事実誤認である。
・ なお、警察及び検察が、本件写真に写っている白い半袖シャツの人物が被告人とは別人であること、同人物はロングシートに座った状態であること、同人物の手がAの股間に当たっていないこと等を認識したのは、10月24日の検察官取調べにおいて被告人からその旨の指摘を受けたときである(本書添付資料7の3,4頁)。同日の検察官取調べにおいて、被告人は、本件写真(一審弁1)に写る人物が座っている状態であることを一見して指摘している。日常的に本件電車に乗っている者であるならば、本件写真に写る人物が立っているか座っているか即座に判断できるのであり、「立っているか座っているか直ちに判別できない」旨を判示してAの信用性を救済した控訴審判決(15頁16行目以下)は失当である。
控訴審判決の誤り・その2
・A供述は、以下のとおり、客観証拠である本件写真と矛盾する。客観証拠との矛盾であるから、少なくとも矛盾する部分はA供述が真実に反していると認めざるを得ない。
 A供述の客観証拠との矛盾(真実に反する供述)は、ありもしない被害を自作自演したことの結果として生じたものと考えるのが合理的である。
 ところが、控訴審判決の説示からは、かかる視点から検討した形跡まったく窺われない。「被害者の供述は信用できる」「被害者は嘘をつかない」という先入観にとらわれて、供述の信用性を慎重に吟味しようとする姿勢が欠如しているから、控訴審は真実を見抜けなかったのである。
・ Aは、判示第2の事実の被害につき、「右手を股間に押し付けるようにして痴漢されました」と証言した(A26頁)。
 Aは、「右手を股間に押し付けるようにして痴漢されました」と証言しているのであるから、Aが携帯電話を下に向け画像を撮影した場合、被害を受けている場面が映り込むと考えるのが経験則に適っている。また、A証言によればT駅からJ駅まで被告人の手が股間に当たっていたというのだから、Aが携帯電話を下に向けて画像を撮影した場合には、被告人の手が写り込まないことは考え難い。
 しかるに、本件写真はそのようなものとなっていない。Aが被害にあっている場面が写っていないだけでなく、被告人の右手すら写っていないのである。A証言は本件写真と根本的に矛盾している。
 客観証拠(本件写真)との矛盾が明らかになった以上、A証言の信用性評価は、慎重の上にも慎重にする必要がある。そして、本件写真との矛盾という事実から当然に導かれる「少なくともT駅からJ駅までの間ずっと股間を触られていた旨のA証言は信用できない」という結論に思いが至れば、A証言を安易に信用してはならないという発想が生まれるはずだし、本件痴漢被害がAによる自作自演の可能性があるという発想が生まれるはずである。
 ところが控訴審判決には、そのような姿勢がまったく窺われない。これでは真実を見抜くことなど不可能である。
・ T駅以降の位置関係につき、Aは、要旨、「東側に移動し、椅子の端のところで(進行方向を北とした場合)西側を向いていました」、「犯人は右前にいました」と証言している(A25、26頁)。
 しかしながら、本件写真に記載されたAの説明を前提にすると、Aは、「犯人」が座る東側ロングシート前に東側を向いて立っていたことになる。
 Aの「(T駅到着後)西側を向いて立っていました」との証言は、客観証拠(本件写真)と根本的に矛盾している。

 捜査段階で、この写真が別人であるこが発覚した時点で、慎重な捜査をすればいいだけの話である。しかし、警察や検察、裁判所に真実を追求する姿勢は窺えない。

 その他証拠を検討しても、Aの自作自演疑うべき事情は多数存在している。

 

 最高裁判所には、被告人を救済できる最後の砦として責任を果たしていただきたい。