『冤罪被害者』のブログ 

冤罪被害者の闘いを綴る

032上告趣意書➃

防犯カメラ映像さえ無視する裁判所

 警察が同行警乗する端緒は、被害申告前日に被害者Aが「(帰宅途中最寄り駅周辺で)私から後を付けられた」と母親に助けを求めた出来事にある。

 しかし、最寄り駅の防犯カエラ映像を確認すると、被害者が私の後方を歩いている様子が映り込んでいた。

 これは、私の無実を証明する証拠であり、一連の「被害」がAの虚偽申告であることを裏付ける決定的証拠でもある。

 それにも関わらず、裁判所は防犯カメラ映像を無視した不合理な事実認定を行った。

 以下、長くなるが、趣意書から一部引用する。

(1) 総論
 6月29日に被告人がAの後をつけたとされる出来事は、被告人がAを付け狙っていたことを決定的に印象づけるエピソードであるとともに、Aの両親が警察に被害申告に行く契機となった出来事である。
 ところが、この6月29日の「被告人に後をつけられた」というエピソードは、Aによる自作自演であった。実際には、Aは帰宅途中の電車で被告人を見かけ、Aが被告人をつけ回し、被告人の後をつけながら母親に電話をかけ、「被告人に後をつけられている」と虚偽を述べたのであった。
 控訴審判決は、6月29日のAの母親への電話が自作自演ではないと判断したが、この控訴審判決の判断は、客観証拠にも、検察官も争わない事実にも反し、Aの公判証言にも反しており、何ら証拠に基づかない前提事実の認定に基づいていた。
 かかる致命的な事実誤認が、Aの自作自演を否定するという誤判を招き、A及びA証言全体の信用性判断の誤りを招き、ひいては無実の被告人を有罪にするという重大な事実誤認を招いたのである。
(2) 1回目の母親への電話における自作自演
ア Aが母親に告げた内容
 6月29日、Aは、19時41分から約1分間、母親と1回目の電話をしている(甲4の写真17)。その内容は、「帰りの電車なんやけど、痴漢の犯人が同じ車両におる」、「駅のエスカレータ上がってるんやけど、(痴漢の犯人が)自分の後ろの方にいる」というものであった(甲14の7頁)。
イ 客観的事実
 他方、客観的事実としては、被告人が19時42分44秒に最寄駅の改札を出たのに対し(一審弁15)、Aはその直後の42分57秒の時点で未だ改札内におり、Aが携帯電話で母親と1回目の電話をしている様子が防犯カメラの映像に映っている(一審弁11の写真11)。
ウ Aの公判証言
 Aは、公判において、6月29日にAが電車を降りてエスカレータに乗ったときは、「(被告人は)前にいました」(A43頁)、「前にいたんは前にいました」(A73頁)と明確に証言した。
エ 自作自演であること
 以上からすると、1回目の電話の時点では、被告人はAの前にいたのであり、母親に対する「(痴漢の犯人が)自分の後ろの方にいる」という通話内容が虚偽であることは明らかである。
 つまり、Aの母親に対する「痴漢の犯人に後をつけられている」という被害申告は、自作自演であることが明らかである。
控訴審判決の致命的な誤り
 控訴審判決は「エスカレータでは後にいた被告人をAが先に行かせたため、改札ではAが被告人の後を歩いている形になったことが母親の供述に照らしても考えられる」と判示している(9頁最下行以下)。
 しかし、エスカレータで被告人がAの前にいた事実は、客観的事実から明らかである上、A自身が公判でも認め、検察官もこれを争っていない。
 他方、控訴審判決が示した「エスカレータでは後ろにいた被告人をAが先に行かせたため、改札ではAが被告人の後ろを歩いている形になった」という可能性は、前提である「エスカレータでは後ろにいた被告人」という状況が、客観的事実にも、争いのない事実にも、A証言にも反している。
 そして、何ら証拠に基づかない事実認定である。
 控訴審判決は「エスカレータで、被告人が前にいたのか、Aが前にいたのか」という重要な前提事実について、致命的な事実誤認を犯している。
(3) 2回目の母親への電話における自作自演
ア Aが母親に告げた内容
 Aは、19時45分から4分間(すなわち19時49分まで)母親と電 話をしている(甲4の写真17)。その際も、「先に行かせたけど、改札口のファミリーマートで立ち止まった。そやから、自分がまた先に行く形になってしまった。そしたら、後ろを付けてきた。」、「え、まじで。付いてきている。ちょっと待って、ちょっと待って。」等、被告人から後をつけられている旨を告げた(甲14の8、9頁)。
イ 客観的事実
 Aは、19時50分、母親に、被告人の車のナンバーをLINEで送信した(甲14添付資料3)。
 Aの2回目の電話は19時45分から19時49分までだから、電話を切った直後にLINEを送信したことになる。
ウ 自作自演であること
・2回目の電話でAは、「先に行かせたけど」、「また先に行く形になってしまった」などと述べている。つまり、1回目の電話の時点で「被告人がAの後ろにいた」ことを前提としている。
 しかし、前記(2)で詳述したとおり、1回目の電話の「被告人が後ろにいる」旨の被害申告がAの自作自演であったことは明らかである。
 2回目の電話においても、Aは「先に行かせたけど」と述べており、1回目の自作自演を踏まえた内容の被害申告をしている。これだけをみても、2回目の電話でAが母親に告げた「つきまとい被害」はAの自作
自演であることが強く推認される。
・Aが2回目の電話で母親に告げたのは「被告人に後ろを付けられている」旨だけであり、Aが被告人の後ろを付けたこと、被告人が車に乗るのを目撃したこと、車のナンバーを確認したことについては一切告げていない。このことは、母親は送信された車のナンバー「〇×〇×」が何のことか分からなかった事実(甲14の9頁)、及び、母親は電話を切った時点でAの身が危険であると感じて駅まで迎えにいった事実(既に被告人が車で
立ち去ったことを告げられていれば、電話を切った時点では危険が去ったことを認識できる)にも、裏付けられている。
 なお、Aは、「2回目の電話で、母親に対して、自分が被告人の後を付けていること、被告人が車に乗ったこと、被告人の車のナンバーは〇×〇×であることを告げた」旨を証言した(A74頁)が、上記の理由から、虚偽であると認められる。
・Aは、実際には自分が被告人の後ろをつけ回し、被告人が車に乗るのを確認し、車のナンバーまで確認していたのに、その最中でした母親への電話では、「え、まじで。付いてきている。ちょっと待って、ちょっと待って。」等と言って、被告人に後ろからつけ回されている旨を告げていたのである。
 したがって、2回目の電話でAが母親に告げた「痴漢の犯人に後をつけられている」という被害申告は、自作自演であることが明らかである。
エ A証言を前提にしても自作自演であること
・A証言を前提にしても、Aは改札口を出た後、そのまま歩いてスーパ
ーの駐車場で隠れたという。
 Aが最寄駅の改札を出たのは19時43分09秒(甲14の写真13)であり、Aが隠れたとされるスーパーの駐車場までは直線で約70メートルの距離である(弁19)。又、最寄駅の改札からスーパーの駐車場までの所要時間は、徒歩で約2分程度である(被告人5回32頁)。したがって、Aは、19時45分頃にはスーパーの駐車場に隠れたことになる。
 そして、Aは、スーパーの駐車場に隠れた後は、「被告人を見付けに戻っていった」、「証明写真を撮る機械のところで(被告人を)待っていた」と明確に証言している(A46頁)。
 つまり、19時45分から49分までの間、Aは、スーパーの駐車場に着いた頃に母親と2回目の電話を開始し、通話を継続しながら被告人を捜したり、証明写真を撮る機械のところまで移動したりした上で、被告人を待っていたということになる。
・そうすると、A証言を前提としても、2回目の電話の際(19時45分から49分)は、Aは駐車場に隠れていたか、被告人を待っていたか、被告人の後ろをつけて車に乗り込むのを見ていたことになる。つまり、2回目の電話の際(19時45分から49分)に、Aが被告人に後ろから後をつけられることはありえない。
 したがって、A証言を前提にしても、Aの2回目の電話の内容(今、痴漢の犯人に後から付けられている旨の通話内容)は虚偽であり、Aが「つきまとい被害」を自作自演したことが明らかである。
・ なお、直後の友人とのLINEやりとりを見ると、「朝痴漢する人が・・・おって」、「途中で逆にストーカーしたった」「爆笑」(弁3、19:53:31以降の履歴)であり、Aに切迫感は微塵も感じられない。「つきまとい被害」に遭い母親に助けを求めた直後のLINEとして、あまりにも不自然であるといわねばならない。
控訴審判決の誤り
 控訴審判決は、「母親への2回目の通話内容についても、Aが隠れたとされるスーパーの駐車場から改札までの直線距離をもって、電話があった午後7時45分以降に被告人から付けられているとAが述べるような状況があり得ないとはいえない」(控訴審判決10頁)旨説示した。
 しかし、午後7時45分から49分の電話の最中に、Aが母親に告げたような「つきまとい被害」が生じることはあり得ないことは既に述べたとおりであるし、午後7時50分にLINEで被告人の車のナンバーを送信していることからは、午後7時50分の時点で既に、被告人が車に乗って立ち去るのをAが目撃し、その際に車のナンバーを確認していたことが、動かし難い事実として認定できる。そうすると、控訴審判決が「あり得ないとはいえない」とする「午後7時45分以降に被告人から付けられてい
るとAが述べるような状況」は客観的に「あり得ない」のである。
 控訴審判決は、固い証拠から認定できる動かし難い事実に反するものであって、明らかに失当である。
(4) 控訴審判決の致命的なミスの原因(1回目の電話について)
 6月29日の出来事がAの自作自演であることは、Aの1回目の母親への通話内容が客観事実と合致しないことから優に認定できる。
 しかるに、控訴審判決は「エスカレータでは後にいた被告人をAが先に行かせたため、改札ではAが被告人の後を歩いている形になったことが母親の供述に照らしても考えられる」(9頁最下行以下)と判示し、被告人による「付きまとい」事件を認定した。
 この控訴審判決の致命的なミスの原因は、エスカレータの際の位置関係についてのA証言、「(被告人は)前にいました」(A43頁)、「前にいたんは前にいました」(A73頁)を見落としたことにある。
 すなわち控訴審は、“Aの「駅のエスカレータ上がってるんやけど、(痴漢の犯人が)自分の後ろの方にいる」旨を聞いたAの母親が、「後を付けられたら嫌やし、その痴漢の犯人に先に行かせとき」とAに助言をしたのだから(甲14の8頁)、改札の防犯カメラ映像には母親の助言を聞いた後の「Aが被告人の後を歩いている」様子が映り込んでいる”と判断したと考えられる。
 しかし、この判断は「駅のエスカレータで被告人が後ろにいる」旨の母親への通話内容が真実であることを前提としている点で、完全に間違っている。
 上述したとおり、エスカレータで被告人がAの前にいた事実は、客観的事実であり、争いのない事実であり、何よりもA自身が公判で明確に証言した事実なのである。
 したがって、本件証拠関係の下では、「エスカレータで被告人が後ろにいる」事実を真実と認めることは絶対にできないのである。
 控訴審判決は、Aの「エスカレータで被告人は自分の前にいた」旨の明確な証言(A43頁、73頁)を見落としたが、この致命的なミスが自作自演を見抜けないという重大な事実誤認を招いたのである。

 許しがたいのは、裁判所がAの最重要証言を見落としている点である。

 裁判所の職責は、証拠に基づき適正な事実認定を行うことにあるが、大阪高裁第2刑事部の裁判官(三浦・杉田・近道)はAの証言調書を読み込んでいない。

 ましてや、裁判長が若手裁判官の判決起案の誤りを瑕疵するなど職務怠慢である。

  私と弁護人は、相当な時間をかけ、「なぜ裁判所がこのような事実認定を行ったのか」ということを分析をしたが、「ミス」であるとしか考えられない結論に至った。

 

 日本の刑事司法の問題点は多々あるが、基本すらできていないのが実態であるとすれば、非常に恐ろしい(ちなみに、京都地裁の裁判官(戸崎)も、Aの証言調書を読まずに、Aが撮影した写真を友人が撮影したと誤判した)。