『冤罪被害者』のブログ 

冤罪被害者の闘いを綴る

014証人尋問③

 2019年2月26日。

 I警察官の証人尋問である。

 

 予想通り、I警察官もN同様に「犯行を現認した」と明言した。

 

〔反対尋問〕

 弁:なぜ現行犯逮捕しなかったのですか?

 I:私一人で判断がつきませんでした。

  :後方にNが立っていたので判断を委ねようとしました。

 Iは、同行警乗2日目から増員された警察官である。

 Nは、I警察官にAの傍に付くように指示していた。

 つまり、N証言を前提とすれば、一番近くで「犯行」を見ていた人物である。

 それにも関わらず、「判断がつかなかった」と言うのである。

 そんなことがあり得るであろうか。

 

 Aの自作自演を暴露するN

 弁:触られているときのAはどのような様子でしたか?

 I:嫌そうな顔をしていました。

  ただAはO駅から被告人の方に体を向けていました

 (O駅は、Aが被害に遭いはじめたと申告している駅である)

 弁:なぜそうなったのですか?

 I:どういう経緯でそうなったのか私には分かりません

  これは驚くべき証言であった。

 9月21日は、要旨「西側ロングシート前でAと私が左右に並んだ状態で、Aが被害に遭った」とされている。

 仮に、「犯行」に及んだとすれば、私の腕は相当A側に伸ばさなければならない。

 しかし、I曰く、「Aの方が体を私に方向に向けた」というのである。

 

 真に被害に遭っている人物が、自分から合理的な理由もなく、体をわざわざ犯人とされる人物が立つ側に向けることがあるだろうか。

 I警察官の証言が真実であれば、Aの自作自演が強く推認される証言だ

 

  • 6月13日の被害に遭っているような動画。
  • 6月29日の「後を付けられた(実際にはAが後を付けていた)」事件。
  • 9月20日の別人の写真の提出。

 以上を併せるだけでも、この事件の真相は明白である。

 すべてがAの自作自演を強く推認させるものだ。

 

 少なくとも、I証言に信用性を認めるのであれば、9月21日事件の「自作自演」は事実認定されなければならない。

 I警察官は、それほど看過できない重要な証言を行ったのである。

 

 「犯行再現」なるもの

 I警察官の証言は、供述調書から変遷は見られなかった。

 しかし、これには理由がある。

 警察官らが「犯行再現」なるものを行ったのは2018年10月30日。I警察官が、検察官によって検面調書を録取されたのは11月1日。

 つまり、I警察官は「犯行再現」なるものを体験してから、供述調書を録取していることになる。

 

 これでは、真に体験したことをもとに検面調書を作成したのか、「犯行再現」なるものの体験をもとに検面調書を作成したのか判然としない。

 少なくとも、「犯行再現」なるものをもとに、検察官が供述調書を作成することは可能であるのだ。

 

 余談になるが、捜査責任者Nの検面調書作成は10月25日である。

 前掲「013証人尋問②」で記したとおり、Nには不合理な変遷が数多く見られた。

 

 I警察官の証言に変遷がないから、一概に「信用性」があるとは判断できないのである。

 

 I警察官の偽証

 9月21日の電車は、最寄り駅に到着した時点で相当な混雑であった。

 最寄り駅で下車した乗客はほとんどいない。

 それにも関わらず、Aと私はドア前で並んだ右の列から進行方向を北とする車両の西側ロングシート前まで行き、I警察官はその後方に立ったという。

 しかし、上記のような混雑状況の場合、せいぜい最寄り駅から乗車した客はドア付近に押し込まれるのが現状であろう。

 これは公知の事実であると言える。

 

 さらに、I警察官曰く、「被告人とAの隙間は30㎝以上離れていた」という。

 それほど「目撃」するのに都合のいい話を聞いたことがない。

 

 本当にN警察官を含め警察官の弁解にはあきれてしまう。

 

 I証言によれば、満員電車で、

  • 最寄り駅から乗り込んだ4名がロングシート前の空間までたどり着けた
  • ロングシート前に立つ人物の左右の隙間が30㎝以上空いていた
  • その後方に入り込み、隙間から「目撃」した

 というのである。

 

 このような証言をだれが信じるだろうか?

 少なくとも、満員電車を経験する者であれば虚偽であると断じるだろう。

 

 リュックを背負っていなかったという嘘

 I警察官は、上記の「目撃」した立ち位置に立った際、後方の人物との接触を背中で感じていたと明言した。

 しかし、この日、I警察官は背中に大きなリュックを背負っていた。

 このことは、最寄り駅の防犯カメラ映像に記録として残っている。

 弁:あなたは後ろの人と接触していましたか?

 I:していました。背中で接触を感じていました。

 弁:そすうるとリュックなんか背負っていたら、背伸びなんてできませんよね。

 I:できないと思います。

  I警察官は、30㎝以上の隙間から犯行を「目撃」したと同時に、背伸びをして「目撃」したとも証言していた。

 しかも、リュックを背負って背伸びはできない状況であったと明言したのだ。

 しかし、I警察官は、リュックを背負って乗車していた。

 警察が自ら入手している防犯カメラの存在を忘れているのであろうか?

 

 I警察官が、真に体験していないことを語っていることは明白であった。

  客観的事実と合致しない証言をする人物に信用性がないことは明らかである。

 

 乗車前の被告人の立ち位置の虚偽

 I警察官は、電車に乗り込む前の私の立ち位置を偽証した。

 

 この日、私はF警察官の供述によれば、プラットホームに降りた後、時刻表看板付近で電車を待っていたとされている。

 そして、Aと同じ先頭車両前から3番目のドアから電車に乗った。

 弁:被告人はどこで電車を待っていましたか?

 I:4番目のドア付近にいました。

 弁:位置でいうとあなたから見てどの位置ですか?

 I:私から見て右斜め後ろ(4番目のドアの方)でした。

  I警察官はAとともに3番目のドアの列に並んでいた。

 4番目のドアの列に立つ私が、故意にAを見付けて、3番目のドアから乗り込んできたといいたいのであろう。

 

 しかし、これは虚偽である。

 

 I警察官の証人尋問の後、最寄り駅に偶々行く機会があった。

 よくよく時刻表看板の位置を確認してみると、時刻表看板が2番目のドアと3番目のドアの間の位置に立っているのである。

 つまり、私は3番目のドアに近い位置に立って電車を待っていたのである

 すなわち、私は単純に一番近い3番目のドアから乗っただけであったのだ。

 

 上記「私から見て右斜め後ろに被告人が立っていた」という証言は虚偽であることが判明したのだ。

 殊更「Aを付け狙っている」こと強調するための偽証である。

 

 弁護人は、すぐさまF警察官の証人尋問の請求をした。

 しかし、検察官は頑なに拒否した。

 

 恐らくF警察官が尋問されると、上記捏造が発覚することに気付いたのだろう。

  代わりに、検察官は、Fの供述調書に限り提出に同意した。

 

 検察官が「白旗」状態に陥ったのである。

 

 結局のところ、三者の証人尋問をすると、

  1. A、捜査責任者N、I警察官の三者証言は合致しない
  2. それぞれの証言自体は客観的証拠と合致しない。

 ことが法廷で明らかになった。

 

 このような状況で、有罪認定などできるわけがない。

 あとは、いかに裁判所に訴えるかである。

 

 弁護団とともに「被告人質問」の構想を練る作業、「弁論要旨」作成の準備に取り掛かっていった。

 

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013証人尋問②

 2019年2月22日。

 捜査責任者Nの証人尋問が行われた。

 

 Aと同様にNは、裁判官の面前で宣誓を行った。

 余談であるが、警察官が偽証をした場合、罪に問われにくいと言われている。

 一般的に弁護側の証人が偽証を行った場合、罪に問われる傾向にあるが、検察側の証人は問われにくいとされている。

 そんな不公平がまかり通っているのが日本の司法だ。

 捜査機関は何でも許されているのである。

 

 捜査責任者Nは、現行犯逮捕を目的に私を2日間合計40分間にわたり注視したとされている。しかるに私を現行犯逮捕しなかった。

 いったいNは、どのような弁解をするのだろうか。

 ある意味予想がつかなかった。

 

〔主尋問〕

 主尋問冒頭、いきなりNは言い放った。

 N:同行警乗の際、被告人による犯行を現認しました。

 ある意味愕然とした。

 

 この捜査責任者Nは、前掲「009無実の裏付け②」で記したとおり、2018年9月25日作成の捜査報告書で「被疑者の手が被迷惑者の陰部に触れているか否か確認できなかった」、「被疑者の手が被迷惑者の陰部に触れているか否か判然としなかった」の記載を確認し、押印している人物である。

 

 その人物が、尋問冒頭から客観事実と異なる証言をはじめたのである。

 

 しかも、Nは「車内が混雑していたため場所を移ることができず、犯行を現認することができませんでした」と、具体的に供述調書で述べていた。

 

 刑事裁判の原則であるが、核心部分で証言に変遷が見られる場合、その証言の信用性はないと見なされる。

 しかし、Nは臆面もなく証言を変遷させたのだ。

 

 日本の警察官は、刑事裁判でこのような横暴を平気で行うのである。

 これも検察側の「偽証罪」が名ばかりのものである弊害なのであろう。

 本当に信じがたい。

 

〔反対尋問〕

 すかさず、弁護人が反対尋問を行った。

 弁:あなたは本当に現認したのですか?

 N:はい。

 弁:2日間とも、現行犯逮捕を目的だったのですよね?

 N:現行犯逮捕を目的に同行警乗しました。

 弁:他の警察官も共通認識を持っていたと捉えていいですか?

 N:はい。

 弁:では、なぜ現行犯逮捕しなかったのですか?

  :あなたは犯行を現認したのですよね?

 N:はい。

  :できれば現行犯逮捕したかったのです。

  :しかし、満員電車で現行犯逮捕をすると、被告人を衆人環視に晒してしまうと考えました。

  :ですので、被告人の人権に配慮した結果、現行犯逮捕しませんでした。

  不合理な弁解にも程がある。

 良識のある人であれば誰が聞いてもNの証言は納得できないであろう。

 

 警察官らは、捜査責任者Nの指揮のもとで2日間同行警乗を行った。

 仮に1日目に上記のような考えに至ったのであれば、2日目の同行警乗を行う理由はないはずだ。

 ましてや、警察官が現行犯逮捕を明確な目的にしながら、かつ、犯行を現認したのにも関わらず実行しないことなどあり得ない。

 

 さらに、関係証拠からは、捜査責任者Nが同行警乗行った警察官のうち2名を私と同じ駅で下車させていることが判明している。

 つまり、Nは準現行犯逮捕の手配も行っていたのだ。

 仮に、車内での現行犯逮捕が差し支えるのであれば、準現行犯逮捕を行えばいい。

 しかし、それも実行されなかった。

 

 捜査責任者Nが、これらの弁解が通じると思っているあたりが恐ろしい。

 なお、Nは、警察官2名に私が下車する駅で降りるよう指示したことは一切ないと明言した。しかし、I警察官は、「Nが指示をした」旨を証言している。

 ここでもNは偽証しているのである。

 準現行犯逮捕をしなかった不合理を隠蔽するためであろう。

   弁:しかし、あなたは2日目も同行警乗を行っていますよね? 

 N:はい。

  :今日こそは現行犯逮捕したいと思って同行警乗を行いました。

  弁:なぜ、現行犯逮捕しなかったのですか?

 N:先ほど申し上げた通り・・・被告人の人権を・・・(略)・・・

  Nは、まるで壊れたレコーダーであった。

 恐らく、検察官との証人テストで、この弁解を繰り返すよう指示されたのであろう。

 

 証人テストとは、証人尋問前に証人と検察官が行う事前の打ち合わせを指す。

 警察官が証人の場合は、数週間前から検察官と念入りに打ち合わせを行うこともあるそうだ。

 (一応、証人テスト自体は、日本の刑事裁判では認められている行為である)

 

 他にもこんな遣り取りがあった。

 弁:あなたとAの陰部までの距離はどのくらい離れていましたか?

 N:数十センチです。

 弁:その距離なら完全に触っていると判断できますよね?

 N:はい。

  :ただ触っているのは分かったのですが、押し込んだとまでは断定できませんでした。

 弁:触っていれば、迷惑行為ではないのですか?

  弁護人の指摘は的を射ている。

 Nがかなり苦し紛れの弁解に終始しているのは明らかだ。

 そもそも「被疑者の手が被迷惑者の陰部に触れているか否か確認できなかった」という捜査報告書の記載内容とまったく合致しない

 

 弁:あなた自身で判断がつかないのであれば、Aの表情は確認しなかったのですか?

 N:はい、しませんでした。

  (警察官が被害者の表情を酌み取らないことなどあり得ない)

  :ただAの陰部付近を注視していました。

  Nは、最寄り駅から私が下車するまで、Aの陰部付近を注視して判断がつかなかったと証言した。

 仮にそうであるならば、「現認」ではないのであるから、もはや犯罪事実が成立し様がない。

 しかも、Aは、2月12日の証人尋問で以下ような証言をしている。

 以下のA証言を併せれば、N証言が極めて不合理であることがよくわかる。

 弁:警察官に助けを求めなかったの?近くにいたんでしょ?

 A:いました。

  :警察官は気付いていると思っていました。

  :警察官は体で犯人を押してくれたり、自分でも犯人の手を払ったりしました。

 弁:犯人はどうしたの?

 A:(犯人は)手を払いました。

 弁:触るのを止めたの?

 A:止めてないです。

  Nが確信を持てずに悩んでいた頃、Aによれば「私と警察官、Aの3者の鬩ぎ合い」が行われていたらしい。

 仮に、A証言が真実であれば、Nの証言は虚偽であることは明らかだ。

 少なくとも、AとNの証言は合致しない。

 

 なお、この「鬩ぎ合い」をしていたとされる警察官は、A証言によればNとは別の人物であると考えられる。

 この別の警察官は、上記捜査報告書で「被疑者の手が被迷惑者の陰部に触れているか否か確認できなかった」、「被疑者の手が被迷惑者の陰部に触れているか否か判然としなかった」と記載した人物である。

 犯人と「鬩ぎ合い」までしながら、このような報告書を作成するだろうか。

 あり得ないことである。

 

 具体的な尋問が続く。

 弁:犯行を行っているときの犯人の体勢はどうでしたか?

 N:私から見て被告人の体勢は「逆くの字」に見えました。

  (???????)

 裁:それはどういった体勢ですか?

  (さすがに裁判官も驚いたのでろう)

 N:言葉では難しいので・・・

  :≪突如Nは体で表現をはじめた≫

 弁:そこまでしていたら、もう触っているのは明らかですよね?

  N証言を前提とすれば、私の犯行を断定し確信を持って現行犯逮捕する機会はたくさんあったはずである。

 客観的時間では、1日20分間の時間である。

 少なくとも、それ程の時間があるのにも関わらず、かつ、鬩ぎ合いの時間も含めてAがずっと被害に遭っていたのにも関わらず、犯行に及んだか否か迷うことはあり得ない。

 

 この証言を以って、果たして「現認」したことに信用性が認められるだろうか?

 

 さらにNはこんなエピソードを偽証した。

 N:電車に乗り込むとき、被告人がAの後ろに割り込み乗車をしてきました。

 突如、Nが法廷で証言をしたので、私も弁護人もその場で判断が付かなかった。

 のちに開示証拠を精査してみると、

  1. 警察官らが行った「犯行再現」なるものにおいて、割り込み乗車の記載は一切みられない
  2. 私の行動を注視ていたF警察官の供述調書において、割り込み乗車の記載は一切みられない
  3. N自身の供述調書において、割り込み乗車の記載は一切見られない

 ことが判明した。

 

 よって、N自身の証言に変遷が見られる上に、他の証言とも合致しないことが明らかになった。

 つまり、Nは「Aのみを狙った特殊な犯人である」という警察の見立てに沿うような事柄を偽証したのである。

 そのような人物に信用性がないことは明らかであった。

  

 結局のところ、捜査報告書の「被疑者の手が被迷惑者の陰部に触れているか否か確認できなかった」、「被疑者の手が被迷惑者の陰部に触れているか否か判然としなかった」の記載が真実なのだろう。

 

 9月事件につき、A証言しか証拠がないのは明らかであった。

 捜査責任者Nの証言は、「証拠」になり得ていないのは明白であった。

 さらに、A証言自体にも信用性が認められないのであるから、被疑事実を認定し様がないのである。

 

 検察官は、これで公判を維持していると思っているのだろうか?

  

 次はI警察官の尋問である。

 N同様の証言に終始するのであろうか。

 

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012証人尋問①

 宣誓

  良心に従ってほうとうのことを申し上げます。知っていることをかくしたり、ないことを申し上げたりなど決していたしません。

  以上のとおり誓います。

 

 

 2019年2月12日、Aの証人尋問がはじまった。

 証人が証言をする場合、裁判官の面前で宣誓をしてから証言をはじめる。

 嘘の「証言」をした場合、偽証罪に問われるのだ。

 

 今回の証人尋問の目的は、捜査段階のA供述と客観的証拠との齟齬を証拠として現出させることであった。

 

〔主尋問〕  

 9月事件を何も語れないA

 まず、検察官による主尋問がはじまった。

 当たり前のことかもしれないが、検察官は、供述調書どおりにAに証言をさせた。

 検察官が、事前にA供述と客観的証拠の齟齬に気付き、証言内容を修正してくる可能性もあったので、何となく拍子抜けであった。

 

 主尋問での一番の驚きは9月事件であった。

 検察官は、9月事件の際のAと私、警察官の立ち位置などの詳細をAに尋ねた。

 しかし、Aは供述調書どおりに答えることができない。

 真に被害を経験したものとは言えないほど杜撰な証言であった。

 

 例えば、9月21日の立ち位置は、要旨「Aと被疑者が西側ロングシート前で左右に並び被害に遭った」と捜査報告書に記載され、警察官らによって「再現」までなされている。

 

 しかし、Aは「犯人は右とか左とかではなくて前にいました」、「前にいたってことは覚えています」と2回にわたって明言した。

 

 西側ロングシート前で、私がAの前に立てないことは当たり前であり、客観的に不可能なことをAは証言したのである。

 もちろん、警察官ら行った「犯行再現」なるものと合致していない。

 警察官らがAを「犯行再現」なるものに参加させていない理由が理解できた場面であった。

 

 検察官は、「とりあえず近くにいたってことですか」とAを救済したが、あまりにも杜撰な証言であった。

 Aの「近くにいた」という証言だけで、有罪立証できるはずがない。というか、あってはならないことである。

 これがまかり通れば、満員電車で誰もが「犯人」になってしまう。

 

 又、その他の場面のA証言においても、警察官らの「犯行再現」なるものと合致することはなかった。

 A証言を聞いて、検察官は相当焦っている(諦めている)様子であった。

 

 A証言が何ら証拠となり得ないことは明らかであった。

 

〔反対尋問〕

 弁護側の反対尋問がはじまった。

 弁護側の戦術は、先に主任弁護人がA証言を固め、後でもう一人の弁護人が証言の矛盾を突いていくというものだった。

 

 被害申告の虚偽

 Aは、主任弁護人の尋問に対して、①「いつも通学でα電車に乗っていた」、②「6月までα電車の先頭車両で10回以上被害に遭った」、③「9月まで20回程度被害に遭った」、④「被害申告(6月30日以降)電車を早くした」ことなど、概ね供述調書どおりに証言をした。

 

 Aは、LINE履歴を把握されていることを気付いていなかった(上記②ないし④の自己矛盾にすらAは未だに気付いていないかった)。

 

 すかさず、もう一人の弁護人が尋問をはじめる。

 弁:あなたは、いつもα電車に乗っていなかったですよね?

 A:いつも乗っていました。

 弁:被害回数をオーバーに言ったりしていませんか?

 A:言っていません。

 弁:裁判官、LINE履歴を示して尋問をしてよいでしょうか?

 裁:はい、構いません。

  (ここから一気に攻めていく)

 弁:これはあなたのLINE履歴を抜粋したものです。

  :5月1日の履歴ですが、α電車の時間より早く乗っていますよね?

 A:はい。

 弁:次、5月2日ですが、これもα電車に乗っていませんよね?

 A:・・・多分、・・・はい。

   (中略)

   (同様のやり取りが6月下旬まで続いた)

 弁:もう一度確認します。

  :いつもα電車に乗っていたというのは本当ですか?

 A:・・・(うなずく)

 弁:被害に6月まで10回以上遭ったのも本当ですか?

 A:・・・(うなずく)

 弁:9月まで20回程度被害に遭っていたというもの本当ですか?

 A:・・・はい

  Aが、嘘を言っていることは明らかであった。

 弁護人によって、客観的事実を突き付けられても、Aは証言を訂正しなかった。

 証人としての「信用性」が皆無であることは間違いない。

 傍聴人の誰もがAの虚偽申告を確信していた。 

 

 さらに尋問したいことはたくさんある。

 弁:6月29日の件ですが、本当は犯人はあなたの前にいたのではないですか?

 A:前にいました。

  (Aは供述調書と違う回答をした)

 弁:あなたは、この日母親に「犯人が後ろにいる」という電話をしていませんか?

 A:・・・

   間違って言ったかもしれないです。

 弁:そうすると、前にいるのは前にいたのですか?

 A:前にいました。

 弁:そのあとはどうしたのですか?

  (Aは後を付けられたから駐車所に隠れたと供述していたので、それに沿って弁護人は尋問を行った)

 A:犯人を捜しにいきました。

 弁:捜してからどうしたんですか。

 A:見失ったので待っていました

 弁:待っていたら、どうなったのですか?

   待っていたら犯人が現れました。

  (この日、恐らく私は最寄り駅付近のスーパーに立ち寄った。Aはスーパーから出てきた直後の私を発見したのだろう

 弁:犯人はどうしたの?

 A:車に乗りました。

 弁:そこで車のナンバーを記録したわけですね?

 Aは、最寄り駅で帰宅途中「後を付けられた」と被害申告をしていた。

 母親にも「後を付けられている」と電話して助けを求めていた。

  しかし、Aは、弁護人に「私が前にいた」こと、「Aの方が待っていた」ことを認めた。

 Aが「待っていた」と証言した時刻は、母親に「マジて付いてきている。ちょっと待って。ちょっと待って。」と2回目の電話で4分間通話した時間帯である

 明らかに客観的事実と異なっている。

 

 ここまでくれば、Aの虚偽申告を暴いたのも同然であった。

 弁護側の勝利であった。

 これ以上、尋問のし様がない。

 もはや何が真実なのか分からないレベルであった。

 

 動画撮影の経緯

 その他、6月事件の動画の撮影経緯について尋ねた。

 弁:母親から動画を撮影する指示はありましたか?

 A:ないです

 弁:6月11日に撮影したものを見せたら、母親に「ちゃんとした証拠を撮らないとあかん」と言われたのではありませんか?

 A:言われていないです

 弁:母親に言われたから、13日にわざわざ近いところに乗って、動画を撮影したのではないですか?

 A:違います。

  Aは、供述調書で「これ(6月11日に撮影したもの)を見た母親から証拠を撮るように指示されたました」と述べていた

 供述と証言の自己矛盾の発現である。

 

 例えば、同じ人物が一事象につき、別の「ア」と「イ」という内容を述べることはあり得ない。供述・証言した「ア」と「イ」につき、両方が虚偽であるか、いずれかが虚偽である。

 こうしたことが法廷で発覚した場合は、証人尋問後に、Aの捜査段階の供述調書を裁判所に提出することができる(刑事訴訟法328条)。

 裁判官に、Aの自己矛盾を突き、Aの証人としての信用性がないことを示すためである。

 

 それにしても、なぜ、Aは証拠撮影の指示につき嘘を言う必要があるのか。

 

 動画を撮影した日、Aは私のあとから私の前に乗り込んだ。

 これはAが一番ドア側に立っている客観事実から明らかである。

 そうして、迷惑行為(痴漢)のような動画を撮影した。

 つまり、「故意に近くに乗り込み撮影を行った」ことを隠すためであることが強く推認される。

 

 Aが「ミスって近いとこ乗ってもーた」と友人にLINEで送信しながら、O駅、T駅と立ち位置を一切変えなかった不合理な点も説明がつく。

 

 弁護側の推認が極めて合理的であることが明らかとなった瞬間である。

 

 別人の写真

 Aは、9月事件につき別人の写真を捜査機関に提出していた。

 検察官から、捜査段階で問い詰められ、「間違って撮影した」ことは認めていた。

 弁:この写真は間違って撮影したのですか?

 A:はい。

 弁:間違って撮影することなんてあるんですか?

 A:はい。

 弁:なんで間違ってしまったの?

 A:画像が反転していたから間違えました。

  Aはスマートフォンで画像を撮影したため、画像が保存される際に反転してしまったようだ。

 このことは関係証拠から認められ争いはない。

 しかし、Aが警察で「犯人です」などと書き込んだ画像(プリントアウトしたもの)は、画像の方向が修正されているものであった。

 捜査報告書には「Aが証拠の画像を差し出してきたので、本職はそれを撮影し証拠を保全した」と記載されているが、その画像の方向は修正されたものであった。

 つまり、Aは自ら画像の方向を正しく修正しているので、画像の方向を正しく認識できていたことになる

 よって、「反転していたから間違った」という弁解は、極めて不合理であった(そもそも、撮影対象を間違うこと自体、あり得ないのであるが・・・)。

 

 そして、何よりこの画像を撮影した際、警察の「犯行再現」なるものでは、Aは東側ロングシートの北端で南側を向いて立っていたことになるが、Aが記入している自分の立ち位置は西側を向いて立っていることになっていた。

 さらに、この日Aは「東側を向いていました」と証言した。

 

 人間は、真に体験したことは映像記憶として記憶に残る。

 犯罪の被害を受けている場面であれば猶更のことであり、これ程までに同一人物の供述や証言が食い違うことは考え難い。

 Aが真に体験したことを語っていない証左であると言える。

 

 Aは、供述・証言をする度に立ち位置が変化するのである。

 当然、警察官らが行った「犯行再現」なるものとも合致しない。

 

 すべての事件につき、Aの証言は手の施しようがないほど杜撰なものであった。

 

 結局のところ、Aの証人尋問では、上記のような不合理な点ばかりが発現した。

 予定どおりに進行し、公判後は弁護団とともに安堵した。

 

 この尋問を経て、事件を理解できない裁判官は恐らくいない。

 弁護団とそのような会話もしていた。

 

 次は警察官2名の証人尋問である。

 

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011黒い法服

〔法廷という場〕

 公判は、2018年12月18日から始まった。

 

 初公判は、保釈が下される前であったので拘置所から出廷した。

 久し振りに「外」の世界に出た。

 入廷することによって、弁護人、傍聴人らと顔を合わすこともできる。

 

 しかし、無実の者にとって、身体拘束を強いられたままの出廷は苦痛でもある。

 ある意味「拷問」であった。

 

 被告人である立場である以上、腰縄や手錠をされたままの入廷させられる。

 逃走を企てないようにスリッパのままの入廷させられ、両脇には刑務官が一緒に着席する。

 まるで「推定有罪」の状況で法廷に立たされるのである。

 

 そして、検察官による起訴状朗読と冒頭陳述。

 無実を訴えていても、検察官は躊躇なく被疑事実を読み上げる。

 検察官は、無いことをまるで有るかのように平気で語る。

 言葉の暴力であった。

 

 裁判官は、公判がはじまるまで起訴状しか持っていない。

 しかし、こうした過程を経て予断と偏見が生じはじめる。

 

 多くの裁判官は、有罪率99.9%の日本の司法制度の中で、検察官は間違わないと思い込んでいる。

 起訴されたのであれば、「『有罪判決』を起案しなければいけない」という間違った正義感を持っている者さえいる。

 

 それが裁判所の実状だ。

 

 私は弁護人から概ねこの話を聞かされていた。

 我が身になるまで知らなかった事実である。

 

 まさに被告人にとって、法廷は闘いの場なのである。

 

〔冒頭手続き〕

 否認事件の場合、公判の手続きは複雑になる。

  

 一般的に、被告人が罪状の認否を明らかにすると、検察官は証拠調べ請求を裁判所に行う。

 「有罪」立証のため必要な供述調書や捜査報告書を、裁判所に提出しようとするのである。

 

 弁護人は、無実を訴える被告人にとって、上記の書類の内容は真実ではないので「不同意」を申し出る。

 私の場合は、これまで掲載してきたAの虚偽供述や警察官の不可解な「再現」なるものが上記に含まれているのである。

 裁判官が誤判しないように対処するのである。

 

 裁判所は、書面が「不同意」となった場合、それらを受理することはできない。

   書面の信用性が争われる場合、いわゆる「伝聞証拠禁止」の原則が適応されるからだ。

 この原則によって、書面審理では不可能な反対尋問の機会が弁護側に与えられ、適切な防御が被告人にとって可能となる。

 つまり、証人尋問によって、書面の信用性を確かめる機会が与えられるわけである。

 結局、検察官が裁判所に提出した書面は、電車の時刻表くらいとなった。

 

 検察官は、証人尋問を請求した。

 弁護団は、開示証拠の精査を行い、書面の不自然・不合理な点の把握に時間を割いてきた。すでに証人に確かめたいことは山ほどある。

 弁護側は、証人尋問に「同意」した。

 

 こうして証拠が証言として法廷に現出するようになり、公平性を担保することができた。

 

 この事件では、A、捜査責任者N、それからI警察官の証人尋問が請求された。

 Aから「毎日のように被害に遭っていた」こと聞いていた友人たちは請求されなかった。

 捜査責任者Nと矛盾する供述をしているF警察官の請求もなかった。

 

 本来、証人の数が多いほど、被告人にとって不利なはずである。

 極めて不可解な尋問請求であった。

 

 恐らく、検察官は真実に気付きはじめていたに違いない。

    証人の辻褄が合うよう証人の人数を最小限に留めたのだろう。

 

 組織の人間は、後戻りができない。

    日本の検察の闇である。

 

 裁判官が何色にも染まっていないことを願うばがりであった。

 

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日本の裁判がわかる本

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010無実の裏付け③

〔証拠の捏造〕
 正義のない組織に、真実を追究する力はない。
 
 ついに捜査機関は「証拠」の捏造をはじめた。
 2018年10月下旬になって「同行警乗に基づく被疑者の犯行再現」と題する書面を作成しはじめたのである。
 すでに9月事件から1か月が経過していた。
 又、同書面の作成は、Aが提出した「証拠」写真が別人であることが発覚し、勾留期限が迫ったいた時期と見事に重なる。

 極めて不可解な時期に、突如として「犯行再現」なるものが行われたのである。
 
 
 2018年9月25日の通常逮捕以降、警察官らは「目撃」にかかる書面を一切作成していなかった。
 作成された書面は、前掲「009無実の裏付け②」記載の無実を裏付ける書面のみである。
 Aが提出した「証拠」の写真が「証拠」になり得ないことを悟った捜査機関が、A供述を補強するために「目撃再現」なるものを行ったことは、安易に想像できる
 
 まさに捜査機関による捏造がはじまったのである。

〔犯行再現の不合理〕
 「犯行再現」には、いくつか不合理な点が見当たる。
 ①実物の車両で行っていないこと
 ②捜査責任者Nと警察官Fの位置が重複すること
 ③満員電車の状況が再現されていないこと


 警察は再現を行うにあたって、実物の車両を借り実施するのが通例である。
 しかし、「犯行再現」なるものは、警察署内の会議室で行われた。
 座席間の距離などを計測した様子も見当たらない。
 極めて杜撰な「再現」であることは明らかだ。

 F警察官は取り調べ段階で「(私と)肘がぶつかった」旨を述べていた。
 私も誰かとぶつかった記憶はあった。
 しかし、犯行再現ではF警察官の立ち位置に捜査責任者Nが立っている。
 F警察官は「犯行再現」では近くにいなかったことにされている。
 実際の立ち位置が再現されていないことは明らかだ。

 I警察官は、西側ロングシート前に立つAと私の後方に立った。
 そして、その隙間から「犯行」を目撃したことになっている。
 しかし、満員電車で物理的にその位置に立つことは極めて難しい。
 I警察官は、背中に大きなリュックを背負っていた。
 このことは、当日の改札の防犯カメラに記録されている。

 捜査報告書を精査するだけでも、以上の不自然な点が見付かった。
 
 極めつけは、Aが参加していなことである。
 Aの知らないところで、警察官らだけで秘密裏に「再現」が行われたのだ

 警察官らによって「犯行再現」が行われた時期の不可解さと併せれば、上記「犯行再現」なるものに信用性がないことは明らかであった。

 そして何より、それほど警察官らが近くで「現認」しているのであれば、現行犯逮捕しないことなどあり得ない。
 警察官らが行った「犯行再現」の立ち位置で、仮に私が「犯行」に及べば、ものの数秒で現行犯逮捕されるに違いない。
 2日間合計40分間にわたって、警察官が「犯行」を見過すことなど、あり得ないことなのだ。
 (警察官の思い込みによって、数秒の出来事で現行犯逮捕してしまった末に、冤罪事件が生まれることの事例の方が圧倒的に多いとされている)

〔捜査機関の不正義〕
 捜査機関が証拠を捏造することは言語道断だ。
 そうであると信じたいし、そう思われている。

 しかし、捜査機関は、保身のためであれば何でも行う。

 新聞報道や冤罪事件を見る限り、違法捜査や自白強要、証拠改竄や捏造、そして証拠隠滅などは日常茶飯事で起こっている。
 これらは無罪判決が下さる度に判決文によって明らかになっている。

 無実を訴える場合、それらをひとつひとつ潰していかなければならないのだ。
 裁判官が「捜査機関が捏造など行うはずがない」と断じてしまえば、為す術はない。

 徹底的に証拠を集め、無実であることを裁判所に訴える必要があるのだ。
 繰り返しになるが、日本の司法に、「疑わしきは罰せず」の原則はない。
 形骸化しているのである。

 無実を訴えるためには闘うしかないのである。


 
 2019年2月上旬。
 証拠の精査は十分に行った。
 愈々、証人尋問を迎える。

 闘いのはじまりである。

 

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警察捜査の正体 (講談社現代新書)

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009無実の裏付け②

 警察官らは、私による「犯行」を裏付けることができなかった。
 そのことは、以下の客観的事実(開示証拠)が物語っている。

〔無実を裏付けるもの〕
 客観的事実①
 警察官4名が、2日間(合計約40分)にわたり、被疑者の現行犯逮捕を目的に同行警乗したのにも関わらず、現行犯逮捕できなかったこと。
 客観的事実②
 2018年9月25日作成、「被疑者の通勤時の行動確認結果」と題する捜査報告書に、要旨「被疑者の手が被害者の陰部に触れているか否か確認できなった」、「被疑者の手が被害者の陰部に触れているか否か判然としなかった」と記載されていること。
 又、上記報告書に、捜査責任者Nの押印がされ、署長の決裁が下りていること。
 客観的事実③
 9月26日作成、電話聴取書に、捜査責任者Nが同日にAに電話し、要旨「9月20日、21日は被害に遭っていたか否か」をAに聴取した記載があること。
 又、Aの「被害に遭っていた」旨の回答を受け、警察署に来るよう捜査責任者Nが指示をした記載が同書にあること。
 よって、警察が被害実態を認知したのは、9月26日時点であること。



 上記客観的事実①ないし③が示しているのは、警察官らは同行警乗を行った電車内で、私の「犯行」を現認していないということである。
 この推認は極めて合理的であり、かつ、健全な社会通念に照らしても不合理な点はない。
 むしろ、「被害」を裏付ける「証拠」は、A供述しか存在しないことを示していると言える。
 「被害者」供述だけで、「有罪」認定を行うことが極めて危険であることは、前掲「でっち上げの証拠③」の最高裁判例が説示するとおりである。

 しかし、虚心坦懐に物事を判断できない捜査責任者Nは、益々事件を複雑化させていった。

〔警察の迷走〕
 9月事件の真相はこうであろう。
 
 警察官らは、6月事件では「証拠」が不十分なため、同行警乗によって現行犯逮捕をすることを考えた。
 しかし、被疑者の「犯行」を裏付けることができなかった。仕方がなく、「私」が自白することに賭けて、6月事件で立件したのである。
 
 ところが、一貫して否認されてしまった。

 そこで、2018年9月26日にAに電話聴収をすることにした。
 その点は、上記客観証拠②が強く示している。
 この日は、私が6月事件で通常逮捕された翌日である。
 私は、容疑を否認していた。

 幸いなことに、Aは2018年9月20日と21日に「被害」に遭った旨を述べた。
 しかも、警察署に来たAは、「被害」に遭ったときに撮影したという「画像」を提示してきたのだ。
 
 例の「別人」の写真である。

 警察官らは、願ってもいないことに安堵した。
 そこには、Aが「犯人」であると指し示した人物が、Aの方に向かって右手を伸ばしている様子が映っていた。

 捜査責任者であるNは、その画像を受理し、Aの供述調書に添付した。
 これで9月事件で立件できる。
 そう確信したに違いない。

 しかし、同行警乗し「被疑者」を注視したと自負しているNは、「被疑者」とその画像の人物の服装が違うことに気付かなかった。
 カッターシャツとポロシャツという決定的な違いに。
 柄も格子柄と無地で決定的に異なっている。

 さらに、捜査責任者であるNは、鞄の色の違いにも気付かなかった。
 黒色の鞄と茶色の手提げ鞄の違いである。
 
 そして、その「別人」は、座席に座っている人物であることにすら気付かなかった。

 もはや、Nが、私と「被害者」の近くに立っていたのかさえ極めて怪しい。
 捜査責任者であるNの供述に信用性がないことは明らかだ。

 このような人物の信用性が認定されるようでは、日本の司法は崩壊していると言っても過言ではないだろう。
 
 ・・・(のちに京都地裁「戸﨑涼子」判事は、易々と捜査責任者Nの信用性を認定さされるわけだが)。

 これが日本の司法の実態である。
 楽器入れに隠れることができるのであれば、無実を訴える「被疑者」や「被告人」は皆そうしたくなる。

 「被害者」なる人物が「証拠」とした物は、すべて証拠として採用されるのであるから。
 公平・中立の期待のし様など日本の司法にはない。


〔Aが観念、焦る捜査責任者N〕
 捜査責任者であるNは、杜撰な捜査をし続けた。

 しかし、事件が起きた。
 検察官が、捜査責任者NがAから受理し供述調書に添付した「証拠」画像に、違和感を抱いたのだ。

 検察官は取り調べで、私に対して「これは、あなたですか」と、上記画像を示しながら単刀直入に尋ねた。
 
 当然、私は「別人」である旨を訴えた。

 そこで、検察官がAに問い正した。
 Aは、「間違って撮影しました」と弁解した。

 (・・・どうやって被害に遭っている場面を撮影したら、別人が映り込むのか??)

 ところが、検察官は、Aの「間違って撮影しました」という弁解を信用した。
 まさに「被害者は嘘をつかない」というマジックである。

 日本の司法関係者は、「被害者」の言うことは何でも信用する病魔に侵されている。
 しかも、極めて重篤のようである。

 健全な社会通念に照らして、上記Aの弁解をいったい誰が信用するだろうか。
 司法関係者の予断と偏見は本当に恐ろしい。

 
 しかし、捜査機関がいくら予断と偏見を以ってAを救済しても、問題は解決しなかった。
 捜査機関にとって、唯一の「証拠」であった画像が、証拠になり得ないことが判明してしまったのだ。
 捜査責任者Nは、漸く事の重大さに気が付いた。

 9月事件の逮捕状請求書には、以下の記載がある。
 被疑者が罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由
  ④被害者の供述調書
  ⑤被害者から提出を受けた画像の記録
  ⑥司法警察員作成の捜査報告書

 つまり、捜査機関にとって、重要な「証拠」であった上記⑤が間違いであることが発覚してしまったのだ。
 

 Nの失態である。
 
 このとき既に被疑者として私を逮捕までしている。
 報道も大々的になされていた。
 
 今更、捜査を引き返すことはできない。
 
 そうして、ここから警察官らの暴走が更にエスカレートすることになった。

 

 もはや、そこに正義の欠片すら見当たらなかった。

 

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警察捜査の正体 (講談社現代新書)

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008無実の裏付け①

 A供述を精査することによって、事件の全貌が明らかになってきた。

 

 Aの虚偽申告の場合、前掲「002事件の経過」で記した、警察の不自然・不合理な捜査についても合理的に説明がつく。

 

 警察官らが行った同行警乗において、私の「犯行」など現認のし様がないのである。

 Aの虚偽申告と、警察官らが2日間(合計約40分)にわたって同行警乗した末に「犯行」を現認できなかった客観的事実とが合致するのである。

 

 以下、警察の捜査の詳細について掲載していくことにする。

 

〔同行警乗の経緯〕

 警察官ら4名は、Aの被害申告を受け、2018年9月20日及び21日に同行警乗を行った。私とAが同乗するように仕向けたのである。

 この日、私が乗った電車は、普段Aが乗るα電車ではなく、それより1本遅いβ電車であった。

 A供述によれば、β電車では学校に遅刻するそうだ。

 一方、私は雨が降っていたこともあり、この2日間は駅に到着するのが遅れてしまった。

 最寄り駅の改札を先に通過しプラットホームに降りたのも私である。

 

 普段、同乗し得ない時間帯に、私はAと同乗することになったのだ。

 

 A及び警察官らは、改札前で私が改札を通るのを待っていた。

 当時の防犯カメラ映像に、様子を窺う警察官らの姿が映り込んでいた。

 

  警察官らは、意図的にAを私の近くに乗せ、同行警乗したのだ。

 

〔警察の功名心〕

 しかし、なぜ、警察官らは同行警乗を行ったのだろうか。

 警察官らは、2018年6月30日の被害申告の際、すでに「証拠」なるものを入手していた。

 ・「6月まで10回程度被害に遭った」A供述

 ・「6月13日」事件の写真や動画

 ・「6月29日」事件の供述

 ある程度の「証拠」は揃っていたはずだ。

 

 そして、私の人物特定も、Aが家族に教えていた私の車のナンバーによって、既に行われていた。

 6月29日に「Aが私の後を付けた」際、車のナンバーを覚えていたのだ。

 既述のとおり、本件は「Aが私に後を付けられた」のではなく「私がAに後を付けられた」事件である。

 

 Aは、本件直後に友人に「ストーカーしたった(笑)」とLINEで送信している。

 Aは、「不安」を覚えるどころか、完全に楽しんでいる。

 一方で、母親には、必死に「助け」を求める電話をかけていた。

 

 日本の司法関係者は、有罪立証の際「被害者には被告人を陥れる動機は見当たらない」、「よって被害者証言は信用できる」などと常套句を並べる。

 

 しかし、ここまでくれば動機の有無などの問題ではない。

 

 Aを信用したAの家族は、7月上旬に、私の車が最寄り駅の駐車場に停められていることを発見した。

 Aの家族は、すぐに警察に通報した。

 

 捜査機関は、車のナンバーさえあれば、容易に所有者を特定できる。

 

 又、Aの家族は、通勤する私を尾行した。

 信じられないが、最寄り駅から勤務先の前まで尾行を行い、勤務先を特定したのである。

 すぐにAの家族はその詳細を警察に伝えた。

 

 警察は、特段何も捜査をせずに、人物を特定し勤務先を知ったのである。

 勤務先を知り、警察の中で「功名心」が芽生えたのは論を俟たない。

 

 警察、特に京都府警は、事件を立件し報道されることを好む。

 私が警察に勾留されている際、警察官の机の上に、捜査員が立件したであろう事件の新聞の切り抜きが置かれているのを目にしたことがあった。

 そうやって生産性のない競い合いをしているのであろう。

 本当に趣味が悪い。

 

〔証拠になり得ない動画〕

 ただ、警察官らは、すぐに逮捕を行わなかった。

 恐らく、動画がA供述を補強し得る「証拠」であると、確信を持てなかったのであろう。

 

 私が見ても、「迷惑行為(痴漢)」を行っている動画とは言えない。

 後日、弁護人や元科捜研の教授、えん罪救済センターの学生が動画見ても、「迷惑行為(痴漢)」であると断定する人はいなかった。

 

 虚心坦懐に精査すれば、「証拠」にはなり得ないのである。

 

 警察官らもそれを悟っていたに違いない。

 のちに検察に送致された「6月13日の動画の分析について」と題する捜査報告書で、「私の右手がAの身体付近に接近している」場面が数十カットに分割され強調されていることが、それを物語っている。

 

 公判担当検察官も、動画の静止画(上記捜査報告書のもの)のみを裁判所に提出しようとした。

 動画自体の証拠採用を裁判所に申請したのは弁護団である。

 

 それほど、恣意的に動画を評価しない限り、迷惑行為(痴漢)の「証拠」には、なり得ない動画なのである。

 

 であるから、警察官らは、裏付けを行う必要があった。

 そして、「裏付け」のために警察の捜査は迷走を始めた。

 

〔予断と偏見、そして焦燥〕

 警察官らは、私の行動確認を行い、「犯行」の裏付けを得ようとした。

 

 以下、時系列でまとめる。

 

 2018年8月下旬、警察官らは2日間にわたり私の行動確認を行った。

 開示資料の中で確認できる最初の行動確認である。

 

 この日、私はα電車の3両目に乗車した。先頭車両に乗るとは限らないのだ。

 このことからも、私が「Aを付け狙っていない」ことが裏付けられるはずだ。

 

 警察官らは、私の行動を注視したが、私の不自然な動きを認めることができなかった。

 8月時点の行動確認で、逆に私が「迷惑行為(痴漢)」などを行う人物でないことが裏付けられていたのである。

 

 本来、ここで真実に気付くべきであった。

 

 しかし、警察官らは、逆の発想で物事を捉えた。

 つまり、私を「Aだけを付け狙った特殊な『犯人』である」と見立てたのである。

  そのことは、警察の捜査報告書に記載されている。

 

 まさに、捜査機関が、予断と偏見を以って捜査に臨んでいた証である。 

 

 

 次に警察官らは、2018年9月20日に、Aを私の近くに同乗させた。

 これが立件された、いわゆる9月事件である。

 

 警察官3名が私の行動を注視した。

 警察官の供述調書には「現行犯逮捕」を目的に同行警乗を行った旨が明記されていた。

 「Aだけを付け狙う私」が「犯行」に及べば、「現行犯逮捕しよう」と決めたのでろう。

 

 それは、警察官らにとっては一番よい手段のはずだ。

 本件で現行犯逮捕をして、6月事件は動画を突き付ければいいだけのことである。

 真に「犯人」であるならば、私には言い逃れのし様がない。

 

  しかし、警察官らは、私を現行犯逮捕しなかった。

 

  翌日も、警察官ら4名が私の行動を注視した。

 何としても現行犯逮捕したいという警察官らの意思を感じる。

 

 しかし、この日も、私を現行犯逮捕しなかった。

 いや、現行犯逮捕できなかったのである。

 

  Aの虚偽申告である以上、警察官らが行った同行警乗において、私の「犯行」など現認のし様がないのである。

 現行犯逮捕を目的として、警察官らが2日間合計約40分にわたり、私の行動を注視て逮捕に至らなかったことが、それを強く裏付けている。

 

 いわば、客観的な『無実の証拠』なのである。

 

  しかし、益々警察の迷走は深まっていくことになった。

 功名心、予断と偏見、そして、焦燥・・・。

 

 もはや、それらは警察を留める要素にはなり得なかったのだ。

 

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007でっち上げの証拠③

 Aによる「虚偽申告」であることが明らかになってきた。
 6月事件については、以下のとおりである。

〔6月事件〕
 被疑事実
 私には、以下の2日につき被疑事実があった。
・6月11日事件
 Aが、α電車内で、迷惑行為(痴漢)に遭った。その時、私を犯人として証拠の写真①を撮影した。そして、友人や家族に「この人物が犯人である」として、私の姿が映った写真(Aが私を離れた位置から撮影したもの)を共有した。
6月13日事件
 上記写真①では、迷惑行為(痴漢)であることが証明されないので、母親は「証拠」を撮影するように指示した。
 Aは、α電車内で、迷惑行為(痴漢)に遭った。その時、迷惑行為(痴漢)に遭った「証拠」として動画を撮影した。
 動画の立ち位置は、Aがドアの前でドア側を向いて立ち、その後方に私が立ったものであった。満員電車の中で、私は右肩に鞄を下げ、右手の位置は、ドア横手すり付近に位置していた。通常であれば、私の右手は、Aの陰部付近には到達しない位置関係であった(公訴事実は、「陰部付近を触った」というものであり、検察官によって「陰部付近であること」が立証されなければならない)。
 又、この日、写真①によって私を犯人として認知していた友人らが、上記位置関係に立つAと私を、写真②及び③に撮影した。

 この後、6月29日に、例の「後を付けられた」事件である。
 そして、2018年6月30日に被害申告がなされた。

 この2つの被疑事実を以って、私は2018年9月25日に逮捕された。

 起訴と不起訴
 結局、6月11日事件は不起訴処分、13日が起訴という結果となった。
 Aの「被害に遭った」という旨の供述と写真①のみでは立件できないというのが、検察の本音であろう。
 一方で、6月13日事件は起訴である。
 恐らく、被害に遭っているような動画があることが理由に違いない。
 しかし、前掲「004でっち上げ」でも記したとおり、弁護人や元科捜研の大学教授が精査しても、「これ痴漢ですか」というレベルのものなのである。

 起訴であることにも憤りを感じたが、検察の都合で起訴不起訴を起案する姿勢に悔しさが滲んだ。
 検察は、真の正義で動く組織ではない。偽りの「正義」で動く組織である。
 ドラマや映画で描かれる、あのイメージ通りの組織なのである。

〔被害態様の不合理〕
 Aの供述調書によれば、「2018年5月以降から被害が重なり(私を)犯人と認知していた」、「電車内で位置を移動しても、いつも近くに付いてきた」という。
 しかし、多くの不合理な点があった。

・6月11日事件
 写真①は、私を遠くから撮影したものである。しかも、10枚程度、さまざまなアングルから撮影されたものである。電車内で付け狙われていたのでれば、そのような撮影は不可能であるに違いない。「被害に遭った後に撮影した」と言うが、不自然極まりないし、上記供述と整合性がない。
 何より写真①は、「被害に遭った」ものではないのだ。
 
 又、以下のような友人との遣り取りが、6月6日のLINE履歴に残っている。なお、最寄り駅であるS駅を出発した直後のα電車内での遣り取りであり、この日はAと私は同乗していない。
 友人:その人どこにいる?
 A :まだおらん T駅で乗ってくるかもしれん
   :S駅かT駅やからさ
 友人:全然ちゃうやん

    ・・・T駅出発・・・
 
 A :乗ってきよらんわ
 
 S駅は、私とAが乗車する最寄り駅である。T駅は、最寄り駅から数駅先の停車駅である。
 2018年5月から被害に遭い、犯人を把握していたというAが、6月6日のLINE履歴では、犯人が乗車してくる駅が判然としない旨を送信しているのである。

 そして、6月11日には、「犯人」として私の姿が撮影された。
 LINE履歴を精査する限り、6月6以降同日に至るまで、Aと私がα電車で同乗した日は認められない。
 なのに、6月11日に、突如、私が「犯人」として特定されている。

 Aの「犯人性」の特定に信用性がないことは明らかであった。

・6月13日事件
 この日の立ち位置は、Aが撮影したという動画上明らかである。
 すなわち、Aがドアの前にドア側を向いて立ち、私はその後方に立った。最寄り駅から私の下車する駅まで、その位置関係に変化はない。
 つまり、Aの方が最寄り駅で、私の前に乗り込んできたのである。

 しかし、Aの被害申告を前提にした場合、「6月までに10回程度被害に遭った」人物が、犯人と認識している人物の前に乗り込むことがあるだろうか。
 6月13日の最寄り駅の改札の防犯カメラ映像を精査すると、プラットホームに降りたのは私が先であった。
 百歩譲って、何らかの不可抗力でそのような位置関係に置かれたとしても、回避行動をとるのが合理的であろう。
 Aは、α電車内で最寄り駅を出発した直後から、以下のような遣り取りをしている。
 友人:後ろの人やんな??
    ・・・
 A :ミスって近いとこのってもーた
 友人:おもろww

 Aには「ミスって近いとこのってもーた」という認識があったようだ。
 しかし、このLINEが友人に送信されたのは、α電車が最寄り駅の次に停車するO駅の到着時刻であり、正にAの眼前でドアが開閉する時刻なのである。


 Aには、十分位置を変えることが可能であったのだ。
 次の停車駅であるM駅、そしてT駅と、A側の目の前のドアが開閉する機会があったが、Aは回避行動を一切とらなかった。

 そして、「被害に遭っているような動画」が、Aによって撮影されたのである。
 Aの方から、体を接近させているように見える動画である。

 Aの供述する被害態様は、客観的にみて、極めて不合理なのである。

 なお、「おもろww」と送信している友人は、上記写真②及び③を撮影した人物のうちの一人である。
 
 迷惑行為の相談を受けている友人としての迫真性すら感じられない。
 ただ、言われるままに、上記写真②及び③を撮影したのだろう。

 のちに友人たちは検察官の証人尋問請求を固辞している。

 証人は、嘘の供述をすると「偽証罪」に問われる可能性があるのだ。

最高裁判例(H21.4.14)〕
 最高裁判例に次のようなものが存在する。
 公訴事実は「乗客である17歳の被害者が、被告人から電車内で下着の中に手を入れられ、強いてわいせつな行為をされた」というものである。
 
 この「被害者」は、電車内で被告人から被害を受けた後、途中駅で下車する乗客に押し出される形で、下車することを余儀なくされた。
 しかし、「被害者」は、同駅で再び被告人の傍に乗車した。

 この点につき、「被害者」は、「他の乗り込む乗客で犯人を見失ってしまい、その位置を把握することができず、再び近くに乗ってしまった」旨弁解したが、最高裁は以下のような説示をし、「逆転無罪」を下した。
 なお、「被告人」は、当時防衛医大教授であり、『防衛医大教授痴漢冤罪事件』として、語り継がれている事件である。

 「被害者」が述べる痴漢被害は相当に執ようかつ強度なものであるのにもかかわらず、「被害者」は、車内で積極的な回避行動を執っていないこと、・・・「被害者」が、途中駅でいったん下車しながら、車両を替えることなく、再び被告人のそばに乗車していること・・・などを勘案すると、同駅までに「被害者」が受けたという痴漢被害に関する供述の信用性にはなお疑いをいれる余地がある。そうすると、その後に「被害者」が受けたという公訴事実の痴漢被害に関する供述の信用性についても疑いをいれる余地があることは否定し難いのであって、「被害者」の供述の信用性を全面的に肯定した1審判決及び原判決の判断は、必要とされる慎重さを欠くものであるというべきであり、これを是認することはできない。

 「被害者」の弁解も一理あると言えるだろう。しかし、その証言には、客観的な状況に照らして、合理的な疑いをいれる余地がある。
 まさに、「疑わしきは被告人利益に」という刑事裁判の鉄則を貫いた判決であると言える。しかも、最高裁判所が、その姿勢を示しているのだ


 さて、「でっち上げの証拠」と題して、①ないし③でAの被害態様に係る信用性がないことを示してきた。

 私と弁護団は、Aの証人尋問前に、これだけの無実を示す証拠を得ていたのである。
 
 A供述の信用性が皆無であることを、十分立証できるところまで、準備は整ったのである。

 

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006でっち上げの証拠②

 2019年1月。

 弁護団とともに、私の無実を示す証拠の精査をはじめた。

 第2回公判は、2月中旬に設定されている。

 時間はなかった。

 

〔Aが通学で乗る電車〕

 Aの供述調書には、要旨、①「通学でα電車の先頭車両を利用し被害に遭ったこと」、②「2018年6月までに10回以上被害に遭ったこと」、③「同年9月までに20回程度被害に遭ったこと」、④「同年6月下旬に帰宅途中に後を付けられたこと」が、記載されていた。

 又、どうやらA供述によると、いつも通学でα電車を利用し、迷惑行為(痴漢)を10回以上受けた」上に、「6月下旬には、帰宅途中に後を付けられた」から、警察に被害申告をしたということらしい。

 

 ところで、私は、確かにα電車を利用することが多い。しかしβ電車を利用することもある。いつも気分でプラットホームへ降りる階段を選んでいたので、先頭車両以外も利用することがある。

 このことは、私の行動確認を行った捜査報告書にも明記されている。

 

 つまり、私とAは、α電車の先頭車両において同乗する機会は、少ないはずなのである。

 

 私は、取り調べ段階で、Aの写真を見せられ、「この人物を知らないか」と担当刑事に問われていた。当然、特段記憶にない人物であったので、「知りません」と答えていた。

 いま振り返れば、当然の話である。

 

 そして、あまりにも記憶になかったので、「証拠」を精査する上で、AのLINE履歴に着眼しはじめた。

 「もしかしたらAがα電車に乗っていないことが裏付けられるかもしれない」という期待が生じていたのである。

 

〔虚偽申告の裏付け〕

 α電車に乗っていない

 2018年5月以降のAのLINE履歴を弁護人とともに精査した。

 驚くべきことに、やはりAはいつもα電車に乗車しているわけではなかったのだ。

 例えば、ある日は、Aがα電車に乗る時間帯以前にすでに学校に到着していることを示す遣り取りがあった。次の日も、又、その次の日も同様だった。

 そのような日が続くのだろうか。

 

 一日一日、α電車の時刻表とAの通学時間が分かるLINE履歴とを突き合わせながら、根気強く精査していった。

 その結果を弁護人とともにカレンダーにまとめていった。

  そうすると、結局のところ、「Aはα電車に半分以上の日で乗っていないこと」が分かった。

 

 さらに、α電車で同乗する機会は、私の出勤履歴などを併せて考えると、多く見積もって6日であることまで判明した。

 この6日には、事実に争いがある6月11日事件及び6月13日事件が含まれているから、Aが私から被害に遭う可能性がある日は、実質的には多く見積もって4日しか存在しないと言ってもよいだろう

 

 いずれにせよ、Aの「いつもα電車に乗っていた」、「6月までに10回以上被害に遭った」旨の供述は、客観的な証拠であるLINE履歴と合致しないのである。

  客観的事実と矛盾する供述には、信用性は認められない。

 

 「証拠」精査した結果、A供述が虚偽であることが判明したのだ。

 

 Aの自己矛盾供述

 Aは被害申告した際、A証言を信用した警察官から「電車を早くする」旨を助言され、「2018年6月下旬以降は、α電車よりも早い電車を利用した」旨を供述していた。

 そうすると、「6月まで10回以上被害に遭った」という被害回数が、「9月まで20回程度被害に遭った」という被害回数に増えることはあり得ない。

 

 しかし、Aは、私が9月事件で再逮捕されたあとの捜査段階で、検察官に「9月まで20程度被害に遭った」と明言していたのである。

 つまり、Aの供述には、自己矛盾が生じているのである。

 検察官に対し、捜査段階で客観的に起こり得ない「被害」を供述していたのである。

 

 驚くべきことに、捜査担当検察官は、このAの自己矛盾を看過してしまった。

 検察官は、「有罪」立証のため、不利な供述を録取しないというのが通例だ。矛盾する供述があれば、「有罪」立証が阻害される要因となりかねないからだ。

   供述調書を録取する際に、Aを正していないということは、検察官はこのAの自己矛盾を見逃してしまったのである。

 

 検察という組織が真に正義であるならば、この矛盾に気付いて然るべきであるし、徹底的に補充捜査がなされるべきであったのだ。

 (気付いたところで、A供述を辻褄が合うように訂正させ、決して後戻りをしないと思われるが)

 

 、、、。思うところは多々ある。

 

 しかし、取り敢えずは、Aの供述に何ら信用性がないことが明白になった。

 「証拠」の精査に集中するしかない。

 

 

 後を付けられたは虚偽

 Aは、「帰宅途中に後を付けられた」から「警察に被害申告をした」と供述していた。

 これについても、私は、まったく心当たりはない。

 

 恥ずかしい話であるが、職場からの帰宅途中は疲れ切っている。仮に、そのような悪事を働こうとしても、体力すらない残っていないのである。

 早く帰宅して、食事を済ませたいし、風呂で疲れをとりたい。やり残した仕事も残っている。

 

 ちょうど検察官から当日の駅の改札の防犯カメラ映像が開示されていた。

 これを見て、弁護団とともに愕然とした。

 

 Aが私の後方を携帯電話で通話しながら歩いている様子が映っていたのである。「私に後を付けられた」と言っているAが、私の後方を歩いていたのである。

 

 Aの母親の供述調書も開示されていた。

 母親は、Aから「犯人が自分の後ろにいる」と言って、1回目の電話がかかってきたという。

 Aの1回目の通話記録の時間と防犯カメラ時間が合致している。危険を察知した母親は、「犯人を先行かせなさいと助言した」旨を迫真性を持って供述している。

 母親の記憶違いであることも考え難い。

 この後、Aは母親に「まじで付いてきている。まじで。ちょっと待って。ちょっと待って。」という2回目の電話もかけていた。

 

 私の後を付けながら、そのような電話を母親にしたのだろうか。

 証人尋問で明らかにしていく必要がある。

 

 しかし、この事実を「虚偽申告」以外の方法で、どうやって合理的に説明できるだろうか。

 私や弁護団の中で、Aへの疑念が確信に変わっていった。

 

 前掲「004でっち上げ」で記した「別人」の写真と併せれば、Aの自作自演を相当強く疑わせる事情であった。

 

〔被害申告の不自然・不合理〕

 翌日、Aの母親は、この事件を契機に警察への被害申告を決めた。

 Aが「迷惑行為を受け続けた上に、帰宅途中に後を付けられた」と訴えるのであるから、ある意味当然なのかもしれない。

 

 しかし、Aは相当警察への被害申告を拒んでいたようだ。

 一番「被害」を捜査機関に訴えるはずの人物であるのにも関わらず。

 

 被害申告の当日、Aは最初警察に行かなかった。

 家で寝ていたようだ。

 A以外の他の家族は、皆、警察に行ったそうだが。

 

 結局、警察官がその日にAから事情を聴くことになり、Aは被害申告をした。

 

 私は、Aによって、客観的状況に合致しない「被害」を申告されたのだ。

 6月13日事件で撮影した「証拠」動画と、友人が撮影した「証拠」の写真を、Aは警察に提出した。

 

 2018年6月30日の出来事であった。

 

 すでに「証拠」撮影から2週間経過していた。

 「証拠」撮影後、すぐに被害申告していないことも不合理であった。

 

 

 この事件の全貌が見えてきた。

 Aの証人尋問まで、あと数週間となっていた。

 

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005でっち上げの証拠①

〔疑わしきは罰せず〕

 開示されたAの供述調書を目の当たりにし愕然とした。

 自分が無実であることは、自分が一番知っている。Aが虚偽申告していることも明らかである。

 

 しかし、

   ①6月まで10回以上被害に遭った

   ②9月まで20回程度被害に遭った

   ③6月下旬には最寄り駅で後を付けられた

 というA供述が虚偽であることを裏付ける証拠がなければ、日本の裁判官は「被害者が嘘をつくはずがない」との予断と偏見から「有罪」であると即断する。

 

 本来、刑事司法の鉄則は、「有罪立証の責任は検察官が負う」と刑訴法で定められている。

 被告人に自分の無実を立証する責任はない。

 検察官が、犯罪事実の存在を「合理的な疑いを容れない程度」まで立証できなければ、裁判官は「無罪判決」を下さなければならない。

 これが、いわゆる「疑わしき〔犯罪事実の証明に合理的な疑いが残される場合〕は罰せず」の原則だ。

 

 いずれにせよ、私は、上記①ないし③を弾劾できる証拠収集に尽力しなければならなかった。

 日本の刑事司法下では、被告人が無罪を証明できないと、「有罪」とされてしまうのだ。

 

〔異例の保釈決定〕

 2018年12月18日、初公判が開かれた。

 当然ながら、罪状認否で否認した。

 身体拘束が続いたままの否認のため、今後いつまで拘留が続くか不安であった。すでに逮捕から3か月もの月日が経過していた。

 

 しかし、たくさんの支援者に法廷に来て戴いた。心強かった。

 長期間の裁判を闘う上で、支援者の存在は本当にありがたい。

 

 2018年12月21日、奇跡が起こった。

 裁判官が、第1回公判を終えて、保釈決定を下したのだ。

 刑事事件で被害者が存在している場合、最低でも被害者の証人尋問が終わるまで保釈はされにくいと聞いていた。

 

 保釈されない事由は、被告人が「罪証隠滅」を計ること。

 被告人が、証人尋問までに被害者に接触し、自分に有利な証言をさせることを企てる可能性があるというのだ。

 日本の刑事司法では、あり得ないロジックがまかり通っているのである。

 

 私の場合、すでに次の公判期日が2月に決定されていた。
 長期間の拘留は覚悟していた。

 

 そのような中、私は3か月ぶりに拘束が解かれたのだ。

 と同時に、本当の長い闘いが始まった。

 

〔証拠開示請求〕

 2018年11月下旬に、証拠関連カード記載の「証拠」は入手した。

 しかし、この「証拠」は、検察官が有罪を立証するために、裁判所に提出する予定のものである。

 これらは、私の無実を示す証拠にはなり得ない。

 

 そこで、弁護人が検察官に追加の証拠開示請求を行った。

 豊富に培った弁護活動の経験から、まだ弁護側に開示されていない証拠をリストアップし、検察官に請求したのだ。

 

 信じられない話であるが、捜査機関は収集したすべての証拠を開示しない。

 言い換えれば、「有罪」を示す積極証拠は開示するが、無実を示す消極証拠は開示しないのが通例である。

 日本の刑事司法のシステムでは、捜査機関は、不都合な証拠を隠蔽することができるのだ。

 被告人は、不利な「証拠」の中から、無実を示す証拠を探し出さなければならないのだ。

 まさに『悪魔の証明』である。

 この現状を以て、世界に「日本の司法制度は、公正中立である」と発信した法務省検察庁の見識は疑わざるを得ない。

 

 冤罪事件の再審請求事案では、のちに被告人の無実を示す証拠が開示されることがある。

 湖東記念病院(滋賀県東近江市)の再審公判の公判前整理手続きで「患者の死因は自然死である」旨の捜査報告書が開示された。

 看護師が、殺人罪で12年も服役した後のことである。

 捜査機関は、この事件が「殺人」事件ではない可能性があることを、専門家の意見をもとに初期捜査の段階で認知していたのだ。

 

 しかし、捜査機関は、それらを隠蔽し公判を維持した。

 裁判官らは、それに追随し「有罪判決」を下してしまった。10名程度の裁判官が関わったが、誤判を繰り返したのだ。

 捜査機関も裁判官も責任は問われない。国家賠償請求の末、国家の責任を認めるのも、裁判所なのだから。

 

 この事件の場合、幸いにも大阪高等裁判所第2刑事部の裁判官(後藤眞理子裁判長)らによって、再審許可が下された。

  弁護側が、再審請求段階で独自に収集した「自然死の可能性がある」旨の医師の意見書が決め手であった。

 捜査段階で、「自然死」を示す報告書の存在が明かされていれば、無実である看護師は、12年間もの服役を強いられなかったであろう。

 もっと早期に無罪判決が下されていたはずだ。

 

 このように、証拠開示を取り上げるだけでも、日本の刑事司法において「公正な裁判が行われている」とは言い難いことが分かる。

 

 カルロス・ゴーン氏への反論として、法務省や捜査機関が世界に発信した「日本の司法制度は、基本的人権に配慮しており、公正中立なものであるである」という旨の声明は、何ら説得力がないものである。

 

〔無実を示す証拠〕

 2019年1月。

 私の保釈が決定し、弁護人と第2回公判に向けて、準備を始めた。

 

 開示された「証拠」から、私の無実を示す証拠収集を始めた。特に、有効な証拠になるであろうと思われたのが、

   ・Aの供述調書

   ・AのLINEの履歴

   ・前記③の事件の防犯カメラ映像

 であった。

 

 Aの「被害」に関する供述調書と、LINE履歴や防犯カメラ映像などの客観的事実とが、悉く整合しないことが明らかになってきたのである。

 

 前掲「004でっち上げ」で記した「別人の画像」と併せれば、私が無実であることを強く裁判所に訴えることができるかもしれない。

 

 弁護人とともに、裁判所にAの「虚偽申告」である旨を訴えるため、本格的な準備がはじまった。

 

 無実を示す証拠精査のはじまりである。

 

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