004でっち上げ
2018年11月下旬。
京都府警による逮捕から2か月が経過した。
私は、拘置所で、開示された「証拠」をはじめて目にした。
その内容に愕然としたことをはっきりと記憶している。
〔でっち上げ〕
前掲「003人質司法」で記したとおり、被疑者は、捜査機関が収集している証拠を起訴前段階で目にすることができない。
捜査段階で閲覧が可能であるのは、検察官が供述調書作成の際に使用する資料数点のみである。
まず、私が起訴前に目にしていた迷惑防止条例違反(痴漢)の「証拠」なる資料は、以下の3点だった。
①Aが撮影したという動画(6月事件)
②Aの友人が撮影したという写真(6月事件)
③Aが撮影したという写真(9月事件)
確かに、①及び②については、満員電車の中でAの後方に私が立っている。
しかし、①については、撮影された私の手なるものは一切動いていない。不自然な動作も一切映っていない。
それどころか、Aの方からが私の手に接近してきているようにも見える。
弁護人や元科捜研の大学教授、えん罪救済センターの学生ボランティアが精査しても、「これ、痴漢ですか?」と困惑するレベルのものであった。弁護人曰く、「逮捕、起訴レベルに相当する『証拠』ではない」らしい。
②については、Aと私の体が接近すらしていない。
Aの後方にただ私が立っている写真である。これで迷惑防止条例違反(痴漢)であると言われるのであれば、満員電車では、乗客全員が「犯罪者」になってしまう。そのような写真であった。
結局のところ、6月事件で捜査機関が「証拠」とするものは、証拠の体を為していないように感じた。
さらに、驚いたのは、9月事件の「証拠」なるものである。
捜査段階の取り調べで、検察官は、撮影の経緯こそ詳しく語らなかったが、「この写真の人物はあなたですか」と、写真③を示しながら聞いてきた。
私は即答で「別人です」と答えた。
その写真には、肩より下の「別人」の体全体が映り込んでいた。
「別人」の右腕は、Aの方向へ伸びているように見える。
しかし、明らかに体型が異なる。鞄が違う。服装も違う。
一見して完全に「別人」であることが分かった。
そして「別人」は座っているようにも見えた。
恐らく、Aが「証拠」として撮影した画像なのであろう。
Aが「別人」指し、私から迷惑行為(痴漢)を受けている場面と説明したものなのであろう。
被疑者に「別人です」と断言され、動揺を隠そうとする検察官の表情からは、そんな予感がした。
私は「証拠」を目の当たりにし、余計に困惑した。
と同時に、この事件は「『被害者』であるAの錯誤(思い込み)ではないのではないか」という疑念が、私に生じはじめていた。
私の頭に「でっち上げ」という言葉が過りはじめた。
〔証拠開示請求〕
拘置所に移送され、証拠関連カード記載の開示証拠を目にした。
証拠関連カード記載の開示証拠とは、第1回公判期日で、検察官が公訴事実の立証のために裁判所に提出する予定の供述調書などを指す。
当然、そこにはAの供述調書が含まれていた。
それを読んで、私は「でっち上げ」を確信した。
Aが捜査機関に申告している被害は、
④6月まで10回以上被害に遭った
⑤9月まで20回程度被害に遭った
⑥6月下旬には最寄り駅で後を付けられた
というものであった。
まったく身に覚えがない。Aが錯誤でする「被害申告」の内容ではない。
もはや「でっち上げ」としか思えない供述内容に愕然とした。
そして、前記写真③について、やはりAは「別人」を犯人として指し示していた。Aの供述調書の中に、「犯人です」「犯人の右手です」と記載されている資料があった。
Aは「別人」を指し示した上で、私が迷惑行為(痴漢)を行った「証拠」として、警察に画像を提出していたのだ。
そこには、A自身の署名・捺印までなされていた。
果たして、迷惑行為(痴漢)を受けた人物がその「証拠」を撮影した際、撮影する対象を間違えることなどあるだろうか。
ちなみに、その画像にはその「別人」しか映っていない。
私の中で、Aによる「でっち上げ」という疑念が、確信に変わった瞬間であった。
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003人質司法
〔人質司法〕
前述のとおり、極めて不自然かつ不合理な立件。
これほど長期間にわたって身体拘束されることすら想像していなかった。
いわゆる「人質司法」のはじまりである。
今回は、その実態について記すことにする。
被疑者が警察に逮捕され身柄を拘束された場合、被疑者は、被疑事実を逮捕状を示されることによって知ることになる。
この瞬間、無実の者は強い衝撃を受ける。ひどく困惑もする。私の場合もそうであった。
捜査機関は、ある程度「証拠」とされるものを握っている。しかし、被疑者には極力開示しないように努める。恐らく、被疑者に証拠が脆弱であることを知られたくないのであろう。
そして、捜査機関は、被疑者を自白に追い込むために、あらゆる手立てを講じていく。
長期間の勾留を裁判所に申請するのだ。
弁護人は、裁判所に「準抗告」をして対抗する。しかし、裁判所は安易に検察に追随する。国家権力を前に、為す術がないのが実状だ。
結局、無実の者が逮捕され「否認」すると、最大23日もの間、身体拘束を強いられる。再逮捕が重なれば、2倍3倍と身体拘束の期間は長期化する。
昨今、日本の司法が「人質司法」として、国際的に批判される所以である。
日本の司法に対し、カルロス・ゴーン氏が「有罪だという認識が蔓延し、差別が横行し、基本的な人権が否定されている」「日本の司法の人質にはならない」旨の声明を出したことは、大いに首肯できる。
むろん、海外逃亡を企て実行したことには、賛同しかねるが。
〔人質司法との闘い〕
私は、逮捕当初から「否認」を貫いた。
自分が無実であることは、自分が一番知っている。易々と被疑事実を認めるわけにはいかない。
しかし、その代償は大きかった。
長期間、身体拘束されるのであるから、職場に仕事に行くことができない。面会以外の時間は、外部の人との接触すらできない。
ただただ困惑の中、警察署内の狭い留置場で拘束されるのである。
いつ自由になるのかも分からない。
今後、起訴されるのか、不起訴になるのかも分からないのである。
今でこそ、刑事司法について理解しているが、刑事司法に「無知」な当時の私にとっては、先のことが見通せず、ただただ耐えるしかなかった。
一日一日、身体拘束は、確実に被疑者を精神的に追い込んでいく。無実の者であるならば猶更に。
仮に、虚偽の自白をすれば、早期に保釈されることが多い。しかし、無実の者が無実を訴えるために「否認」を貫くと、裁判所は被疑者の身体拘束を続ける決定を下す。
被疑者に「罪証隠滅の恐れ」や「逃亡の恐れ」があると見なされるのである。
日本の司法は、罪を犯した者には、罪を認めれば途端に優しく接する。一方、罪を犯していない者には、当然の主張をしているのにも関わらず厳しい。
まさに、「推定有罪」の前提に立った本末転倒なシステムなのだ。
私の場合、再逮捕をされたことが影響し、起訴に至るまで約50日もの間、身体拘束が続いた。
まさに「人質司法」との闘いであった。
〔「被告人」という立場に、そして「拘置所」へ〕
検察の捜査が終わり「起訴」されると、無実を訴える者は、裁判で「無罪判決」を獲得するしか身の潔白を示すことができない。
立場も「被疑者」から「被告人」へと変わる。
裁判で「無罪判決」を勝ち取ることは容易ではない。
日本の司法は、「推定有罪」の前提で裁判が開かれる。「疑わしき被告人の利益に」という原則など形骸化している。
カルロス・ゴーン氏の会見を受け、森まさこ法務大臣が「潔白であるならば、司法の場で正々堂々無罪を証明すべきである」と世界に発信した。ゴーン氏への反論の前提が「有罪ありき」なのである。
又、「無罪を証明すべき」の箇所は、批判を受けたため「無罪を主張すべき」に変更された。同氏は、法務大臣という立場でありながら、「犯罪事実の挙証責任が、検察官にあること(刑事訴訟法)」を理解していないと思われる(前職は弁護士だそうだ)。
そうした状況に抗うのであるから、被告人は弁護人とともに入念に準備することが肝要となる。
ところが、身体拘束をされたまま裁判を争うとなれば、極めて不利となる。
ドラマで見かける例の「アクリル板」越しに、弁護人と有意義な打ち合わせができないことは、想像に難くないだろう。
むろん、検察は十分な捜査を終え、証拠収集も果たしたのであるから、被告人が隠滅し得る「証拠」は存在し得ない。「証拠」なるものは、検察がすべて握っているのである。いかなる手段で「罪証隠滅」が可能であるのか。
又、被疑者は、真摯に無実を訴えているのである。その意に反して「逃亡」を企てることなどあり得ない。
「罪証隠滅」や「逃亡」の可能性は、減殺されるのである。
そうであるから、起訴後は、直ちに「保釈決定」がなされるのが道理である。
被告人の保釈は、「権利保釈」として、定められている(刑事訴訟法89条)。
しかし、検察は、身体拘束の必要性を裁判所に訴える。
精神的に屈した被告人が罪を「認める」ことを狙っているのである。
余談になるが、カルロス・ゴーン氏は、こうした日本の司法の抑圧から逃れたのだ。
彼の逃亡の「悪」を殊更に指摘し、「人質司法」を正当化することは詭弁である。
私は、結局のところ、約100日もの間、身体拘束された。
その間、私は、警察署内の留置施設から拘置所に移送もされた。
身を以て「人質司法」を体験したのである。
拘置所に移送された2018年11月下旬。
「証拠」とされる捜査報告書やAの供述調書が届いた。弁護人が証拠開示請求をしたのである。
ようやく、「被害者」が訴える「被害」を知ることができたのである。
しかし、それは愕然とするものであった。
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002事件の全容
〔事件の概要〕
私は、迷惑防止条例違反(痴漢)の疑いで逮捕、起訴された。
まったく身に覚えがなく、「冤罪」であると断言できる。
これは、捜査機関が開示した「証拠」を精査してみても、「被害者」とされるAが、数々の虚偽申告を捜査機関にしていることからも明らかな事実である。
迷惑防止条例違反で公訴事実を争う場合は、①「被害者」とされる人物の錯誤(勘違い)であること、②「被害者」とされる人物の狂言(でっち上げ)であることのいずれかを想定することになる。
私の事件の場合、Aが捜査機関に数々の虚偽申告をしていることが明らかなことから、「被害者」とされる人物の狂言による事件(でっち上げ)に属す。
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また、以下の〔事件の経過〕でも明らかなように、私は、迷惑防止条例違反(痴漢)の疑いで逮捕、起訴されているのにも関わらず、すべて後日逮捕であった。極めて例外的である。
被疑事実①は6月の事件について、被疑事実②及び③は9月の事件について、それぞれ立件されたものだ。とりわけ、9月の事件は、警察官4名が現行犯逮捕を目的に同行警乗していて、当時犯行を現認していたから、後日になって通常逮捕をすると言うのだ。まったく理解し得ないロジックである。
なぜ、現行犯逮捕を目的に警乗していたのに関わらず、その場で現行犯逮捕しなかったのか。不自然・不合理極まりない立件であることは明らかだ。
私は、そのような事件によって、以下のような長期間の闘いを強いられることになったのである。
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今後、本ブログでは、事件の経過に照らして、事件の詳細をお伝えしていくこととする。
〔事件の経過〕
2018年の出来事
9月25日 京都府警により逮捕(被疑事実①)
6月事件で後日逮捕される
10月16日 京都地検により起訴
10月17日 京都府警により再逮捕(被疑事実②及び③)
9月事件で後日逮捕される
現行犯逮捕を目的に警察官らが警乗していた
11月 2日 京都地検により起訴
~第1審開始~
12月18日 第1回公判期日(罪状認否=「否認」)
12月20日 保釈許可決定・保釈
約3か月もの間、勾留・拘留が続いた
いわゆる「人質司法」である
2019年の出来事
2月12日 第2回公判期日(「被害者」Aの証人尋問)
2月22日 第3回公判期日(「目撃者」Nの証人尋問)
2月26日 第4回公判期日(「目撃者」Iの証人尋問)
3月 5日 第5回公判期日(「弁護側」被告人質問①)
3月25日 第6回公判期日(「検察側」被告人質問②)
5月21日 第7回公判期日(「論告求刑・弁論」)
7月18日 判決公判期日
有罪判決「懲役6月、執行猶予3年」
即日、大阪高等裁判所へ控訴
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~控訴審開始~
10月24日 「控訴趣意書」を大阪高等裁判所に提出
12月10日 「控訴趣意補充書」を大阪高等裁判所に提出
12月23日 第1回公判(即日結審)
2020年の出来事
2月21日 判決公判期日(15時~)
杉田友宏
近道暁郎
001はじめに
〔御挨拶〕
はじめまして。
本ブログを閲覧して戴き、ありがとうございます。
本ブログは、冤罪被害者としての自身の闘いを綴り記録に残すこと、冤罪に遭われている方々の参考になることを目的に立ち上げたものです。
連載して投稿いたしますので、ぜひご覧ください。
〔冤罪被害者の支援者の方へ〕
大切な身内の方が「冤罪」に遭われ身体拘束されているのであれば、刑事弁護に精通した弁護人を選任してください。
被疑者が最初に接見する当番弁護士や国選弁護士は、無罪を争う弁護活動を行った経験が乏しいことが想定されます。刑事弁護に精通した弁護人は、インターネット上で検索することが可能です。
例えば、「えん罪救済センター」は、数年前に日本ではじめて創設された冤罪を専門に扱っている機関です。所属弁護士は、数々の「無罪判決」を獲得された経験をお持ちです。該当弁護人所属の弁護士事務所を検索した上で、一度連絡を入れてみてください。弁護人は、大切な身内の方のために尽力して下さいます。
また、大切な身内の方の身体拘束が続くのであれば、面会等を通して励ましてあげてください。捜査機関は、被疑者の「自白」を録取することに躍起になり、様々な手段を講じてくることが想定されます。虚偽の「自白」をしてしまうと、日本の司法制度で覆すのは至難の業となります。捜査機関の捜査には黙秘を貫くこと、捜査機関が作成する調書には署名・捺印をしないことを徹底してください。日本の裁判所は、虚偽の「自白」であっても、『証拠の王様』として、有罪判決の起案に重宝します。
「無罪判決」を獲得まで長い闘いになりますが、必ず雪冤を果たされることを願っています。私も「雪冤」のために、闘い抜きます。
一審判決で「無罪判決」を勝ち取った例
高裁判決で「逆転無罪」 を勝ち取った例