『冤罪被害者』のブログ 

冤罪被害者の闘いを綴る

011黒い法服

〔法廷という場〕

 公判は、2018年12月18日から始まった。

 

 初公判は、保釈が下される前であったので拘置所から出廷した。

 久し振りに「外」の世界に出た。

 入廷することによって、弁護人、傍聴人らと顔を合わすこともできる。

 

 しかし、無実の者にとって、身体拘束を強いられたままの出廷は苦痛でもある。

 ある意味「拷問」であった。

 

 被告人である立場である以上、腰縄や手錠をされたままの入廷させられる。

 逃走を企てないようにスリッパのままの入廷させられ、両脇には刑務官が一緒に着席する。

 まるで「推定有罪」の状況で法廷に立たされるのである。

 

 そして、検察官による起訴状朗読と冒頭陳述。

 無実を訴えていても、検察官は躊躇なく被疑事実を読み上げる。

 検察官は、無いことをまるで有るかのように平気で語る。

 言葉の暴力であった。

 

 裁判官は、公判がはじまるまで起訴状しか持っていない。

 しかし、こうした過程を経て予断と偏見が生じはじめる。

 

 多くの裁判官は、有罪率99.9%の日本の司法制度の中で、検察官は間違わないと思い込んでいる。

 起訴されたのであれば、「『有罪判決』を起案しなければいけない」という間違った正義感を持っている者さえいる。

 

 それが裁判所の実状だ。

 

 私は弁護人から概ねこの話を聞かされていた。

 我が身になるまで知らなかった事実である。

 

 まさに被告人にとって、法廷は闘いの場なのである。

 

〔冒頭手続き〕

 否認事件の場合、公判の手続きは複雑になる。

  

 一般的に、被告人が罪状の認否を明らかにすると、検察官は証拠調べ請求を裁判所に行う。

 「有罪」立証のため必要な供述調書や捜査報告書を、裁判所に提出しようとするのである。

 

 弁護人は、無実を訴える被告人にとって、上記の書類の内容は真実ではないので「不同意」を申し出る。

 私の場合は、これまで掲載してきたAの虚偽供述や警察官の不可解な「再現」なるものが上記に含まれているのである。

 裁判官が誤判しないように対処するのである。

 

 裁判所は、書面が「不同意」となった場合、それらを受理することはできない。

   書面の信用性が争われる場合、いわゆる「伝聞証拠禁止」の原則が適応されるからだ。

 この原則によって、書面審理では不可能な反対尋問の機会が弁護側に与えられ、適切な防御が被告人にとって可能となる。

 つまり、証人尋問によって、書面の信用性を確かめる機会が与えられるわけである。

 結局、検察官が裁判所に提出した書面は、電車の時刻表くらいとなった。

 

 検察官は、証人尋問を請求した。

 弁護団は、開示証拠の精査を行い、書面の不自然・不合理な点の把握に時間を割いてきた。すでに証人に確かめたいことは山ほどある。

 弁護側は、証人尋問に「同意」した。

 

 こうして証拠が証言として法廷に現出するようになり、公平性を担保することができた。

 

 この事件では、A、捜査責任者N、それからI警察官の証人尋問が請求された。

 Aから「毎日のように被害に遭っていた」こと聞いていた友人たちは請求されなかった。

 捜査責任者Nと矛盾する供述をしているF警察官の請求もなかった。

 

 本来、証人の数が多いほど、被告人にとって不利なはずである。

 極めて不可解な尋問請求であった。

 

 恐らく、検察官は真実に気付きはじめていたに違いない。

    証人の辻褄が合うよう証人の人数を最小限に留めたのだろう。

 

 組織の人間は、後戻りができない。

    日本の検察の闇である。

 

 裁判官が何色にも染まっていないことを願うばがりであった。

 

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